Ⅱ スカラベの朝と空腹の午後
砂漠の朝というものは、容赦がない。
寒さと暑さの往復ビンタを、寝起きの頭にいきなり食らわせてくる。
しかも悪いことに、砂漠の小動物たちはこちらの生活リズムなど一切尊重しない。
日の出前、私たちの荷物はスカラベ──つまりコガネムシの軍団に襲われ、半分持っていかれた。
厳密にいうと、持っていかれたというより、
転がされ、奪われ、跡形もなくなったと言ったほうが正確だ。
まるで小型の戦車隊が、私物を次々と運搬していくような光景だった。
「ぶどう……!」
『ぶどう……!』
私とバステトは、奇妙な一体感とともに嘆いた。
これは友情ではない。空腹という名の連帯だ。
砂の上には、夜露でしっとりしたぶどうの“種”だけが転がっていた。
砂漠の朝日はそれを照らし、どこか哲学的ともいえる光景を作っていた。
「諸行無常の種」とでも言いたくなる風情だ。
「ごはん……」
『ごはん……』
私は膝から崩れ落ちた。
砂がふわりと舞い上がるのを、両目でしっかりと見送った。
自分の未来が砂煙のように薄れていく錯覚さえ覚える。
『まあ、ほれ。元気だせ。ぶどうなんざ、また拾えばいい』
「拾えないよ。砂漠にぶどうは落ちてないよ……」
『じゃあ買えばいい』
「お金もコガネムシに──」
私はふと思い出して手を打った。
「……持っていかれた……!」
『あいつら金属好きだからなぁ。輝き見たら持ってくんだよ。まったく、エジプト七不思議の一つに数えてもいいくらいだ』
砂漠のスカラベは妙に職人気質で、光っているものを見ると黙っていられないらしい。
王宮の兵より勤勉かもしれない。
弟よりは確実に働く。
「お腹すいた……」
『ボクもだ……』
砂漠を歩いて三日。水はギリギリ、食料はゼロ。
可愛い王女も、毒舌猫も、完全に影が薄い。
『おい、クレオ。あれ見ろよ』
バステトが顎をしゃくった先には──砂丘の向こうから、ラクダに乗った影が三つゆらゆら揺れていた。
「キャラバンかな?」
『いや、あれは……もうちょいこう……盗賊的に埃っぽい。ラクダの歩き方が“コソコソ”してるだろ』
「そんな擬態ある?」
『盗賊のラクダは歩きに人格が出る』
人格が出るのはラクダか盗賊か、どちらなのだろう。
いずれにせよ、食料を持っている可能性の高い方に違いない。
「とにかく、食べ物があるなら話しかけるしかないよ!」
『ちょっと待て! あいつら盗賊だぞ? 腹が減ると子供以下の判断力になるな!』
私はもう止まらなかった。砂に足を取られつつ、満腹の未来を夢見て走り出した。
「すみませーん!」
ラクダの隊列が止まった。
先頭の男が振り返る。
鼻の横に傷、腕は太く、笑顔はやけに人懐っこい。
一言でいうと──悪党ほど愛想がいい、の典型だった。
「お嬢さん、道に迷ったのか?」
「はい! あと、ぶどうありませんか!?」
『他に言うことあるだろ!? 命の危機とか!』
「ぶどうだと?」
男は髭の奥で歯を光らせて笑った。
「あるにはあるが、タダじゃねぇ」
「じゃあお金で……」
『金はコガネムシだって言っただろ!』
「あっ……」
「金がねえなら、別のもんで払ってもらう」
別のもの。
砂漠でそんなことを言う時の“別のもの”は、たいてい碌な意味じゃない。
「お前、どっかで見たことある顔だな。名前は?」
『言うなよ! 絶対言うなよ! 今は黙って砂の一粒になれ!』
だが私は、極限の空腹によって脳のストッパーが完全に外れていた。
「クレオパトラです!」
『ああああああーーーーー!!』
盗賊たちの瞳が、一斉にギラリと光った。
「クレオパトラって……エジプトの王女の!?」
「はい!」
「ってことは──身代金が取れる!」
『ほら見ろーーーッ!!』
私はひょいと抱え上げられた。
バステトは全速力で逃げようとしたが、一人の盗賊が俊敏に捕まえた。
『猫を捕まえる反射神経ってなんだよ!? エジプトの盗賊ってそんなハイスペックなの!?』
「可愛い猫だなぁ。市場で売れるぞ」
『可愛いは正義だが……商品にするなーー!!』
こうして私たちは、空腹と間の悪さのせいで、あっさり盗賊の手に落ちた。




