3:この世界の風景
夜の内に遠出の準備をして、翌朝には馬に乗って村を出発したクロードは、当初すぐアイネに追いつけると思っていた。追いつけないまでも、情報ならすぐ手に入るだろうと。
しかし途中どの村に寄っても、彼女は暴れるどころか目撃情報すらない。彼女の足取りは、完全に途絶えていた。
焦りのままに馬を走らせたクロードは、やがて領都へと辿り着いた。
(…とうとう、ここまで来てしまった。一体アイネは、どこへ行ったんだろう…)
ここはこの辺り一帯を治める領主のいる町で、メイン通りには木造二階建ての建物が立ち並び、多くの人々が行き交う大都市だった。彼としてもここまで来るのは初めてなので、こんな時でもなければ、ゆっくりと見て回りたかったところだが。
村からどこへ向かうにしても、この町は必ず通る事になる。しかしこの先には王都のある北、王都に次ぐ大都市のある東、港町のある西と色々な選択肢がある。
一応、可能性が高いのは北だろうか。だがそれも父がアイネの質問に対して、王都と答えていたというだけに過ぎない。
(…あの時のアイネは、首を傾げている様子だったし…)
この選択を間違えれば、大幅に時間をロスする事になる。どんなものでもいいから、アイネに関する情報が欲しいところだ。
クロードはひとまず宿をとって馬を預けると、情報を求めて町を歩き回った。
しかし、ずっと田舎の村で暮らしてきた彼に、都会での情報の集め方など分かるはずもない。
唯一見つけた話を聞けそうな人物は、金を貰って歌や詩を吟じる楽士だった。
町の中心として賑わう広場にあって、その楽士は端っこのベンチに座り、一人楽器を爪弾いていた。
「よう、兄ちゃん。俺に目をつけるなんて、お目が高いね。金さえ払えば何でも歌ってやるぜ?」
クロードに気付いた楽士は手を止めて、向こうから声をかけてきた。ちなみに彼がその楽士に目をつけたのは、一番暇そうで話しかけやすいと思ったからである。
「悪魔憑きの少女を探してるんだ。何か知らないか?」
彼は金を渡しながら、アイネの事を尋ねた。相場など知らないが焦りもあって、少し多めに渡したつもりだ。
「いやいや、兄ちゃん。俺がやってるのは、そういう仕事じゃないから」
しかし楽士はそう言って肩を竦め、それでいて金は素早く懐に入れた。突然の都会の洗礼に、クロードは呆気にとられてしまった。
「まあ代わりに、一番有名な悪魔の話を聞かせてやるよ」
楽士はそう言って楽器を爪弾くと、彼が何か言う前に朗々と歌い始めた。
『今から百年ほど昔の話。北の王都の更に北、地の底まで続く大渓谷から、悪魔の軍勢が現れた。
悪魔の軍勢を率いるは、彫像のごとく美しき悪魔王フォルマ。配下の悪魔たちは全て上級、当時の魔法を持たない人類は風前の灯火かと思われた。
しかしフォルマは怠惰なる王。人の命も配下の悪魔も娯楽の為に使い潰し、不毛な戦いはまるで終わりが見えなかった。もはや悪魔王以外の生命が全て死に絶えるまで続くかと思われた戦いに、一つの希望が現れる。魔法の力を我がものとした英雄リオンの登場である。悪魔王の侵攻からここまで、実に十余年の月日が経っていた。
英雄リオンは魔法を駆使して上級悪魔たちを次々と倒し、ついには己の命と引き換えに悪魔王フォルマを討ち滅ぼしたのである』
それはクロードでも、やんわりと知っているくらいに有名な英雄譚だった。詳細を聞いたのは初めてなので、こんな時でもなければ興味深く聞く事も出来たのだが。
思うところはあったが、途中で遮るのも立ち去るのも失礼に思えて、彼が律儀に演奏が終わるのを待っていると、不意に広場の中心の方が騒がしくなった。
「おっ、兄ちゃん運が良いな。どうやら悪魔憑きが出たみたいだぞ」
「!」
楽士のその言葉を聞いたクロードは、それまでの事など忘れて走り出した。
「…さて、そろそろ場所を変えるか」
実のところ、楽士の言葉はクロードを煙に巻く為の方便だったが、結果としてそれは正解を引き当てたので、彼がそれに気付く事はなかった。
広場の中心には人だかりが出来ていて、その向こうには一人の少女がいた。
(…アイネじゃない…)
その少女を見た時、クロードは落胆すると同時に安堵した。
「アガガガガッ!」
その少女は口を開けたまま、奇声を上げ続けていた。そして周囲の物へと、手当たり次第に両腕を叩きつける。少女は完全に正気を失っていた。
それはあの日見たアイネの状態とは、あまりに違っていた。アイネを探し求めている彼が、アイネでなくて良かったと思う程に。
(…やっぱりアイネは、悪魔憑きじゃないのか? でも、だったら何故…)
そんな事を考えていると、この騒ぎを聞きつけて、この町の騎士たちがやって来た。
「離れて! 道を空けて!」
騎士とは村ではなく、国王や領主に雇われた兵士のようなものである。彼らは高度な訓練を受けており、暴れる少女一人など、あっと言う間に取り押さえてしまった。
「…可哀想にね」
少女が連れて行かれるのを見て、その身を案じる声もあったが、基本的には皆一様に安堵した様子で散って行く。村では一度も見た事のない悪魔憑きだったが、ここではそう珍しい事でもないらしい。
ただ悪魔憑きのその後はちょっと気になったので、少し考えてからクロードは連行していく騎士たちについて行く事にした。
すると騎士たちはメイン通りを真っ直ぐに進んで行き、やがてこの町で一番大きな敷地を持つ建物、領主邸の中へと入って行ったのだった。
領主が一体、悪魔憑きをどうするのか気になりはしたが、さすがにこの中まで追いかける訳にもいかないだろう。
仕方なく柵越しに領主邸の中を眺めつつ、この後の予定を考えながら歩いていると、ほんの一瞬、見覚えのある人影が視界に入った。
「!?」
すぐに建物の陰に隠れて見えなくなってしまったが、クロードが彼女を見間違えるはずもない。その人影は、間違いなくアイネだった。
彼は考える間も惜しんで門まで戻ると、敷地の中へ入ろうとしたが、当然門番をしている騎士に止められてしまう。
「おっと。おい君、ここは領主様の館だ。用のある者しか入れないよ」
ガタイも良く、気も良さそうな騎士が片手を上げて通せんぼをした。
「今ここにアイネが!」
焦るクロードは、相手がアイネの事など知らない事すら思い浮かばない。
「? …ああ、名前は知らんが先程の少女の知り合いかな。可哀想だが諦めなさい。悪魔憑きになったら、もう元には戻らないよ」
案の定、相手の騎士は先程の悪魔憑きの少女の事だと勘違いした。
「いや、そうじゃなくて!」
気ばかり焦って、うまい説明が出て来ない。それでなくとも騎士は気さくではあったが、あまり親身になってくれる様子がなかった。
「あー、ダメダメ。あんまりしつこいと、君も牢に入って貰う事になるよ」
「っ…」
せっかくアイネが見つかったというのに、こんなところで拘束されてはたまらない。結局クロードは、仕方なく引き下がる事にしたのだった。




