第73話「復元の終焉、あるいは手渡される記憶」
夜明けだった。
事務所のモニターに、家系図が表示されていた。
大きかった。
縦に長く、横に広く。
二百十四人分の名前が、線で繋がっていた。
蓮はその右端を見た。
一箇所だけ、空白があった。
昭和十年から昭和二十年の間。
その間の記録が欠けていた。
欠けていた理由は、戦争だった。
戸籍が焼失した地域だった。
蓮は木箱の最後の一通を手に取った。
昭和二十年の秋、という字があった。
開いた。
「帰リマシタ。遅クナリマシタ。待タセテスミマセン」
それだけだった。
短かった。
でも、それだけで十分だった。
この手紙が届いた日を特定できれば、欠けた期間が繋がる。
封筒の消印を確認した。
昭和二十年十一月。
戦後だった。
帰ってきた。
二十四年間、「待ッテイマス」と書き続けた相手が、帰ってきた。
「繋がりました」蓮は言った。
陽菜が顔を上げた。
「最後のピースですか」
「はい」
陽菜がモニターに来た。
蓮が最後のデータを入力した。
空白が、埋まった。
二百十四人の家系図が、一本の線で繋がった。
【アーカイブ復元:百パーセント完了。家系図:二百十四名分統合。全データ整合。記録、完了】
モニターが、静かに光っていた。
夜明けの光が、窓から差し込んでいた。
「終わりました」陽菜は言った。
「はい」
「疲れましたか」
「疲れた、という感触が、今回は遅れてきます」蓮は答えた。「達成感が先に来ています」
陽菜は少し笑った。
「それはいいことです」
午後、老人が来た。
地方自治体の担当者と一緒だった。
八十代に近い老人だった。
杖をついていた。
でも目が鋭かった。
「〇〇と申します」老人は言った。「この家系図の末裔です」
「よくいらしてくださいました」陽菜が言った。
老人は蓮を見た。
「篠原さんが、復元してくださったと聞きました」
「はい。陽菜さんと一緒に作業しました」
「全部で、何人分ですか」
「二百十四名です。明治から昭和にかけての記録を統合しました」
老人は椅子に座った。
「見せていただけますか」
蓮はタブレットを老人に渡した。
老人はタブレットを受け取った。
手が震えていた。
年のせいかもしれなかった。
でも今日は、別の理由でも震えていた。
老人は家系図を見た。
ゆっくり、指でなぞった。
一人一人の名前を。
「……これが祖父の父ですか」
「はい。明治三十二年生まれです」
「こっちが、祖父の母」
「はい。明治三十五年生まれです」
老人は指を止めた。
「往復書簡があると聞きました」
「あります」
蓮は画面を切り替えた。
書簡のリストが出てきた。
「大正から昭和にかけて、二十四年分あります。百二十三通です」
老人は一番古い手紙の画像を開いた。
崩し字で書かれた文字が現れた。
老人は少し時間をかけて読んだ。
「……これが、曾祖父が書いたものですか」
「はい。筆跡の分析と、当時の文体パターンから確認しています」
老人は次の手紙を開いた。
「待ッテイマス」という字があった。
老人の手が、止まった。
「この言葉、何回出てきますか」
「『待ッテイマス』または類似の表現が、全百二十三通のうち六十七通に含まれています」
老人はタブレットを持ったまま、少し下を向いた。
しばらく、誰も何も言わなかった。
「ここにある『待っています』という言葉が」蓮は続けた。「あなたの祖父が戦後、無事に帰宅できた理由かもしれません」
老人が顔を上げた。
「どういうことですか」
「二十四年間、返事が来るたびに書き続けた言葉です。その言葉を知っている人間がいた。帰る理由が、あったということです」
老人はタブレットを置いた。
手で顔を覆った。
声が出なかった。
しばらく、そのままだった。
自治体の担当者が横で、何か言いたそうにしていた。でも言わなかった。
老人がゆっくり顔を上げた。
目が赤かった。
「これで」老人は言った。「私たちの家族はバラバラじゃなくなった」
部屋が静かになった。
「私の父は、祖父のことをほとんど話しませんでした。戦争の話をしたがらなかった」老人は続けた。「だから、私も何も知らずに育った。自分がどこから来たのか、わからないまま歳をとった」
「今日、わかりましたか」
「わかりました」老人は家系図を見た。「二百十四人の、誰かの子孫として、俺はここにいる。それがわかりました」
老人はタブレットを、大切そうに両手で持った。
指で、曾祖父の名前をもう一度なぞった。
「ありがとうございます」
老人と担当者が帰った後、事務所に二人だけが残った。
陽菜が片付けを始めた。
タブレットの電源を落とした。
木箱を棚にしまった。
「疲れました」陽菜は言った。「いい疲れですが」
「はい」
陽菜はデスクに座った。
「蓮さん、どうでしたか」
「少し、待っていました」蓮は答えた。
「何をですか」
「老人の反応を。老人が家系図を見た時、何が起きるか。俺の記録が、その人の人生にどう届くか」
「届きましたか」
「届きました」蓮は椅子に座った。「俺の記録を、老人が受け取った。老人の中で、俺の記録が別の何かになった。情報が、遺産になりました」
陽菜はそれを聞いた。
「お疲れ様でした」陽菜は言った。
「ありがとうございます」
しばらく、静かだった。
「一つ気づいたことがあります」蓮は言った。
「なんですか」
「老人は、自分がバラバラだと思っていたようです。どこから来たかわからなかったから。でも今日、繋がった」
「はい」
「俺の三年間も、似ているかもしれません」蓮は続けた。「黒川部長に解雇されて、あの三年間、俺もバラバラだった。記録だけがあって、繋がる先がなかった。でも今日、あの記録が老人に届いた。俺の三年間も、誰かにとっての余白だったかもしれない」
陽菜は蓮を見た。
「余白というのは」
「意味があるんですね。何も書いていない時間でも、後から繋がる」
陽菜は少し間を置いた。
「蓮さん」
「はい」
「あなたが今言ったこと、記録してください。自分のために」
「しました」
「どんな言葉で」
「記録することは、誰かの孤独を終わらせることかもしれない」蓮は答えた。「それが今日わかったことです」
陽菜の目が、少し動いた。
「いいですね、その言葉」陽菜は言った。「それ、Margin Notesのコンセプトにしていいですか」
「陽菜さんが決めていいです」
陽菜はスマホにメモした。
「『記録することは、誰かの孤独を終わらせること』」
読み返した。
「決まりました」陽菜は言った。「これが、私たちの会社の言葉です」
【記録:202X年3月25日 17:44】
初案件、納品完了。
老人の反応:記録済み。涙と笑顔、両方。
未定義フォルダ:一件追加。
備考:陽菜との連携、最適値。
コンセプトの言葉、陽菜が命名。
「次の案件を始めましょう」蓮は言った。
陽菜が蓮を見た。
「今すぐですか」
「準備が整っています。次の依頼が来ていれば」
「来ています」陽菜は笑った。「でも今日は、少し休みましょう。老人の笑顔を、ちゃんと記録する時間を取ってください」
蓮は少し考えた。
「わかりました」
「ありがとうございます」
「感謝するのは俺の方です」蓮は言った。「今日の老人の笑顔は、陽菜さんがいたから見られました」
陽菜は少し驚いた顔をした。
「どういう意味ですか」
「一人では、ここまで来られなかった。記録を届ける先を、陽菜さんが教えてくれました」
陽菜はしばらく蓮を見た。
それから、静かに言った。
「私もです」
二人は少し、静かにいた。
窓の外に、夕方の光があった。
今日一番やわらかい光だった。
第73話 了
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