第12話「前の会社の話」
新しい職場に慣れるのに、一週間もかからなかった。
仕事の進め方、チームの空気、各メンバーの強みと弱み。全て把握した。坂本は分析が強いが提案が弱い。中村は人当たりがいいが数字に弱い。桐島は戦略眼があるが細部を詰めるのが苦手だ。
それぞれの穴を、蓮が埋めればいい。
そういうシンプルな話だった。
二週目の火曜日、中村から声をかけられた。
「篠原さん、前の会社ってどんなとこだったんですか」
昼休み、二人でコンビニに行く途中だった。
「普通の中小企業です」
「なんで辞めたんですか。桐島さんに引き抜かれたから?」
「それもありますが、環境が合わなくなったので」
「環境、ですか」中村は少し考えた。「ブラックだったとか?」
「ブラックという定義次第ですが、働く量は普通でした。ただ」
蓮は少し間を置いた。
「正当に評価される場所ではなかったです」
「あー」中村は頷いた。「そういうとこありますよね。俺も前の会社そうでしたよ。手柄を上司に持ってかれる感じの」
「そうです、そういう感じです」
「腹立ちますよね」
「……まあ」
腹立ちますよね。その言葉を聞いて、蓮は少し考えた。怒りがあったかどうか。今もあるかどうか。
正直、よくわからない。怒りというより、記録だった。あの三年間は全て、頭の中に収まっている。感情ではなく、データとして。
「篠原さんって怒らないんですか」中村が言った。
「怒ることが少ないだけです」
「うらやましいな。俺すぐ顔に出るんで」
蓮は苦笑した。「それはそれでいいと思いますよ」
その夜、前の会社の田中からメッセージが来た。
『篠原さん、いなくなってから大変なことになってます』
蓮は少し眉を上げた。
『どんな感じですか』
『田端商事の引き継ぎ、めちゃくちゃになってて。後任の人が資料読めてないみたいで、鈴木部長から直接クレームが来たらしいです』
『そうですか』
『黒川部長もかなり焦ってて、篠原さんに連絡しようとしてた気がしますよ。やめた方がいいですよね』
蓮は少し考えた。
『引き継ぎ資料は完璧に作りました。資料の通りにやれば問題ないはずです』
『そうなんですけど、そもそも後任の人が篠原さんのレベルじゃなくて』
(二〇〇〇年〇月〇日、二十一時十二分。前職・田端商事案件、引き継ぎ失敗の報告)
記録した。
『田中さん、大変だと思いますが頑張ってください』
『篠原さんが言うと励みになります。またどこかで飲みましょう』
『はい、またいつか』
スマホを置いた。
前の会社のことは、もう蓮には関係ない。引き継ぎは完璧にやった。後はそちらの問題だ。
でも覚えておく。全部。
ただそれだけだ。
第12話 了
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