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「俺だけが全部覚えている~三年分の搾取を、事実だけで清算する~」  作者: ジキルぅ
第二章「静かな助走」

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第27話「黒い祝杯の終わり」

 前職のオフィスに、笑い声が響いていた。

黒川の笑い声だった。

「田端商事、再契約成立。これで今期の数字は盤石だ。どうだ、俺がいれば篠原がいなくても十分だろ」

周囲の社員が愛想笑いをした。本心ではないことは、誰の目にも明らかだった。でも誰も何も言わなかった。

黒川はネクタイを緩めながら、スマホで電話をかけた。

「ああ、例の件うまくいきましたよ。今夜、祝杯でも上げましょう。場所はお任せします」

帝都物産の担当者との約束だった。

電話を切りながら、黒川は笑った。

自分が今、どういう場所に立っているか。その地図が、黒川には見えていなかった。見えていたのは、目の前の勝利だけだった。

田中は黒川の背中を見ながら、トイレに立った。

個室に入って、スマホを取り出した。

震える手で、蓮の番号を押した。

蓮のスマホが鳴ったのは、夕方だった。

桐島のオフィスで資料を整理していた時だった。田中の番号を見て、電話に出た。

「篠原さん」

田中の声が、いつもと違った。潜めた声。緊張している。

「どうしましたか」

「部長が、やばいことを始めました」

「内容を教えてください」

「システム管理者の佐々木さんに無理を言って、篠原さんが在籍していた時のログイン履歴を書き換えさせようとしています。聞こえてしまったんです、部長が電話で話してるのを」

蓮は手を止めた。

「具体的には」

「情報漏洩の犯人を篠原さんに仕立て上げようとしてるみたいで。帝都物産から手に入れたデータ、その出所を隠すために、篠原さんが在籍中に社外に情報を流したという記録を作ろうとしているみたいです」

田中の声が震えていた。

「俺、どうすればいいですか。佐々木さんも断りたそうだったんですけど、部長が怖くて」

「田中さん」蓮は静かに言った。「今見たこと、聞いたこと、日時も含めて全部覚えておいてください」

「は、はい」

「それだけで十分です。あとは俺がやります」

電話を切った。

蓮は少し考えた。

ログの改ざん。

過去を書き換えようとしている。

でも黒川は知らない。

【記録照合:退職前処理、202X年〇月〇日】

退職の一週間前、蓮はシステムにある作業をしていた。意図してやったわけではない。ただ、記録しておきたかった。それだけだった。

会社のシステムには、通常のログとは別に、サーバーの深い層に書き込まれる「アクセス痕跡」がある。通常の管理者権限では書き換えられない領域だ。システムのバグを利用した、非公式の記録だった。

蓮はその存在を、退職時にたまたま発見していた。

そしてそこには、蓮の在籍中の全アクセス記録が、改ざん不可能な形で刻まれていた。

黒川が表層のログをどれだけ書き換えても、深層には真実が残っている。

【記録:黒川部長のログ改ざん試行、逆用可能。証拠確度:確定】

蓮はスマホを置いて、陽菜に連絡した。

同じ時刻、前職のシステム管理室では。

黒川が佐々木の椅子の後ろに立っていた。

「簡単だろ、こんくらい。在籍中の篠原のアクセスログ、ちょっと書き換えるだけだ」

佐々木が額に汗をかいていた。「でも部長、これは」

「いいから。誰にもわからないようにやれ。お前の仕事だろ、こういうの」

佐々木は渋々、キーボードに向かった。

黒川は後ろで腕を組んだ。鼻歌を口ずさんだ。

上機嫌だった。

田端商事との再契約、今夜の祝杯、そして篠原を完全に詰めるための最後の準備。全てが自分の思い通りに動いていると信じていた。

キーボードを叩く音が、管理室に響いた。

黒川は気づいていなかった。

自分がつついているのが、峰ではなく刃の側だということに。

陽菜の執務室は夜でも明るかった。

蓮が説明を始めると、陽菜はペンを置いて聞いた。

「黒川部長が使った機密データ。あれはもともと、帝都物産が意図的に流通させたものです」

「どういう意味ですか」

「ハニーポットという手法があります。罠として仕掛けるデータです。一見すると価値のある機密情報に見えるが、その中に追跡コードが仕込まれている」

蓮はテーブルにノートを広げた。

「三年前の資料を解読した結果、帝都物産はこのデータを複数の経路で流していました。目的は、データを使った会社がどこに情報を流しているかを追跡すること。そしてそのデータを使った事実そのものを、後で証拠として使うこと」

陽菜の目が細くなった。

「つまり」

「黒川部長がそのデータを田端商事に対して使った瞬間、帝都物産のサーバーに信号が飛びました。使用時刻、使用者、使用先、全て記録されています。帝都物産の手元に」

「それは」陽菜は静かに言った。「帝都物産が黒川部長を手駒として使い捨てる準備が整ったということね」

「はい。黒川部長は自分が勝ったと思っている。でも実際には、証拠を自分から量産しているだけです」

陽菜はしばらく黙っていた。

知的な興奮が、その顔に灯っていた。

「三年前の時点で、帝都物産はここまで設計していたの?」

「おそらく。ハニーポットを仕掛けて待つ。焦った会社が手を伸ばす。その瞬間を記録する。シンプルですが、完璧な罠です」

「そしてあなたは、三年前にその設計図を記憶していた」

「記憶していただけです。意味はわかっていませんでした。今、意味がわかりました」

陽菜はペンを手に取った。

「なら、その『流れた瞬間』を現行犯で押さえればいいのね」

「はい。帝都物産のサーバーにデータが飛んだ記録は、こちらからも確認できます。瀬川商事のシステムログと照合すれば、経路が証明できる」

「法務部に動いてもらいます」陽菜は立ち上がった。「明日、会議を設定します」

「もう一つあります」

「なんですか」

「黒川部長が今夜、俺の在籍時のログを改ざんしようとしています。でも表層のログを書き換えても、システムの深層に改ざん不可能な痕跡が残っています。黒川部長の改ざん行為そのものが、新たな証拠になります」

陽菜が止まった。

「……つまり、改ざんしようとすればするほど」

「自分で証拠を増やします」

陽菜は少し目を閉じた。

それから、静かに笑った。

今夜一番冷たい、でも確信に満ちた笑顔だった。

「放っておきましょう。好きなだけ、掘らせておけばいい」

夜、蓮は一人でオフィスに残った。

ノートパソコンを開いて、前職のシステムの深層にある痕跡にアクセスした。

リモートでの確認だった。退職時に、緊急アクセス用のパスを一つだけ残しておいた。使うつもりはなかった。ただ、念のため。

画面に、ログが表示された。

蓮の在籍中の全アクセス記録。日時、操作内容、ファイル名。全て、正確に残っていた。

そして、新しい記録が一つ追加されていた。

今夜の日時。システム管理者・佐々木のアカウントによる、表層ログへのアクセス。書き換え操作の痕跡。

改ざんの証拠が、深層に刻まれていた。

蓮は画面を見た。

黒川部長。

あなたが消したつもりの履歴は、今、俺の手元で再生されています。

一秒の欠落もなく。


第27話 了 


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