第11話「新しい朝」
月曜日の朝、蓮はいつもより十分早く目が覚めた。
アラームが鳴る前だった。カーテンの隙間から光が入っている。蓮はしばらく天井を見つめてから、起き上がった。
今日から、新しい場所に行く。
特別な感慨はなかった。ただそれが、事実としてあるだけだった。
桐島のオフィスに着いたのは、八時五十分だった。
「おう、来たか」
桐島が入口で待っていた。珍しい。
「わざわざ出迎えていただかなくても」
「初日くらいはな」桐島は笑った。「入れ」
オフィスには三人のスタッフがいた。
一人目は坂本。三十歳、元コンサル会社出身。細身で眼鏡をかけている。「よろしくお願いします」と言った声は静かだったが、目が鋭かった。
二人目は中村。二十七歳、蓮と同い年。元IT系営業。人懐っこい笑顔で「篠原さんの話、桐島さんからめちゃくちゃ聞かされてましたよ」と言った。
三人目は渡辺。四十五歳、経理担当。「数字のことは任せてください」と短く言った。
四人。桐島を入れて五人の小さなチームだった。
蓮はそれぞれの顔と名前と第一声を、完全に記憶した。
午前中は桐島からの業務説明だった。
現在の案件状況、クライアント一覧、課題となっている領域。桐島が話す情報を、蓮は一言一句吸収した。メモを取る手が途中で止まった。
「メモしなくていいのか」桐島が気づいた。
「頭に入っています」
桐島は少し笑った。「そうだったな」
説明が終わった頃には昼になっていた。
「どうだ、何か気づいたことはあるか」
蓮は少し考えてから答えた。
「三点あります」
「言ってみろ」
「一つ目、既存クライアントへのフォローの頻度が低いです。二つ目、提案資料のフォーマットが案件ごとにバラバラで、クライアントに統一した印象を与えられていません。三つ目、新規開拓の動線が桐島さん個人に依存しすぎています」
沈黙。
坂本が少し目を細めた。中村が口を開けた。
桐島は三秒ほど蓮を見てから、ゆっくり頷いた。
「午前中の説明だけで、それが見えたのか」
「はい」
「全部正しい」桐島は苦笑した。「俺が三年かけて気づいたことを、お前は三時間で見抜いた」
「記憶しているだけです。分析は桐島さんの方が上だと思います」
「謙遜するな」桐島は立ち上がった。「昼飯にしよう。今日は俺が奢る」
ランチから戻って、蓮は自分のデスクに座った。
新しいパソコン、新しいデスク、新しい景色。
前の会社と何が違うか。騒がしさがない。無駄な会話がない。全員が同じ方向を向いている感じがする。
それだけで、蓮には十分だった。
午後から提案資料のフォーマット統一案を作り始めた。誰に頼まれたわけでもない。ただ、必要だと思ったから動いた。
夕方、帰り際に桐島が蓮のデスクを覗いた。
「もう作ってるのか」
「たたき台だけ」
「明日見せてくれ」
「はい」
退社した。夜風が心地よかった。
前の会社を出た日と同じ夜風だった。でも今日は、歩く方向が違った。
第11話 了
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