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「俺だけが全部覚えている~三年分の搾取を、事実だけで清算する~」  作者: ジキルぅ
第六章「新しい記録」

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第71話「ゼロの朝、あるいは最初の余白」

朝六時。

蓮はノートを開いた。

昨夜のページだった。

陽菜の横顔のスケッチがあった。

その隣の余白に、万年筆を持った。

小さく書いた。

「0」

一文字だけ書いた。

眺めた。

三週間前、「21」から始まった数字が、今日「0」になった。

減っていく数字を見続けた三週間だった。

今日から、増えていく数字を見る。

蓮はノートを閉じた。

スマホが鳴った。

高梨からのメッセージだった。

「準備はいいか」

蓮は返信した。

「はい」

「では行ってくる」

「気をつけてください」

「お前が心配することか」

短い会話だった。

でも、十分だった。

蓮はコートを着た。

駅のホームは朝の光だった。

陽菜と桐島が来ていた。

高梨がホームに立っていた。

荷物は少なかった。

キャリーバッグ一つ。

「来なくていいと言っただろう」高梨は言った。

「来てしまいました」桐島が言った。「二度目だが、性に合わんな、黙って見送るのは」

高梨は笑った。

改札に向かいながら、陽菜に言った。

「こいつを、頼む」

「はい」陽菜は言った。「お任せください」

高梨は蓮の前に来た。

「もう過去を向いて歩くな」高梨は言った。「お前はもう、十分に記録した。これからは前を向いて記録しろ」

「はい」

「陽菜さんのことを、ちゃんと記録しろよ。书類より先に」

蓮は少し間を置いた。

「しています。最優先フォルダに」

高梨は手を差し出した。

蓮は握った。

しっかりした手だった。

「元気でいろ」

「高梨さんも」

高梨が改札を通った。

ホームに降りた。

列車が来た。

乗った。

扉が閉まった。

列車が動いた。

窓越しに、高梨が見えた。

こちらを向いていた。

軽く頷いた。

列車が加速した。

遠くなった。

見えなくなった。

汽笛が鳴った。

蓮はホームに立っていた。

記録しようとした。

止めた。

今日は記録しなくていい、と思った。

記録ではなく、記憶にしようと思った。

高梨の背中が遠くなっていく感触を、ただ感じていた。

陽菜が隣に来た。

肩が、わずかに触れた。

それだけだった。

それで十分だった。

【記録:202X年3月23日 07:14】

高梨誠一、出発。

これより新章。

カウントダウン:0。

事務所に戻った。

桐島が資料を持って立っていた。

分厚かった。

「初仕事だ」桐島はテーブルに置いた。「昨日、連絡が来た。〇〇県の〇〇市から。市内の古い記録のデジタル化と、散逸した家系図の復元を頼みたいそうだ」

蓮は資料を手に取った。

開いた。

「期間は半年。報酬は悪くない」桐島は続けた。「帝都物産とかオムニ・データとか、そういう話じゃない。ただの、地味で膨大な仕事だ」

「いいですね」蓮は言った。

桐島が少し驚いた顔をした。

「いいですね、って言ったか今」

「言いました」

「お前が仕事に対してそういう反応をするのは初めて見たぞ」

「未来のための記録です」蓮は資料を見ながら言った。「過去の不正を掘り起こすのではなく、失われた記録を未来に繋ぐ仕事です。脳の使い方が、違います」

「違うのか」

「温かい方向で使えます」

桐島はしばらく蓮を見た。

「……陽菜さんの影響だな、明らかに」

「そうかもしれません」

陽菜がコーヒーを持ってきた。

「何の話ですか」

「お前が蓮を人間にした、という話だ」桐島は言った。

「もともと人間でしたよ」陽菜は答えた。「ただ、少し不器用なだけで」

桐島が笑った。

蓮は資料に戻った。

資料を広げた。

古い文書の写真があった。

明治時代の戸籍。

消えかけた文字。

判読できない部分がある。

でも、前後の文脈から推測できる。

蓮は読み始めた。

一ページ、二ページ。

古い言葉遣い。手書きの文字。インクが薄れた部分。

記録が走った。

照合が始まった。

類似する文字パターン。当時の地名の変遷。苗字の分布。

楽しかった。

過去のデータを敵のために使っていた三年間とは、感触が違った。

同じ記憶の使い方なのに、まるで別のことをしているようだった。

「蓮さん」

陽菜が言った。

「はい」

「さっきから、私のことをよく見ていませんか」

蓮は陽菜を見た。

「見ていましたか」

「見ていました。三回」

「何回か数えていたんですか」

「あなたが私を見るから、つい数えてしまいました」陽菜は少し笑った。「何を記録していたんですか」

蓮は少し考えた。

「新しい記録の最優先事項を確認していました」

陽菜は少し止まった。

「最優先事項」

「はい」

「私が最優先事項なんですか」

「最優先フォルダに保存されています」

陽菜はデスクの上のコーヒーカップを持った。

少し顔を隠すように飲んだ。

「……それは」陽菜は言った。「仕事中に言うことではないですね」

「仕事中でも最優先です」

「蓮さん」

「はい」

「少し、今日は黙って仕事をしてください」

「わかりました」

でも蓮は、陽菜がカップで顔を隠した時の表情を記録した。

【記録:陽菜の顔。コーヒーカップの向こう。耳が少し赤い。光の加減かもしれないが、おそらく違う】

分類を考えた。

「幸福」以外の言葉を探した。

まだ、ぴったりの言葉が見つからなかった。

でも今日は、それでよかった。

言葉が追いつかないものを、今の蓮は怖くなかった。

「記録を始めます」蓮は言った。

「はい」陽菜は答えた。

資料に向かった。

隣に陽菜がいた。

キーボードの音がした。

陽菜が入力を始めた。

蓮も続いた。

二人の処理が、同じリズムになった。

窓から光が差していた。

春の光だった。

三週間前の夜とは、光の色が違った。

重さが違った。

柔らかかった。

【記録:202X年3月23日 10:44】

新会社「Margin Notes」、本格始動。

初案件:〇〇市・歴史アーカイブ復元。

陽菜の輝度、平常比上昇中。

本日の最優先記録:隣の人間。

キーボードの音が続いた。

陽菜が資料を一枚めくった。

「蓮さん、この文字、読めますか」

「読めます」

「どんな字ですか」

「『つなぐ』という字の、古い書き方です」

陽菜は少し間を置いた。

「いい字ですね」

「はい」

「私たちの仕事に似ています」

蓮は少し考えた。

「そうですね」

二人はまた、仕事に戻った。

春の光の中で、記録が続いた。

新しい記録が、積み上がっていった。


第71話 了


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