表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「俺だけが全部覚えている~三年分の搾取を、事実だけで清算する~」  作者: ジキルぅ
第二章「静かな助走」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/33

第15話「母からの手紙」

転職から一ヶ月半が経った頃、母から手紙が届いた。

LINEでも電話でもなく、手紙。封筒の文字は母の筆跡だった。

蓮はしばらくそれを手に持ったまま、テーブルに置いた。夕飯を食べてから開けた。

便箋が三枚入っていた。

最初の一枚は近況報告だった。体調のこと、近所の話、テレビで見た話。

二枚目から、本題になった。

『蓮へ。仕送りのこと、もう少し考えてくれないかしら。三万円では正直厳しくて、毎月末が怖い。年金が入っても、家賃と光熱費と食費でほとんど消えてしまって、医療費が出ないの』

蓮は頭の中で数字を整理した。

母の年金受給額は月およそ十一万円。これは以前、通帳を見せてもらった時に記憶した数字だ。二〇〇〇年〇月〇日、金額は十一万三千四百円。母が住む地域の1LDKの家賃相場は六万円前後。光熱費が平均一万五千円。食費が二万円とすれば、合計およそ九万五千円。年金だけで賄える計算だ。

ただし母は昨年、家賃七万八千円の物件に引っ越していた。理由は「前のマンションがうるさかったから」。その選択が今の不足を生んでいる。

蓮が毎月送っていた五万円は、純粋な不足分の補填ではなかった。母の「より良い暮らし」を支える上乗せ分だった。

三万円に減らした今も、年金と合わせれば十四万円になる。生活できないはずがない。

ただそれを母に言っても、「冷たい」で終わる。蓮はそれを何度も経験していた。

三枚目の最後にこう書いてあった。

『麻衣ちゃんが心配してくれていたのに、あなたがひどい別れ方をしたって聞いて悲しかった。あの子はいい子だったのに。お母さんはあなたの幸せを願っているから、こんなことを書いています』

麻衣が母に連絡を続けていた。

別れてから一ヶ月以上経って、まだ連絡を取っている。

(二〇〇〇年〇月〇日。母からの手紙。麻衣との連絡継続を確認)

記録した。感情は動かなかった。ただ、事実として記録した。

蓮は便箋を封筒に戻して、引き出しにしまった。

返事は書かなかった。

翌週、蓮は時間を作って母に電話した。

「手紙、読みました」

『あら、珍しい。ちゃんと読んでくれたの』

「読みました。仕送りの件ですが、来月も三万円です」

沈黙。

『なんで。手紙に書いたでしょ、医療費も出ないって』

「お母さんの年金が月十一万三千四百円あります。今の家賃が七万八千円。光熱費と食費を合わせれば年金だけでほぼ賄える計算です。三万円の仕送りを足せば月十四万円になります」

『そんな細かい計算、いつしたの』

「前に通帳を見せてもらった時に覚えました」

沈黙。今度は少し長い。

『……覚えてるの、そんなこと』

「覚えています」

母はしばらく黙っていた。蓮が数字を正確に把握していると気づいた時の沈黙だった。感情で押すことができなくなった時の、あの間だ。

『でも今の家は気に入ってるし、引っ越せないわよ』

「引っ越せとは言っていません。三万円の仕送りで生活できるはずだと言っています」

『できないのよ、実際』

「何にいくらかかっているか、一度整理してみてください。一緒に考えます」

『蓮に家計を見られたくないわよ』

「では俺には判断できません。三万円でお願いします」

また沈黙。

それから母は声のトーンを変えた。

『麻衣ちゃんとのこと、本当にいいの? あの子、あなたのことまだ』

「麻衣さんの話は関係ありません」

『そんなこと言って、あの子が心配してくれてるのに』

「お母さん、一つお願いがあります」

『なに』

「麻衣さんと連絡を取ることは止めません。ただ俺の情報を伝えるのはやめてください」

『大げさね』

「お願いします」

沈黙。

『わかったわよ』

低い声だった。納得ではなく、一時的な折れだとわかった。でも今はそれでいい。

「ありがとうございます。仕送りは来月も三万円、月末に振り込みます。では」

電話を切った。

蓮はスマホをテーブルに置いて、少し天井を見た。

怒りはなかった。ただ静かな疲労感があった。数字で話しても、感情で返してくる。それに対してまた数字で返す。消耗する会話だったが、これが正しいやり方だと蓮は思っていた。

感情に引きずられれば、また元に戻る。

数字だけが、蓮を守る。

マルシン印刷の案件が正式に受注になったのは、その翌日だった。

桐島から「取れた」とだけLINEが来た。

蓮は「ありがとうございます」と返した。

小さな一歩だったが、確かな一歩だった。


第15話 了


この作品が少しでも気になったら、★評価とブックマークをいただけると励みになります。次回更新の力になります。引き続きよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ