2:太陽が目覚める時
クロードが初めて悪魔を退治した日の夜。夕食のスープはいつもより少し肉が多めだったし、クロードはいつもより少し饒舌だった。
そんな食卓で、父が言った。
「そう言えば今日、村長からアイネを息子の嫁に欲しいという話があった」
「え!?」
それを聞いたクロードは素っ頓狂な声を上げて、父が少し驚いたような顔をしたけれど、当のアイネは特に何を感じた様子もなかった。
「お前ももうすぐ十五だ。お前の好きにしていい」
「…はい」
アイネの意思を尊重するという父の言葉にも、彼女はずっと心ここにあらずといった感じだった。
一方のクロードはと言うと、そこからはもう何を話したかも覚えていなかった。
この家には狭いながらも、家族それぞれに自分の部屋というものがある。クロードは自室に戻ってから、何をする気にもなれずベッドに突っ伏していた。
先程の話は彼にとって衝撃的だった。正直なところ、この家からアイネが居なくなるなんて、これまで一度だって考えた事もなかった。
しかし彼が一人前の兵士になるように、彼女もいずれは結婚をしてこの家を出て行くのだろう。それはこの村では、当たり前の事だ。当たり前の事だけれど…。
この今の日常が、ずっと続けばいいと思ってしまう。
クロードがそんな事を考えていると、部屋のドアがノックされた。
「? …はい」
彼が起き上がって返事をすると、ちょっとだけドアが開いて、隙間からアイネが顔を出した。
「…こんばんは」
彼女にしては珍しく、随分と遠慮がちな様子である。
「どうかしたの?」
彼がそう尋ねてみても、彼女の態度はハッキリとしない。
「うん、ちょっとね。…クロードと話がしたいと思って」
彼女は部屋に入って来たが、その場から動かずにドアへと背中を預けた。
「何て言うかね、父さんには好きにしていいって言われたけど…。結婚って言われても、正直なところ全然ピンと来なくて」
どうやら彼女は驚いていなかったのではなく、受け留められていなかったようだ。
「…うん、それは、僕も」
彼女も同じ気持ちであった事に、クロードはどこか安堵した。
「あはは…、だよね」
彼の言葉に彼女は笑って見せたが、どこか空虚なその笑顔に胸が痛んだ。
「でも、あのクロードがもう立派に一人前の兵士なんだし、変わって行くのも当然かな…」
“あの”の部分で彼女が何を思い浮かべたのか何となく分かったが、さておき彼女にしても考えて辿り着く答えは彼と同じだった。
日常とは、変わって行くものである。
彼女と離れ離れになるなんて、今はとても想像が出来ないけれど。それでもいつか、当たり前と思える日が来るのだろうか。
だけど、そうだとしても…。
「僕らは生まれる前から一緒だったんだ。その事は、これからもずっと変わらないよ」
この日常が変わってしまうのだとしても、自分たちの繋がりは決して消えはしない。
なんて。それは彼女への励ましというよりも、彼が自分自身へと言い聞かせているような言葉だった。
「…そっか、うん。そうだよね、生まれる前から…」
その言葉を聞いて、彼女は一瞬笑顔を返そうとした。
けれどその笑顔は、途中で固まってしまった。
「生まれる前、から…?」
クロードは初めそれを、彼女がその言葉を噛み締めているのだと思った。
「…生まれる…前に…」
しかし彼女はうわ言のように繰り返した後、何かを堪えるように額を押さえると、ふらりと部屋を出て行ってしまった。
「アイネ?」
不思議に思った彼は少し迷ってから、やっぱり気になって彼女を追いかけようとした。
その時、突然部屋の外から何かを叩きつけるような音がした。
「!」
驚いて部屋から飛び出すと、そこには父が、壁へもたれかかるようにして倒れていた。
たくさんの光を放つ棒のようなもので磔にされ、その内の何本かは体に突き刺さり血が流れている。
「ぐっ…」
そして、そんな父を無感動に見下ろしていたのは…、アイネだった。
アイネの周囲には、他にも光る棒や円盤が浮かんでいた。
彼女はぼんやりしている事もあったが、基本的には笑顔でいる事が多かった。しかし今目の前にいる彼女は、感情が抜け落ちたかのような無表情だった。
「!?」
今のこの一瞬の間に、一体何があったのか。クロードは理解が追いつかなかった。
そうこうしている間にも、彼女が右手を振り上げると、光る棒が改めて動けない父へと狙いを定めた。
「何をしてるんだ、アイネ!」
思わず叫ぶと、彼女は不思議そうな顔で彼を見た。それはまるで今の今まで、彼の存在を忘れていたかのような表情だった。
「…クロード?」
一瞬だけ、いつもの彼女が垣間見えた気がした。
しかし次の瞬間には、彼女がすっぽり隠れられそうな円盤が、二人の間に割って入って彼の接近を拒んだ。
(…これは、魔法だろうか? こんな魔法は見た事がない…)
彼女は少し迷いを見せたが、改めて父へ向き直ると、今度はおかしな質問をした。
「あなたたちの王はどこ?」
この国の王様は王都にいる。たとえ王都の場所は分からなくても、王様が王都にいる事はこんな田舎の子供でも知っている。
「…国王様なら、王都にいる」
父は疑問に思いながらも、痛みに耐えてそう答えた。しかし質問をした当のアイネは、その答えに首を傾げるだけだった。
「?」
そんな彼女の反応に、クロードも首を傾げる。彼女が一体、何を言わんとしているのか分からない。
「っ…」
けれど、これ以上の質問には意味がないと思ったのか、次の瞬間には彼女の姿がかき消えた。
それはまるで、初めから存在してはいなかったかのように、一瞬の出来事だった。
「うっ…」
アイネが消えるのと同時に、光る棒による縛めも消えていた。
「父さん!」
クロードは少し迷ってから、ひとまず父の看護を優先する事にした。
本当は今すぐにでもアイネを追いかけたかったが、目の前で血を流す父を放って置く事は出来ない。
幸いな事に近くで見てみると、傷は思ったよりも深くなかった。
(…手加減、していたのか?)
手当ての道具を取りに立ち上がろうとしたクロードの腕を、父は強く握って引き留めた。
「俺の事はいい。それよりも、アイネだ」
見た目よりも浅かったとはいえ、あんなもので幾つも刺されたのだ。痛くないはずもないが、父は必死に語りかけてきた。
「あれは恐らく、悪魔憑きだろう」
魔法の使える者が突然、人が変わったように暴れる事があると言う。
それがまるで、悪魔にでも憑りつかれたかのように見える事から、悪魔憑きと呼ばれているが、その原因は未だに分かっていない。
(でも…、あの時のアイネは、人が変わったようには見えなかったけど…)
父は真っ直ぐにクロードを見て言った。
「少し早いがお前ももうすぐ十五だ。行けるな?」
怪我を負った父に代わって、アイネの後を追いかけろ、という事だろう。
多少の疑問はあるものの彼としても、あのようなアイネを放って置く事など出来ない。
「…うん!」
クロードは力強く頷き返していた。




