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静かに暮らすつもりでした

作者: 宵紘


 均整のとれた肉体美、寡黙な美丈夫。そして第一王位継承者という文句の付けようがない地位。彼に対する周囲の評価は、概ね賛美に溢れている。当然、国の内外から縁談の声は絶えず、引く手数多。なのに、浮いた話のひとつもない身持ちの堅い我らが王国の太陽。それが私の秘密の婚約者であるディアン殿下。


「……誰もが羨むこの婚約は、残念なことに、私の死亡フラグでもあるのよね……多分」


 前世、と呼んでいいのかも分からないくらい曖昧で、不確かすぎる記憶の中で、私は殿下の姿を見たことがある。あれはまだ、殿下と出会う前のこと。時折夢で見る、こことは違う世界の記憶たち。年の頃は十五といった程度だろうか。現実の自分よりも大人びている夢の中の私は、よく友人らしき人物と談笑していた。

 その時の友人や私の手にはいつも、様々なものを映す不思議な薄い板があり、その中でも特に心惹かれたのは、現実世界では再現のしょうがない美しい絵。周りの心配を他所に、とにかく「あの夢をもっと見たい!」と、希う日々が続いた。

 そんなある日の夢の中。薄い板に麗しい青年と可愛らしい少女が睦まじくダンスを踊る絵が映し出されたことで、私の世界は一変する。

 一目惚れだった。目覚めた私は数刻ほど、心ここに在らずといった状態だったと、あとから使用人に聞いたくらい、美麗な青年が焼き付いて離れなかった。

 まだ私も幼い子供と呼べる年頃で、"初めての恋"という熱に浮かされていたのだなと、今なら分かる。あの絵の中の少女と自分は似ても似つかないというのに、ただただ、あの青年に会いたいと、会えればきっと素敵な恋ができるのだと、そう信じてしまった。


「この度は、我が娘との縁談を快諾いただき、身に余る光栄と存じます」


 恭しく頭を垂れる父に倣い、私も拙いながら最上級の礼をとる。数ヶ月前にマナーの家庭教師がついたばかりの少女が粗相をしたところで、咎めるような狭量ではないとは思うものの、そこはやはり王の御前。緊張で朝からお腹が痛かった。気楽にと声をかけていただいたが、その後に出されたお茶もお菓子も味がしなくて、とにかく、顔合わせとやらが早く終わってくれるように祈ったことを覚えている。


「ふむ、お前の娘はこの状況がよく分かっていると見える。名はアナスタシアだったか? 聡いな。あぁ、そう固くなるな、紹介しよう。息子のディアンだ」


「おぉ、ディアン殿下! 大きくなられましたな」


 国王陛下の声に導かれ室内へやってきた男の子は、幼いけれど、あの夢の青年だとすぐに分かった。あの時は運命だと本気で思ったのよね。舞い上がった私は何を話したのかも全く覚えてなくて、気がついたら翌日の朝だった。

 冷静になってから、なにか仕出かしたのでは? と、焦った私は、定期的に設けられるはずの交流の場でまずは誠心誠意、謝罪しようと決意した。決意したのだが……お互いの都合がなかなか合わず、顔合わせの日から実に数年ぶりに、貴族学校で私達は再会した。


「え!? じゃあ顔合わせ以来、一度も会ってなかったってこと? 信じられない!」


 マデリーンがいつもの調子で大袈裟に驚いてみせる。この子は悪い子じゃないんだけど、リアクションが大きいところは玉に傷、なのよね。

 教科書を片付けながら、私は話を続ける。彼女の趣味である手作りお菓子のご相伴に預かったお返しに、なにか面白い話はないかとせがまれたからだ。


「そうよ。流行病だったり、遊学や視察の同行だったり、色々とね。理由は納得できるものばかりだったわ。まぁ……流石に避けられてるなって途中で気づいたけど」


 交流がもてないのは問題だとして、当初は文通をしていた。日常のこと、将来の話、他愛のない内容に、時には小さなプレゼントをつけて。それが楽しみだった時期もある。けれど、いつしか殿下から届くそれは事務的な内容に変わり、それと同時に、こちらから送る手紙の数も自然に減っていった。この一、二年はなんの音沙汰もない。


「潮時、ということなのよね……」


 今、この国では力をつけている新興貴族が増えている。国力が上がったと取れば良いことではあるが、古参の、歴史だけあるような貴族は淘汰される未来が待っている。我が家もしかり。流石に今すぐに没落するような状況ではないけれど、相性どころか、交流さえも上手くいっていない昔の約束など、白紙に戻して乗り換えるべきと、そう判断されても別段おかしくない。

 そしてなにより、夢で見たあの美しい舞踏会の場面が、私の暗い未来への序章であると、今は確信している。自分が悪役なのだと決定付ける、そんな悪夢を学園に入学してから度々見ていた。結末は多々あれど、処刑される未来もあるのだから、正直、やってられないわ。


 殿下との文通が途絶えた辺りで、私はいかに穏便に婚約解消をするかということに注力すると決めた。元々派手な生活でもなかったし、楚々とした目立たぬ生徒として静かに過ごし、ただ王家からの打診を待つ他ないと結論づける。

 他のご令嬢のように殿下に擦り寄ることもなく、なるべく関わらず、勉学でも目立つような行動はしないように。驕らず、過信せず、ただ、凪のように静かに、静かに……。


「そっか! だから最近話題の令嬢が、せっせと彼の世話を焼いていても怒らないわけね? 婚約者なのに!」


「ちょ、声が大きいわよ!」


 帰り支度をする生徒達の喧騒に紛れて、マデリーンの声は特に気にされていないようだった。一応近くにいる生徒にチラッと視線を走らせるが、問題はなかったようね。ほぅと息を吐き、小さくマデリーンに注意する。殿下の婚約者が私であるというのは秘密なのだ。

 王と父の意向により、正式に婚約発表をするのは学校を卒業してから。それにかこつけ、私は婚約破棄後の混乱を極力避けるために、婚約発表するまで現状を維持し、このまま過度な接触をお互い避けるようにと殿下への手紙に書いていた。おかげさまで入学後に再会はしたものの、他の生徒と変わらぬ距離感で殿下と挨拶を交わす程度の交流に留まっている。

 そう、だから……良くも悪くも話題の令嬢とやらが殿下のお傍にいても、私に何か言う資格は、ない。


 月日は過ぎ、とうとう婚約が解消されないまま卒業が間近に迫ってきた。相変わらず殿下とは必要最低限の接触しか持たず、婚約に関しては家族からも、ましてや殿下からもなんの反応もみられない。

 婚約発表をするならするで、日取りやら打ち合わせやらが普通はあるものではないの? と疑問に思うが、殿下に直接聞いてやぶ蛇になってもかなわないので、私はあえて口を噤むことを選んだ。


「ね、アナスタシアは卒業パーティで何色のドレスを着るの? やっぱり殿下の色にするの?」


「マデリーン……王家から解消の通達を待つ身の私が、今更殿下の色を纏ってどうするのよ。それに、正式に婚約発表をしていない今の状況で、そんなドレスを着たら、ただの勘違い女になるだけじゃない。嫌よ」


 あの絵の少女は殿下の瞳と同じ色のドレスに身を包んでいた。小柄で華奢な体躯に良く似合う可愛らしいデザインなのでしょうね……。

 私が用意しているのは、それとは正反対の大人びたデザインのドレスだ。色も自分の瞳の色に合わせているので殿下が持つ色とはかすりもしない。背ばかり大きくて体の厚みがない私には、可愛らしいものは似合わないのよ。そうマデリーンに告げれば、つまんな〜い! と子供のように拗ねてみせる。膨れた頬をつついてはふたりで笑い合う。マデリーンの愛嬌が羨ましい。


 パーティは卒業式のあとに行われる。今年は王子が卒業する年ということもあり、特例で王城の広間を開放していただいたのだと、学内では話題になっていた。

 貴族だが学生ということもあり、エスコートは必須ではないとしているものの、やはり各々相手を見つけては声を掛け合っていた。友人同士、恋人同士、そして婚約者同士。殿下に声をかけられやしまいかとドキドキ半分ヒヤヒヤ半分で過ごしていたけれど、結局、なんの連絡も入らなかった。


 花弁を縫いつけたような柔らかなドレスを着たマデリーンの手を取り、広間に足を踏み入れる。

 晴れ晴れとした表情や学生生活を惜しむ顔、悲喜交々の人達の中で、私もマデリーンとの思い出に浸る。学園でもプライベートでも、常に隣にいたのはマデリーンだ。彼女の存在があればこそ、私は腐らずこの日を迎えることができたと言える。この先の未来がどうであれ、学園生活の中で唯一得られた安らぎであるマデリーンとの友情に、私は感謝したい。


「今までありがとうマデリーン。これから私になにがあっても、貴方だけは絶対に守るわ」


「やだ、縁起でもないこと言わないでよ! きっとなにも起こらないから大丈夫よ!」


 そうであって欲しいと、私も願うわ。未だ婚約に関しての白紙撤回の話は聞こえてこない。けれど、学園の内外で遠くから殿下を拝謁する機会に遭遇すると必ず、あのご令嬢の姿があった。まるで恋人のようなその振る舞いに、人知れず胸の痛みを覚える瞬間があったとしても、それを知るのはマデリーンのみ。私は充分やった。まず死ぬことはない。例え、今から殿下が誰をエスコートしてこようとも、受け入れてあげれば問題はない。

 華々しい音楽が鳴り響き、王族の入室を告げる。王と王妃のあとに現れたのは予想通り、ディアン殿下と件の令嬢だ。名前は確か……エミーリア様だったかしら。最近特に勢いのある新興貴族のご令嬢だったはず。夢の絵姿とは少し異なるけれど、なるほど、身長差といい体格差といい、なんというか、実に収まりがいい。私ではこうはいかないわ……。


「若き才能が今年も無事卒業したことを、王として祝福しよう!」


 王の祝辞を皮切りに、ワルツの音色が場内を満たすと、フロアには色とりどりのドレスの花が咲き誇る。壁の花を決め込んでいた私をマデリーンが肘でつつくので、彼女の視線に合わせてみれば、フロアの中央に、一際目を引く殿下とエミーリア様の姿があった。

 あぁ、光の加減か。先程とは違い、今は最初に夢で見た、あの絵がそっくりそのまま目の前に再現されている。この瞬間を切り取ったのねと、答え合わせができてスッキリした気分だ。


 ……あの日、あの夢で一目惚れした青年が、現実のものとして今この場所にいる。たかだか数歩の距離だけれど、私には近づくことさえできない。常に気を張って、最低限の接触さえも逃げ続けて、そうやって過ごした学生生活。やりたいこともあった。もっと自由に過ごせたら、どんなに良かったことか……でも、それをしないと決めたのは私。ここまでの苦労を無かったことにしたくない。これでいいのよ。

 離れた場所から見る彼らは、なんだかとても現実離れしていて、白昼夢でも見ている気分だわ。


 音楽の終わりとともに、割れんばかりの拍手が降り注ぐ。殿下は普段と変わらず表情を崩すことはないけれど、お相手のエミーリア様は頬を薄く染めて、完全に恋する乙女のお顔をして殿下を見つめている。


「すまないが、皆の時間を少し私にくれないだろうか」


 拍手が鳴り止むタイミングに合わせ、会場によく通る声で殿下がそう呼びかけた。さわさわと落ち着きをなくす場内でひとり、私の心臓が大きく打ち震えていた。まさか、そんな……こんな夢の終わりは望んでいない。婚約破棄後の処刑。そんな最悪な未来が脳裏に浮かび、血の気が引く。顔を上げることが出来ない。


「このパーティが終わる前に、確かめておきたいことがある。スタンフォード家のアナスタシア嬢はいるか」


 ヒュッと喉から声にならない空気が漏れる。目の前の人垣が自然と道を開き、私と殿下を一直線に結ぶ。最初から私がここに居たことがわかっていたかのように、殿下の視線が私を射抜く。

 グズグズしていてもなにも解決しないと、自分を鼓舞して深呼吸する。オロオロと心配そうに見つめるマデリーンの手をそっと離し、大丈夫と呟くと、私はフロアの中心へ歩み出た。


「王国の太陽、ディアン殿下へご挨拶申し上げます。この晴れやかなる場において、私めに確認したき事柄とは如何なることでございましょう」


 幼い頃と比べ物にならないほど洗礼された最上の礼を執り、先制をかける。取るに足らないことだとしても、動揺を悟られてはいけない気がしたから。スッと顔をあげれば、殿下の表情が険しくなった。後ろめたいことはチリほどもないもの、受けて立つわ。


「アナスタシア。君が、学生生活を送る中で行ってきたと言われている、様々な言動について確認したい」


「私の言動、でございますか?」


「あぁ。身分を笠に着て、他生徒へ横暴に振る舞ったり、特定の生徒に対して犯罪まがいのことをしていたと報告されているのだが……真実か?」


 品行方正を信条に、やりすぎな程周囲に気をつけて生活していたのだから、罪を犯した覚えはない。けれど、とうとう断罪の幕開けである尋問が始まってしまった。とんでもない罪をでっち上げられて処刑されるのだけは何としても避けなければ! ……と、身構えてみたものの、殿下が話すそれらの一つ一つは是とも否とも言えない微妙なラインのことばかり。

 確かに、改めて聞かれれば覚えがあるにはあるが、理由や原因はハッキリしていたし、誤解を与えているような内容のものは都度訂正する。どれもこれもその当時、当事者同士で解決しているような些細なものだ。小さな諍いも、学友同士のよくある口論程度である。私には殿下がなぜこんな瑣末なことをいちいち確認してくるのか分からない。周りにいるクラスメイトやマデリーンも、殿下の真意が計れずに、皆、疑問符を頭に浮かべている。


「なるほどな。では最後に、このエミーリア嬢が先日暴走した馬車に轢き殺されそうになった事件があった。馬車を所有していたのはスタンフォード家を名乗る男で、アナスタシアに命じられ、わざと暴走させたと証言したのだが、心当たりはあるか?」


「なんですって!? 失礼ながら、殿下といえど我が家名を汚すようなお疑いをかけられるのであれば、黙ってはおれません! 公の場で態々このように聞かれるのであれば、しっかりとした証拠がおありでしょうね?」


 売り言葉に買い言葉で、勢いに任せて強く反論してしまった。周りの学友たちも普段の私の様子からは想像できない激昂ぶりに戸惑ってる。

 でもこれは仕方ないのよ。殿下の発言の前から陰に隠れてほくそ笑むエミーリア様が見えてしまったのだもの、濡れ衣もいいとこだわ! 心当たりもなにも、人がせっかく、せっかく……


「人がせっかく身を引こうとアレコレ準備していたと言うのに、これはなんの茶番よ! 私、エミーリア様が殿下に近づくの止めたことがあって? 学校行事も何もかも貴女に譲って、私、殿下と挨拶以上の会話をしたことなくってよ!!」


 殿下、というより、その斜め後ろにいるエミーリア様に対して激昂する私は、落ち着かせようとするマデリーンが制してなお止まらない。堪忍袋の緒が切れるとはこういうことを言うのね。巫山戯るんじゃないわよ! こうなったら言いたいこと全部言ってやるんだから!


「なんなのよもう! 私だってね、別に好きで大人しくしていたわけではなくってよ! いつか殿下に婚約解消された時のために、禍根が残らないように気を使って生活してたんだから! 殿下も殿下よ! ご公務で交流が疎かになるのは仕方ないとしても、お手紙すら届かなくなって私がどれだけガッカリしたか、お分かりになって? 今日だってダンスを踊るおふたりがとてもお似合いで、今まで私がしてきたことは間違いじゃなかったんだなって納得しかけていたのに、なのに、なのに……なんなのよこれは!? そんなに私を悪者にしたいならすればいいわ! 罰でもなんでも受けて差し上げますわよ!」


 腹の底から声を上げて、長年抱えていたわだかまりがスッキリとしたのは良いのだけれど、言い切ってからはたと気づく。周りから、婚約解消? 交流? 手紙? といったささめきが聞こえる。マデリーンも、あ〜ぁと顔で語っている。これは……完全にしくじったわ。


「確かに、茶番だな」


 私の勢いに面食らっていた殿下が、ククッと小さく笑ってそう言った。私のヒステリーが一瞬で塗り替えられた瞬間だった。

 だって、誰も殿下の笑った顔なんて見たことないんですもの。王も王妃も小さく驚いているわ。子供っぽいようでいて妖艶で、なにあれ、とんでもない破壊力なのだけど。男女問わず、殿下の笑顔を目の当たりにした人間は、皆一様に虜になったのではないかしら? と、おもわずそう考えてしまうくらい、とても珍しいことなのよ。


 気づけば、エミーリア様が拘束されていた。王陛下より、事の顛末の説明と、エミーリア様の退場が告げられる。更に殿下からの説明によれば、入学してから今日までの数年間、殿下の密偵が護衛として私についていたらしい。ついでにエミーリア様にも監視という形で追随していたのだとか。だから、私にかけられた嫌疑など仔細まで最初から了解済みなのだ。

 どうも、エミーリア様はご家族含め、犯罪に片足突っ込むくらいのことを日常的に行っていたのですって。財力や影響力の増え方が不自然で、けれどもとても上手く立ち回っていたらしく、なかなかしっぽを掴めない。そこで、殿下自身が囮になって、エミーリア様がボロボロと零す証拠を、せっせと集めていたのだという。私を疑ったことなど一度たりとてないと、そう仰る。


「誰がお前を罰すると言った。確認したいことがあると言っただろう?」


 エミーリア様が居なくなって空席となった殿下の隣に、いつの間にか私が収められている。そっと添えられたはずの殿下の手は、少しでもこちらが引く素振りを見せると、石のように固まって微動だにしない。


「た、確かに殿下は確認したいと仰いましたけれど、あんな険しいお顔で尋問されては、責められていると捉えてもおかしくありませんでしょう? だって、殿下は……私には、なにも……」


「挨拶以上の接触を控えるように言ってきたのはお前だろう? ゆえになにも伝えられなかった。あぁ、手紙が届かなくなったのは、エミーリアの差し金だったとすでに判明している。それについては、後手に回ってしまったこちらの落ち度だ。すまなかった」


 殿下の困ったような笑顔がまた胸に突き刺さる。なに、この人。美し過ぎるのだけど!?

 今まで見ない振りをして押し潰してきた感情が、一気に吹き出す。一目惚れだった。ずっと憧れていた。でも、遠い存在としてガラス越しに眺めるような、そんな恋でもあった。あの夢で見た薄い板に映る殿下を、大事に大事に胸にしまって、それで終わるはずだった。だから、恋に溺れてしまわないように、自分で刺した杭から手を離せずにいた。それなのに……。


「私の顔が険しかったのは、お前のドレスのせいだ。なぜ私の色を纏わない」


「だ、だって、婚約発表もしていないのに殿下の色を纏ったりしたら……私、いい笑い者でしょう?」


「そうだ、それも不満だった。正式な発表は出来なくとも、お前を婚約者として扱うことは出来たはずだ。何故それを拒むんだ。先程の身を引くとやらも、どういうことか詳しく聞かせてもらおうか」


 今の状況だからこそ囮になれたんだがなと不服そうに語る殿下に、普段の冷ややかさはない。それこそ、恋人を見つめるような甘やかさが、その瞳に揺れている。嘘でしょ? ろくに交流していない相手にそんなこと……有り得ないわよ!?

 楚々として生きてきた私の変化も相まって、なんだか周囲から生暖かい視線が向けられているような気がするのだけど……。

 私の髪をひと掬いして口付ける殿下に耐えられなくて、思わず逃げ出しそうになるけれど、腰までガッチリ固定されていてそれも叶わない。

 助けて! と口をパクパクさせても、マデリーンまで親指を立ててどこかに行ってしまった。


「いい加減、腹を決めろ。私がお前以外を娶ることは有り得ないからな、潔く諦めろ」


 羞恥に身悶える私を上目遣いで殺しにかかる。クールな殿下はどこに行ったのよ!? いや、悪くないけど! カッコイイけど!!


「し……」


「し?」


「し、心臓が……持ちません……」


 絞り出すような私の吐露に、一瞬固まった殿下は、耐えきれずといった具合に破顔する。その様子もまた、本当に心臓に悪い。私、このまま殿下の婚約者を続けても良いのかしら? 身が持たない気がするわ……。


 後日、マデリーンとお茶をしている最中に、正式な婚約発表の場に着てくるようにと独占欲丸出しのドレスと、装飾品一式が届いて、私が卒倒するのはまた別な話。

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― 新着の感想 ―
矜持のないヒロインは嫌いです プライドないんか
これだけ何も知らされてないと受け入れるのが無理だと思う
どれだけ顔が良かろうとこの王子とは結婚したくないなぁ(;・∀・)頑張れ(ㆁωㆁ*)
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