生物の意思 前編
「とりあえず、持ってきた果実は全部たべたか。」
「十分すぎる量でした。ありがとうございます。」
「いいさ、野ざらしにして死なれるよりも自分で養った方が安心する。次は汚れを落とすぞ。近くに湧水がたまる場所があるから、そこまで歩く。まだ動けるか?」
「私は問題ありません。」
「僕も動くだけなら大丈夫です。」
「それならいい。そんなに離れているわけでは無いからな。ついてこい。」
おもだるは果実を1つだけ食べて家の外へ出ていった。僕たちもその後をついていく。
外は暗く月明りだけが頼りになっていた。その時に1つ疑問が生まれる。
「あの家の中は明るかったですね。」
「真っ暗では気が休めないだろうと、とある神が配慮したんだ。」
「とある神、ですか?」
「多分、お前たちは出会っていない神だ。紹介はまた今度にしよう。」
どこか冷めた口調で説明して歩く速さを抑え始めた。
聞いてはいけないことだったかと不安定な足場からおもだるの方へ視線を動かすと複数の山羊がいた。
このあたりを住処にしているのか、こちらの様子を伺うのみで逃げようとしない山羊とおもだるは見つめ合っている。
数分にも感じられるほどの時間がたつと山羊の方が山を下って行った。
崖である場所も難なく下っていく姿は生息場所の違いや肉体の特徴を考えさせられる。
山羊が居なくなったことでおもだるは道のような平坦な場所を進んでいく。
「あの、まだ着かないのですか?」
「あと少しだ。水場が近いと小屋に動物が寄ってきてしまうからな。」
イザナミの催促を受け流しながら一本道を進んでいく。
いくつかの下り坂を歩いていると木々や草が増え始めていった。
その後、平坦な道から崖を降りた場所に貯水している段状の坂が一面に広がっていた。
水は底まではっきりと見えるほどに透き通っており、上の方から少しずつ水が降りているようだ。
崖に沿って降りていくと月明りを反射する水で足元が照らされる。
水溜りから離れた場所で見ているとおもだるに桶で背を押される。
「服は着たままでいいからこれを使って水を浴びろ。ある程度は落ちるだろう。」
「着たままでいいのですか。濡れてしまいますが。」
「それは着用者の怪我や病気とかを隠すための服なんだ。今のお前が脱いだら傷が開いて逆に血まみれになるぞ。」
「……そんな服である事は知りませんでした。」
「言ってなかったか?血の匂いや色を見ることで凶暴になる動物が居る。それに加えお前は大きな怪我を負ったことが無いから作らせたんだ。まだ、未完成品だけどな。」
「僕は痛みを感じていません。怪我をしているようにも見えない。どこが不完全なのですか。」
「着用者は痛みを感じていなきゃならない。あくまで周りから見ると無傷で無事であって、実際は怪我をしているからな。自分の状態を正しく理解するためにも怪我を認識できないのは問題だ。」
「つまり、イザナギは大けがをしている可能性があると?」
「否定はできないが、見ていた感じでは重症とはいかないだろう。明日の活動にも支障は無いはずだ。」
「では、イザナミの方はどうなんですか。怪我を負うような修行では無かったと思いますけど。」
「怪我は無く、汚れも少ないだろうが。ま、そのまま洗うといいさ。」
おもだるに桶を押し付けられたため、服を着たまま水に近づいていく。
桶で水を掬うと海水よりも柔らかくほんのりと温かさを感じた。
湧水であるからだろうか。地中から出たばかりのきれいな水は体となじむように掴みづらいものである。
桶に入った水を頭、肩、背中と全身に水をかけていく。そのなかでも手と足は動物の血肉や土と木などの汚れがついていたため、少量の水をかけながら手で擦り落としていく。
水を浴びる前からわかっていたが、服が肌に張り付く感触すらしない。痛みを感じないとは言っていたが、肌に一定の刺激があるものは全て消してしまうのか。
濡れた服を見ながら感触の違いに意識を向けていると上から大量の水が降ってきた。
振り返るとおもだるが僕に渡したものよりも大きい桶を使い水をかけてきていた。
何がしたいんだと顔を見ていると納得したような表情をして水辺を指さす。
「ある程度の汚れは落ちているな。なかなか才能があるじゃないか。苦手な神も多いというのに。」
そう言って僕から桶を奪い取りイザナミに渡す。
おもだるが指をさしていた、近くの水溜りに体を浸す。
内側から湧き出るような感覚がした後、水と混ざるように体から力が抜けていく。
気が抜けたんだろう。先ほどまでは少しでも意識を逸らせば死んでもおかしくない状況であったから。
髪についている落ち切っていなかった血が水中に広がり下へと流れていく。
上流の水が湧き出る音と下へと流れる水の音や水面に落ちた木の葉の音を聞きながら今日の出来事を思い出す。
おもだるに呼ばれ、あの生物と再び出会い、多くの動物から攻撃され今に至る。
こんなにも特殊な日は無いだろう。走馬灯で思い出す過去の1つが決まったなと不思議な事を考えていたらイザナミが隣に座ってきた。
僕のように全身が汚れていたわけでは無いからすぐに終わったのだろう。
同じように水に入ると息をついて遠くを見ていた。
後ろの方では大きな水の音がしているから、おもだるも体を清めているのだろう。
今日は色々と考えていた。おもだるならきっと答えてくれるだろうと疑問をまとめているとおもだるがイザナミとは反対の方から入ってきた。
「おもだる、今日はありがとうございました。」
「……なんだ、突然。感謝されるのはうれしいが裏が見えるぞ。」
「いえ、いくつか聞きたいことがあるだけです。」
「それが裏なんだろう。はあ、何がききたいんだ。」
「何から聞こうか悩みますが、まずあの生物はなんですか。」
「あの生物?」
「今日、草笛で呼んでいた。この前、僕を襲ってきた生物です。」
そういうとおもだるはイザナミの方へ目を向けた。
聞いてから思ったが、イザナミの前であの生物について聞くべきではなかったか。おもだるの動きから1拍おいてイザナミの方を向く。
イザナミはただ黒い眼に僕を映しているだけであった。水によって額に張り付いた髪をそのままにじっと見続けていた。
イザナミの様子に違和感を覚えていると正面へ向きなおしたおもだるが答え始める。
「まず、あれは人間だ。」
「____は?つまり僕たちはあの生物が生まれるのを待っているのですか。」
「間違ってはいないが、いや、俺の言い方が悪かったか。あれは人間と神の思いが重なった結果だ。元人間とでも呼ぶか。」
「思いが重なった結果」
「ああ、元はお前の考える通りの形だ。俺たちに近く、他の動物と違い自我・個性が各々にあり、何より知性と理性がある。」
「では、あれは何なのですか。想像とは全く違いますけど。」
「そうだな。お前は生き物に、いや、種にとって大事なことは何だと思う。」
「……栄養、休息、繁殖…でしょうか。」
「そうだ。言い換えるなら食事、睡眠、性交だな。それができなければ種は繫栄しにくい。」
「これが人間に関係するのですか。」
「種とは過去を本能で覚え、未来へ託し続ける必要がある。故に自分よりも子を優先して動く必要がある。」
「子供を優先するんですか?」
「ああ、たとえ生まれたばかりの存在だろうと自分の身を使って守り、場合によっては食べさせる。」
「自分よりも子を生かす方向で行動する」
「では人間はどうなったのか。知性があった結果、言葉を使い過去を残し続けた。今さえあれば未来は確立されると考えた。」
「言葉」
「お前が個体によって理解できないと言っていた理由はこれだ。人間は種類によって異なる言葉を、言語を使う。しかも、存在するすべてに名付けようとするため言葉はより多く派生していく。」
修業の前に元人間と出会った時を思い出す。僕は一体分しか理解できなかったが、イザナミは感情であったとはいえあの場にいたすべての元人間の思いを汲めていた。言語が違うだけで考え方も認識も近しいのであれば海中の時と同じでその場のすべての思考は統一されているだろう。つまり、姿かたちが全く違うあの生物はすべて同じ基礎であるということだ。
なぜそうなってしまったのか。
「言語は初めは統一されていたんだが、同じ言葉を使う似た姿に対して攻撃的な人間は少なかった。知性により言葉で意思をつなぎ、理性により悩みを共有し解決しようとしてしまう。」
「聞いている分には良い事のように感じます。何がいけないのですか?」
「種とは弱者を排除し強者が生き残ることで適した状態に進化していく。同じ言葉を使っている、姿が似ているというだけで弱者を庇うのは、より上位な存在でなければ枷でしかない。」
「だから言語を変えた。」
「そうだ。初めは人間を一定の間隔で配置し言語の基礎を異なるものにした。各々の縄張りが出来上がるころには全く違う言語で話していた。」
「あの姿になった理由は何ですか。」
「縄張りができたことで言語が違う同位の存在を排除する運動が起こった。争いというのか?それにより多くの人間が死んだ。」
「え?」
「これを自然の摂理だと別天津神はそのままにした。しかし、とある生まれたての神が憐れみを感じだしたんだ。」
「生まれたての神ですか。」
「神は現状をつらいものだと決めつけ人間に過度なほどに加護を与えた。怪我が治るように、いくらでも動けるように、死ににくいように。」
「それが不死身に近いあの肉体ですか。」
おもだるの話を聞いてイザナミを連れていかれた時のことを思い出す。
元人間は異常なほどの再生能力を持っていた。人間も怪我を直す仕組みはあるが、あそこまでではない。つまり、神の加護によって後付けされた能力ということか。
おもだるの話し方やあの時の戦いから考えるに加護を与えられたのは今よりもずっと昔のことなのだろう。
生まれたての神とやらが人間だけを憐れんだのは何故なのか。
人間は基礎となる能力が他の生物よりも高い。力比べや瞬発力では劣るとしても知能や手先の器用さを考えれば上位に入ってもおかしくはない。
だが、おもだるは元人間だと断言している。他の生物は憐れみの対象に含まれていないのか。
「不死身のような人間はさらに激しい争いをした。森は焼けていき、空は雲で遮られ、山は切り崩されていった。それでも別天津神は弱肉強食だと何も手を出さなかった。」
「それは多くの生物が死にましたよね。」
「まあな。だが、転機を迎えることになる。魂の概念を作ることになった。」
「おもだるを探したときのあれですか。」
「そうだ。元は数年程度の魂はつまらないからと作られた概念であったが、生まれたての神は人間にも適応させることにした。」
「人間にも?」
「魂とは長い年月をかけて世界から忘れられることで初歩から始められるように設計されている。他者から忘れられることで魂は自分の形も忘れ、新しい生を迎える、はずだった。」
「もしかして忘れさせなかったんですか。」
「近いな。人間は言葉により過去を鮮明に覚えている。すべてを余すことなく覚えることだってできる。つまり、人間は魂を新しいものにできずに生を迎えてしまう、迎えさせてしまう。」
「記憶を持ったまま生まれ変わるということだけですよね?」
「いや、魂の形は多少なりとも肉体に作用する。人間の形を覚えたまま犬に生まれ変わると混じった肉体になる。しかし、珍しい犬を人間は言葉に残す。記録していってしまう。」
「その魂は犬と人間の形を覚えたまま新しく生を迎える。」
「そうだ、そうなってしまう。それが何度も行われあの形になった。」
「あの形になるのは分かりました。でもなぜ、あの、元人間は死にたがっているんですか。」
「えっ!?」
「気づいていたのか。まあ、気づくか。特にお前はあいつらを外に導けてしまったからな。」
おもだるは一瞬だけ視線を僕に向けた。
その視線は責めるものでも見透かすものでもなく、ただ顔を見てきただけの様だった。




