表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「俺だけが全部覚えている~三年分の搾取を、事実だけで清算する~」  作者: ジキルぅ
第二章「静かな助走」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/34

第19話「12,453,000円の清算」

 オフィスに入った瞬間、声が聞こえた。

「いい加減にしてください、お客様――」

受付の中村が困り果てた顔で立っている。その前に、二人がいた。

母と、麻衣。

母は肩掛けバッグを抱えて、目が据わっていた。麻衣は目を赤くして、ハンカチを握っていた。

「蓮。」

母が蓮を見た瞬間、声を荒らげた。

「なんなの、この会社。息子に会わせろって言ってるのに」

蓮は答える前に、隣の陽菜を見た。

陽菜は何も言わなかった。ただ、部屋を見渡した。それだけで、空気が変わった。

母が陽菜を見た。

黒いドレスコート、細いヒール、乱れのない髪。瀬川商事の営業企画部責任者の顔。値札のつかない格というものが、確かにあった。

母が何か言おうとして、止まった。

陽菜が静かに言った。

「彼に、ご用ですか」

低く、穏やかな声だった。

怒鳴っていない。凄んでいない。ただ、それだけで場が凍りついた。

桐島が応接スペースに全員を通した。

「蓮、すまん。止められなくて」

「いえ」

母がソファに座りながら、陽菜を見た。

「あんた、誰。蓮の新しい女?」

「取引先です」陽菜は答えた。笑顔だった。温度のない笑顔だった。「続けてください、お母さん」

お母さん、という言葉が棘になった。母が口を開きかけて、また閉じた。

麻衣が前に出た。

「蓮くん、話を聞いてほしいの。黒川さんに言われるまま動いてただけで、私は何も――」

「水沢さん」

蓮が遮った。

「今日、何時に母に連絡しましたか」

麻衣が固まった。

「俺に電話をした直後です。21時34分の着信の後、21時36分に母に連絡した。内容は『蓮に冷たくされた、一緒にオフィスに行って説得してほしい』。違いますか」

麻衣の顔が青くなった。

「なぜわかるんですか」

「あなたが追い詰められた時、必ず第三者を巻き込む。過去に十一回、同じパターンがあります。全て記録しています」

陽菜が静かにソファに腰を下ろした。観劇するように、足を組んだ。

母が立ち上がった。

「蓮、いい加減にしなさい。親に向かってなんて態度をとるの。私がどれだけ苦労してあなたを育てたか」

「2,142日間」

蓮は静かに言った。

「あなたは俺に『感謝しろ』と言いました。記録している限り、平均して一日一回以上です」

母が口を開けた。

「これまで送金した総額は、12,453,000円です」

数字が、部屋に落ちた。

「あなたが俺の養育にかけた推定費用を計算しました。公的統計の養育費平均と、俺が記憶している実際の支出額を照合した結果、推定費用は約4,400,000円。仕送り総額はその2.8倍に相当します。利息を含めても、債務は既に消滅しています」

母が「そんな計算」と言いかけた。

「202X年8月、23,000円。パチンコ店の領収書。俺が実家に帰った時、テーブルに置いてありました。」

母の顔が変わった。

「202X年11月、47,000円。ブランドのバッグ。翌月、仕送りが足りないと電話がありました。202X年3月、81,000円。旅行代金。行き先は温泉、同行者は近所の友人と聞きました」

「や、やめなさい」

「全部、日付と金額があります」

母の目が揺れた。

「お金の問題じゃないでしょ。親子なんだから」

「そう言うと思っていました」蓮は続けた。「では数字の話はやめます。別の話をします」

「202X年6月17日、午後11時」

蓮の声は変わらない。静かで、平坦だった。

「俺が就職活動で三社連続で落ちた夜、電話をしました。あなたは『どうせあんたには無理だったのよ』と言いました。通話時間は四分三十二秒です」

母が黙った。

「202X年9月3日、午前二時」

「俺が過労で倒れて救急搬送された夜、連絡しました。あなたの第一声は『今月の仕送りはいつ来るの』でした。」

「そ、それは――」

「覚えています。全部」

沈黙。

母が、絞り出すように言った。

「……あんたなんか、産まなければよかった」

部屋の温度が下がった気がした。

中村が息をのんだ。桐島が眉をひそめた。陽菜の目が細くなった。

蓮は少し間を置いた。

【記録:202X年9月11日 21:47】

母、「産まなければよかった」と発言。

「その言葉は」蓮は静かに言った。「通算十四回目です。最初は俺が九歳の時、202X年〇月〇日でした。想定内なので、私の心拍数に変化はありません」

母が、崩れた。

声が出なかった。言葉が出なかった。十四回という数字が、全ての感情論を飲み込んだ。

麻衣が立ち上がった。

「蓮くん、お母さんがかわいそうじゃない。もう少し――」

「水沢さん」

陽菜が立った。

静かだった。怒鳴らなかった。ただ、立っただけだった。

「見苦しいわ」

陽菜は麻衣を見た。

「彼の記憶を、これ以上汚さないで」

麻衣が言葉を失った。

陽菜が桐島を見た。「お願いできますか」

桐島が頷いて、立ち上がった。「お二人とも、お引き取りください」

母が何か言おうとした。麻衣が「待って」と言った。

でも桐島は動じなかった。中村が扉を開けた。

二人が廊下に出た。エレベーターのボタンが押される音がした。

怒鳴り声が聞こえた。麻衣の泣き声が聞こえた。

扉が閉まった。

静かになった。

しばらく誰も何も言わなかった。

中村が「すみません、お茶を」と言って奥に引っ込んだ。桐島が窓を開けた。夜風が入ってきた。

陽菜がソファに座り直して、蓮を見た。

「心拍数、本当に変わらなかったんですか」

「はい」

「嘘くさい」

「記録があります」

陽菜は少し笑った。今夜何度目かの、本物の笑顔だった。

「蓮さん」

「はい」

「掃除は終わりましたね」

蓮は窓の外を見た。エレベーターの前で響いていた声は、もう聞こえなかった。

「終わりました」

「では」陽菜は立ち上がった。コートの裾を整えて、蓮を見た。「次は私たちの『狩り』の時間です」

瀬川商事。三年分の不正。

蓮は頷いた。

事実は、ここにある。

全部、頭の中に。


第19話 了


この作品が少しでも気になったら、★評価とブックマークをいただけると励みになります。次回更新の力になります。引き続きよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
もう仕送りしなくても大丈夫そうやねw
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ