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9:さよならの後で…

 宿へと戻る道の途中。アイネはクロードの手を引いて歩いていた。

 太陽は既に沈んでいて、中央広場こそまだ明るかったものの、この辺りの通りは薄暗く人気もなかった。

 ここまで来るとアイネは立ち止まって、クロードの手を放した。

「…ごめんね、こんな事になるなんて思ってなかった」

 申し訳なさそうに、そう言う彼女。けれど彼は何も返せなかった。

 いや、それは違う。アイネが謝る必要なんて、どこにもない。そう思っているのに、心は凍てついたままで、何も言葉が出て来なかった。

「魔界へは…、私一人で行くから」

 しかし続く彼女の言葉を聞いた瞬間、彼の中で感情が一気に燃え上がった。

「! …アイネが悪魔王と戦うなら、僕もっ」

 勢いだけの台詞だったけれど、悪魔王は好きなだけ半魔を連れて来いと言っていた。彼女が一人で行く必要なんてないだろう。

 けれど彼女は、それを否定した。

「大勢を連れて行ったって、アレを喜ばせるだけだよ」

 そう言って苦笑いを浮かべる。

「元々は、自分に転生の魔法を使うつもりだったって、言ってたでしょう? 負けたからって潔く殺されるつもりなんて、アレには初めからないんだよ」

 確かに悪魔王は、そう言っていた。そして自分が負けた時の話なんて、一切していなかった。

「それに、もしもクロードが操られてしまったら、私はクロードと戦わないといけなくなる」

(…僕が、アイネと…?)

 彼には想像も出来なかったが、彼女は高い確率でそうなるだろうと思っていた。だからこそ先程も、あの場でクロードの事に言及しなかったのだ。解放しろだの何だの言えば、悪魔王は絶対に面白がるだろうから。

「そんなの…、アイネが居れば、悪魔王が相手だって…」

 彼女は悪魔王と同じ支配種だと言う。だったら彼女が居れば、半魔だって一緒に戦えるはずだ。

 しかし彼女は、それもまた否定した。

「支配力はアレの方が上なの。そうでなかったら、前世でも悪魔を味方にしてる。アレと戦えるのは、私だけなんだよ」

 言われてみれば確かに。そんな便利なものなら、彼女だって悪魔を従えていたはずだ。彼女の言っている事は全て正しい。

 更に言えば、今の地上には大勢の半魔がいる。

 もしも悪魔王が地上まで出て来てしまったら、人類社会は滅茶苦茶にされてしまうだろう。もちろん彼女の家族も。

 だから化け物との因縁より家族を選んだ彼女としても、魔界での決着は望むところであった。

「うっ、あぁ…!」

 それでも何とか否定しなければ。

 そう思うのに、言葉は何も出て来なかった。考えれば考えるほど、半魔として生まれた事自体が間違いだったとしか思えない。これまでは頼もしく思えていた力が、今は心底疎ましかった。

「だから…、クロードは村へ帰って。もう追いかけて来たらダメだよ」

 そしてアイネは、ハッキリとそう命じた。

 その言葉は彼の魂にまで刻まれ、逆らう事の出来ない絶対の命令となる。

「…あ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 言われてしまった。最も言われたくなかった、その言葉を。

 もう一緒にはいられない。もう追いかける事も出来ない。二人の道は、ここで完全に分かれてしまったのだ。

「さよなら、クロード。…父さんに、ごめんねって、伝えて」

 寂しげに笑う彼女を見て、彼は全てを理解する。戦いの結果がどうであろうと、きっと彼女が戻って来る事はないのだと。

 そもそも相手は、いつでも百年後へ逃げられる化け物。そんな相手を、どうやって倒すと言うのか。それは…唯一対抗出来る存在として、彼女も追いかけるしかないだろう。

 次の瞬間、アイネは姿を消した。魔法を使って、何の痕跡も残さず、まるで初めからいなかったかのように。

「…アイネーっ!」

 後にはただ、立ち尽くすクロードだけが残された。


        ◆    ◇    ◆


 暗闇に不気味な唸り声が響き渡る。

「うぅぅぅぅ…!」

 夜の街路に立ち、一人力むクロードの姿がそこにあった。

 アイネが居なくなってからずっと、彼は何とか彼女を追いかけようと奮闘を続けていた。

 ちなみに悪魔憑きの事があるので、唸り声を上げる不審者がいても、一般の人は無暗に近付いたりしない。

(…アイネを追いかけようとすると、体が動かなくなる。…なら次は、もっと別の方法を…)

 力技ではどうにもならないとみて、彼は別の方法を試す事にした。

(…村へ帰る…村へ帰る…)

 この強制力を騙そうとして、心の中でそう唱えながら南へ数歩。そこから、おもむろに大渓谷のある北へ向かおうとする。

「うぅぅぅぅ…!」

 しかし結果は同じだった。それでも彼は、進んでは振り返り、進んでは振り返り、何度もそれを繰り返す。

 やがて彼は自分たちが、どうやってこの王都までやって来たかを思い出した。

(…そうだ! 僕がダメでも、馬が勝手に向かう分には…!)

 魔界は元々、歩いて向かうような場所じゃない。馬を預けた宿まで、急いで駆け戻った。

 そして厩舎で待つ自分の馬へ勢いよく跨ろうとしたが、しかし彼の足は動かなかった。

「…くそっ!」

 何度か虚しい努力を続けた後、彼は厩舎の床へ倒れ込んで手足を投げ出した。さすがに彼と言えども、ここまでに受けた徒労感は決して小さいものではなかった。

 元より体の自由を奪われた訳ではないのだ。彼の魂が彼の意思に反して、命令を実行しようとしているだけで。アイネを追いかけようとしている事は、自分自身が一番よく分かっている。その自分を騙す事など出来はしなかった。

(…アイネは正しい…)

 実際のところ、本当は追いかけない方が良いのだろう。そんな事は分かりきっている。

 このままアイネを忘れて村へ帰れば、きっとありきたりで幸福な未来が待っているのだろう。

 だが、それでも…。


 どのくらいの間、そうしていたのだろうか。

 気が付けば厩舎の外は、明るくなって来ていた。いつの間にか、眠っていたらしい。

「………よし」

 再び挑戦する為に起き上がろうとして、クロードはある事に気が付いた。自分の体が妙に軽くなっていたのだ。

「?」

 とても活力に満ちていて、今すぐにでも魔界まで走って行けそうなくらいだった。睡眠の効果だろうか。

 試しに馬へ跨ろうとすると、今度は普通に乗る事が出来た。

 そのまま歩き出すように指示を出すと、馬は難なく北へ向かって歩き出した。

 何と言う事だろう。彼の思いが、奇跡を起こしたに違いない。…なんて。

「………」

 クロードは、アイネの命令がそんな簡単に解けるはずがないという疑問から目を逸らし、魂へ呼びかける『魔界へ来い』という声にも気付かないフリをした。

(…諦めたらダメだって言ったのは、アイネじゃないか…)

 ここで追いかけなければ、二度と彼女に会う事は出来ないだろう。幸福な別れなんて、彼は望んでいなかった。


 馬を走らせ荒野を越えて、大渓谷の底の底、悪魔の住まう魔界へ向かう。

 魔界での旅は思いのほか順調で、不思議なくらいに悪魔と遭遇せず、辿り着いた悪魔王の城で、クロードはついにアイネとの再会を果たすのである。

…届いた!?

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