生物の意思 後編
山羊が僕たちの方へ顔を向けるとおもだるが桶を使って盛大に水をぶっかけた。
山羊が跳ねることで足のみに水があたる。またおもだるに向けて叫び声をあげる。
おもだるは再び水をかけようとするが、山羊は軽やかな足取りで水辺から離れていく。
しかし、離れた先で立ち尽くすのみであり去っていく様子は見られない。
おもだるはそれだけでも許せないのか顔がだんだんと赤くなっていく。
「バカにしてんのか?水じゃなくて溶岩でもぶっかけられたいのか?」
山羊は頭を振り回し、足で水を蹴散らしている。
「というか何故ヤギなんだ?四足歩行は飽きたと言っていたじゃないか。そういった気まぐれな在り方も煙たがれる理由なんじゃないのか?」
山羊は他の水溜りに近づき、水面を漂っていた葉っぱを食し始める。
「新神と関わりたくないと言ったのはお前だろう?なぜ姿を現したんだ?何をしに来たんだ?」
山羊は動きを止めたかと思えば、木に向かって突進を始める。ぶつけられた木は大きく揺れた後、細い枝を山羊の頭上に落とした。しかし、山羊は気にも留めずに水を飲み始める。
この間、僕とイザナミは離れた場所で見ていた。止めるべきかと思ったが山羊の煽り具合やおもだるの反応から関わる方が危険だとわかるため様子見をすることになったのだ。
山羊の一挙手一投足に腕を動かし水をまき散らすが一切当たっていない。
水かさが見てわかる程に減ったころ、おもだるは額に手をあてて大きく息を吐く。
ゆったりとした動きで顔を上げると山羊を指さして僕たちに話しかけてきた。
「いいかお前たち、こいつはあやっ!」
おそらく山羊の存在について説明しようとしたんだろう。おもだるの声を遮る形で山羊が声を出すと後ろ脚を使い、石を顔にめがけて蹴とばした。
流石とも言える反射神経で石を受け止めたおもだるは山羊に怒りの矛先を向けようとしたが、その姿は木々の合間を通っていき見えなくなっていた。
おもだるは視認できないことを理解すると石を山羊がいた場所へ投げる。石が当たった場所は少しばかり地面がえぐれ、溝を作った。
肩を落としたと思ったら僕たちに近づいてきて、僕を持ち上げた。
あまりにも流れるように持ち上げられたため驚いていると、下の水溜りに放り投げられた。
上流よりも深い場所ではあったため体をぶつけることは無かった。
口から空気が抜けていくのが見える。水により揺らめいている星空は地球で見た時よりも輝いて見える。
下へ向かう力が収まったところで立ち上がってみたが、流石に深すぎたため水から出ることにした。
肩ぐらいまでの水から出た時にはイザナミとおもだるも出ており、髪や服の水を絞り落していた。
おもだるは質問をした時ほどの圧を出していない。山羊と対峙したことで怒りのような感情が収まったのか。
顔に張り付く髪を後ろに流していると、逆さに置かれた桶を指さされる。座れと言うことだろうか。
言われたわけでは無いが、聞き返す必要も感じないため指示されたとおりに桶を椅子代わりに座る。
「ここで怪我のようすを見たほうが手当てがしやすい。まずは上の服を脱げ。」
棘のある口調で言われた。しかし、怪我の手当てなど経験が無い僕は言われたとおりにするしかない。
紐をほどき上半身を覆っていた布を地面へ落とす。肌をつたう水により体温が下がるのを感じる。風の流れを鮮明に感じ始めたことで服の効果が無くなったことを自覚する。後ろに流していた髪が背中に張り付くことに微かな不快感を覚えながら、おもだるの様子をみる。
おもだるは片膝をつき、腕、胸や腹、背中と肌の表面に手を滑らしていく。肘を曲げろと指示されることもあれば、力任せに背中を押されるなど抵抗もせずにされるがままでいた。一通り上半身を見たはずだが、おもだるは再度、腕、胸や腹、背中と観察を始めた。次は手で触るだけでなく、皮膚を押したり、その際に僕が感じていることを質問してきたりしたが、隠すこともせず答えていく。
しかし、おもだるは不可解な顔をしている。僕の方がその顔をしていたい。上半身だけでどれだけ時間をかけるのかと思っていると。下の服を脱げと言われた。
紐をほどき水分によって足に張り付いてくる布をはがしながら片足ずつ脱いでいく。上の服を脱いだ時点で体温は下がり切ったのか、下の服を脱いでも寒さは感じなかった。
服を脱ぐために立ち上がった僕の肩を掴み、おもだるが質問をする。
「本当に、痛みはないのか?一切?ずきずき、いがいが、とげとげ、ちくちく、ぬめぬめ…はないか、俺に触られていることしか感じないのか?」
「ずっとそう言っているでしょう。づきづき?とかは何ですか。」
「痛みを表現するときの、他者に教える言葉らしい。痛みを感じること機会が少ないから使うことは無いだろうが。」
「そんな言葉もあるんですね。」
「いや、そんなことはいいから!嘘はつい、つかないよな。必要が無いからな。あんだけの動物を相手にして無傷なのか?」
「そうなんじゃないですか。少なくとも水と手の感触しかありません。」
「そうか。すごいな、ほんとにすごいな。」
おもだるは肩から手を放し、僕から離れていく。
僕のことを凝視しつつ異形でも見ているような表情をしている。何が問題なのだろうか。
怪我は無いとのことなので服を着ることにした。脱いで時間は立っていないはずだがイザナミが乾かしていたらしく乾いた布の反発を感じる。開けっ放しだった口を手で塞ぎつつおもだるは崖を登っていった。
僕とイザナミもその後を追っていく。
行きは下り坂であったため帰りは登り坂。汚れは落とせても疲れは溜まったままである。
坂を上りきるたびに足を止めていると、先を歩いているおもだるが話してくる。
「さっきのやつだが、」
「山羊の話は聞かないでおきます。聞かれたくないようでしたから。」
「いや…まあそうか。そのほうがいい。だが俺が言いたいのはそっちじゃなくてだな、」
「神の存在について、ですか。」
「ああ。生まれたての、とある神。ちなみに俺ではないぞ。さっきの山羊でもない。」
「やっぱりあの山羊は神の1柱なのですね。」
「山羊の話はここまでにしておこう。話さなかった理由は…色々あるが、一番はお前は関わらないでほしいと神に対して釘をさすだろう?それがどんな結末を生み出すのか、怖くなったんだ。」
「こわい?」
「……。色々あるんだ。いずれ話す機会がくるだろう。だが、いま知るべきではない事だと思った。他の神に聞くのもやめておけ。話してくれるだろう、その結果、何が起こるかを知っていたとしてもだ。」
「もしかして聞かせないように怖く演出したのですか?」
「思いのほかいざなぎが強かだったがな。」
空気を吐き出すような笑いをして、おもだるは歩き始める。
その後を少しずつ追いかけていると家に辿り着いた。家の中は明るく、窓からは光が出ており周りを照らしている。
おもだるは布団を床に敷き始めている。僕たちも自分たちの分と思われる布団を敷いていく。
「布団は必要なのですか?」
「必要とは限らない。ただ床に直で寝るよりも布団があったほうが体の負担が減り、疲れもとれやすくなる。ように感じる。」
「何となくですか?」
「何となくの話だ。」
必要という程ではない布団を敷き終わり、自由時間となる。
おもだるは夜風に当たりたいと言って扉の先へ行っていった。
イザナミはまだ眠気を感じないからと座布団に座り外を眺めている。
僕は帰り道の時点で意識を失いかけていたため、そのまま布団で寝ることにした。
今日は色んなことが起こった。明日も似た日々が続くと考えるとそれだけで疲労がたまる気がする。
イザナミのかすかな言葉に返事を返した時には僕は意識を深い場所まで沈めていた。
「今はゆっくりと休んでね。」
「ああ…」




