白い地獄
鳥居をくぐった先は日を遮る程の雲と足が埋まるほどの雪に覆われた平坦な場所だった。
雲からは大量の雪が落ちており、顔に当たっては水になる。
わずかに赤くなった指先を見ながらおもだるに声をかける。
「ここが修行場所ですか。」
「そうだ。相変わらず薄暗い場所だな。」
「今日は何をするんですか?昨日みたいに動物を使う修業をするんですか?」
「ここに生息している動物は活発ではないからな。できなくはないんだろうが、違うことをする。今日の修行を簡単に言うなら、我慢大会!」
「我慢…。」
「大会って私たちだけでですか?」
「まあ、俺とお前たちで競うだけだ。この中の誰かが力尽きるまでこの雪まみれの場所で生活する。俺の認識範囲から出ていかず、鳥居を通って戻らないなら何をしてもいい。昨日と違って自由ってことだな。」
頷きながら鳥居から離れていく。おもだるの認識範囲は知らないが近くにいたほうがいいだろう。
自分で気づかないうちに力尽きてしまうかもしれない。
おもだるの傍にいれば安全な場所までは運んでくれるだろう。少なくともそう言っていた。
肌に触れた雪が解けて、外気によってまた氷になる。
足は場所によっては膝まで埋まることがあるため、体重をかけるときは気を付ける必要がある。
イザナミも雪が深い場所を歩いていたのか、腰まで埋まったときがあった。
腕を引き持ち上げたが、こういった行動も体力を減らしているだろう。
ただ、おもだるは体重のかけ方を熟知しているのか、足が埋まる様子が無い。
この知識の差が体力などの消耗の差につながるのだろう。
赤い鳥居が見えなくなり、全方位が白い雪と黒い闇のみなったときに大きな音が鳴った。
あたりを見渡すと少し離れた場所で地面が割れているのが見える。
割れ目は大きく広がっていきその断面があらわになっていく。
中は白い雪と半透明の氷、途中には黒や茶色の物質がある。物質の周りの雪は濁っており、下側は大きな氷が形成されていることから動物の死体だろう。
雪しかなさそうだが、死体があるということは動物は生息している、おそらく群れの状態で。
こんな植物どころかきれいな水も少ないこの場所でも生きていける動物は見てみたい。
割れ目から見えた姿は全身が体毛で覆われ大きな体躯をしていた。
遠い場所でもはっきりと見えたことから近くで見ればどれほどのものか。
森に生えていた木よりも大きい可能性がある。
僕もイザナミも雪の環境に慣れていないが、数日は持つだろう。その間に会えたらいいが。
足を上げるのをやめ、前へ滑らすように歩いていく。
おもだるはどうして歩いているんだ。
僕とイザナミは一歩進むごとに慎重に行動せねばならず体力はもちろん、気力すら削られている気がする。
これまでに進んできた方向もわからないほど進んでいると前方に大きな影が見える。
雲を突くほどに高いそれは大きな山脈であった。
白い雪から尖った岩がいくつか突出している。崖になっている部分は石が見えているが、何層にもなっており山脈となるまでの時間が示されている。
おもだるは山を目指しているのか、大きな影に一直線に進んでいく。
さらに影に近づくと再び大きな音が鳴った。
顔を上げると山の上の方が大きく崩れているのが見える。雪崩か。
斜面の雪を巻き込みながら下へと落ちていく様子は迫力がある。
しかし、雪が流れていったはずの場所は白いままだ。
山は高い。そのうちの何割が雪で形成されているのか。
山頂は見えないが、雲よりも高いところから上の方は雪が無いはずだ。
上を向いていた顔をイザナミの方へ向ける。
イザナミの髪に雪が張り付いている。
手についていた雪を落としてから、イザナミに付いている雪を払い落とす。
雪から足を出そうとしていたイザナミは僕の動きに驚いて顔を上げる。
僕の手に雪がついているのを見て何をされたのか分かったのだろう。
感謝の言葉をかけてから僕にのった雪を落とそうと手を伸ばしていく。
届くように身を屈めると、上から大きな手で髪をかき混ぜられる。
頭にのった手を振り払って顔を上げると前を勢いよく歩いていたおもだるが僕たちのすぐそばにいた。
「まだ動けるか?1日も経ってないと思うが。」
「動けていますが、食事や休息はしないで歩き続けるんですか。」
「別に食えるなら雪でも食えばいい。休みたいならそこらで寝ればいいだろう。栄養は無いし、雪に埋もれて体が冷えるだろうが。」
「それはしない方がいいってことですよね?」
おもだるはイザナミを引き上げ、僕の肩に乗っていた雪を落とす。
おもだるは笑いながら再び山に向かって歩き始める。
あの神は山が好きなのだろうか。それとも山は目標としてわかりやすいのか。
おもだるについていくが、山に近づいている気配がしない。
実は幻覚だったりするのか。いや、雪崩や山に雪が積もるところが見えているから実物だろう。
よほど大きいのか、それとも想像よりも遠いのか。
もしかして近づいていると思っているだけで全く進んでいないのか。
考えながら歩いていると足が引っ張られる感覚が襲ってくる。
下を見ると僕の体が少しづつ沈んでいる。雪が積もったばかりの場所か。
体を動かしながら少しづつ上がろうとするが、周りも柔らかく腕に体重をかけることもできない。
胸元まで埋まってきた。イザナミが周りの雪を掻き分けているが、微々たるものだ。
いっそ埋まったままの方が体力を温存できるか。
足が雪の重みで動かせなくなってきたため状況を分析しようとすると、おもだるが引き返してくる。
目の前までくると僕の脇に手を入れて持ち上げる。雪から出ることは出来た。
だが、この神はなんなんだ。僕とおもだるの体重がかかっているはずなのに、まったく沈んでいない。
助けられたのは事実だ。感謝の言葉を言おうとすると、そのまま肩に担がれる。
腹に自身の体重がかかる。冷え切っていた頭に血が上っていくのを感じる。
何をしているのか聞こうとすると、おもだるはイザナミに話しかける。
「今日はここまでにしよう。」
「…まだ、誰も力尽きていませんが?」
「もう限界だ。ここから帰ることも考えると終わったほうがいい。」
イザナミの手を引き、進んできた道を戻る。
ここまでの足跡は雪によって隠されているが、おもだるは真っ直ぐにためらいなく進む。
限界、限界か。おそらく服によって気づいていないだけで僕とイザナミは限界なんだろう。
気付いてあげられなかった。
ここに来るまで隣を歩いていたというのに、僕は気付いてあげられなかった。
兄として不甲斐ないと、申し訳ないと、気が滅入るのを感じる。
おもだるは僕だけを抱えて歩いている。イザナミよりも僕の方が先に動けなくなると考えたんだ。
わかっていた。
昨日も動き続けて、数個の果実と一晩の休息で体力が回復するわけがない。朝から修行に対して不安を抱いていた。
目を背け、不安の種を理解しようとしなかっただけで抱え続けていた。
途中で動けなくなってはどうするか。昨日のように命の危機があった場合にどう動くか。
答えは先生であるおもだるに頼ることだったのか、自分で考えて早く言うべきだったのか。
まあいい。おもだるは意識が無くなる前に帰還を提案してくれた。
意識が無くなっていたら僕はもっと自分を責めていただろう。
今日はこのまま小屋に戻り休むのだろうか。
おもだるの腕から伝わる体温で気が緩んでいく。
寒さで思考も鈍っていたのか。自分の状態に意識を向けていく。
僕の体は雪によって冷え切っている。手先の感覚が無くなっているんだ。
目の前で手を握ろうとするが、思うように指が曲がらない。半ばで動かなくなっている。
口から出る白い息が顔に当たるたびに頬がひきつるのを感じる。
顔も凍り始めているのだろう。
今日は無事とは言えないのかもしれない。
意識が霞んでいく。目の前がじわじわと暗くなる。
視界が白に染まり、音が遠のいていく、腹から伝わる振動だけが感じる世界だ。
イザナミとおもだるの話し声が聞こえなくなる。




