書斎の死体③
事件当時、辻花良悦は大学生、親元を離れ、都内にある招知大学に通っていた。ある日、マンションの一室で冷たくなった遺体が発見された。
遺体を発見したのが弓月だった。
「辻花君は大学の同級生で、ダンス・サークルの仲間でした。学部も一緒で、サークルで一緒になってから直ぐに、意気投合しました。辻花君のマンションは大学から近くて、広々していたので、サークルの仲間のたまり場になっていました。講義の空き時間なんか、サークル・メンバーが時間潰しに辻花君の部屋に集まったりしていました。変な話ですけど、人が多過ぎるって、辻花君が僕のアパートに避難して来たことがありました。自分の部屋なのに」
弓月は笑顔を浮かべた後で急に顔を曇らせて言った。「大学四年の冬のことです。就職が決まり、サークルからも引退して、後は卒業を待つだけの暇な時期でした。お互い実家に戻ったりして、暫く会えずにいました。東京に戻ったと知らせを受けたので尋ねて行きました。用事があった訳ではありません。顔を見に行っただけです。そして、辻花君の部屋で、彼の遺体を発見したのです」
弓月からの通報を受け、警察官が駆けつけた。遺体は死後、二日程度、経過していた。1LDKのマンションで、良悦は頭を玄関に向け、部屋から半身を廊下に乗り出すようにして、うつ伏せの状態で倒れていた。
死因は一目で刺殺と分かった。腹部に大量の出血の跡が見られた。しかも首の右側には凶器の短刀が、根元まで深々と突き刺さったままだった。
弓月は遺体の第一発見者となった。
葛西警察署から刑事組織犯罪対策課の矢追という刑事が捜査に当たった。もうじき定年と言うのが口癖で、小柄で腹回りにみっちりと肉がついた樽のような刑事だった。ちりちりパーマの頭髪が薄くなっていて、三白眼が異様に鋭かったと弓月が言う。
「その刑事がね、犯人に心当たりは無いかと言うので、教えてやったんだ。これは顔見知りの犯行だってね。辻花君は誰かを部屋に上げて話をしていた。すると、相手が突然、ナイフを持って襲いかかって来た。彼は犯人に背を向け逃げようとした。玄関に向かったが、追いつかれた。そして、背後から腹部を刺された。腹を刺されて倒れ込む。そこに犯人は馬乗りになると、腹に突き立てたナイフを引き抜いて、深々と首筋に突き刺した。現場の状況はそう物語っていた。辻花君は犯人を部屋に上げたんだ。当然、顔見知りのはずさ。そのことを教えてやると、矢追っていう刑事は三白眼を見開いて、参ったなと驚いていたよ」
どうだろう。友だちが殺されたと言うのに、そこまで冷静でいられるだろうか?弓月ではなく、刑事が言った話かもしれない。
食卓に並んだ顔が感心するのを見て、弓月は満足そうに微笑んだ。
「それにね。もうひとつ、刑事に教えてあげたんだ。刑事さん。背後から右の脇腹と首の右側を刺されています。犯人は右利きですねと。そしたら、彼、今度は怒りだしちゃってね。きっとメンツを潰されて腹を立てたのさ。どっちが刑事だか分からないから。はは」
弓月が愉快そうに笑った。
もう何度、聞いたか分からない話だ。仲間内だと、もう少し自慢話と刑事の悪口が多い。井上家の人々は尊敬の眼差しで弓月の口元を見守っていた。
弓月は一息吐くと、ビールを口に運んで喉を潤した。
「部屋は密室だったのですか?」晃が好奇の目を向ける。
「いや。ドアは閉まっていたが、鍵はかかっていなかった。彼のマンションは僕らサークルの人間のたまり場になっていて、家に居る時、彼はいつも鍵をかけなかった。僕らはチャイムを鳴らすだけで、勝手に上がり込んでいた。あの日も、何時も通り、チャイムを鳴らして部屋に入った。そこで、彼の遺体を発見したという訳さ」
弓月の理論だと、犯人には密室を作り上げるだけの知性が無かったことになる。
弓月の通報で、救急車が駆けつけて来た。良悦が死亡していることは一目瞭然だった。直ぐに警察が呼ばれた。
さあ、ここからが本番だ。弓月の名を一躍、全国区にした、あの活躍が始まる。
「どうやって犯人が分かったのですか?」と晃が問うと、「まあまあ、そう焦らずに」と軽くいなしてから、「彼と親しかった分、僕は警察より有利だった。だから警察に先んじることができたのさ。ただ、そのやり方は警察にも想像できないものだっただろうけどね」と小鼻を膨らませた。
弓月は思いもよらない方法で、事件の謎解きを試みた。
「実はね、珍客があったんだ」
弓月のもとを、昭和テレビのスタッフが取材に訪れた。ワイド・スクープという平日の午後に放送されている報道番組のスタッフだった。
「彼らは事件のことを聞きたがった。事件のことを話すだけでは物足りないと感じた僕は、辻花君を殺害した人間を知っていますと答えた。すると、彼ら、僕の話に食いついて来た。犯人を知っているのですか?誰です?教えて下さい、と飢えたハイエナのように僕を問い詰めた。警察の見解では、犯行は顔見知りの人間の犯行だ。となると、当然、僕が良く知っている人間ということになる。彼とは親しかったからね。誰が犯人なのか推理してみた。その結果、一人の人物が思い浮かんだ」
「それが――」と晃が何か言いかけるのを制して、弓月は話を続けた。「僕の話を聞いて、昭和テレビのスタッフは目の色を変えたよ。で、彼らと相談した。その結果、犯人と思しき人物を急襲してみようということになった。テレビ・スタッフと一緒に不意を突いて家に押しかけ、テレビ・カメラの前で自白を引き出す。そんな手はずだった」
「犯人は弓月さんの同級生だったのですよね」
「ああ、そうだ。僕の同級生で、大学のサークルの仲間だった」
「その人、被害者のことを恨んでいたのですか?」
「いや、ちょっと違うと思う。警察から、辻花君のことを恨んでいた人間に心当たりが無いか聞かれた時、彼の名前を言わなかった。何故なら、彼が辻花君を恨んでいたとは思えなかったから」
弓月は「実は――」と声を潜めると、
――辻花君には、橋本奈津と言う名の彼女がいた。
と囁くように言った。
「ダンス・サークルの後輩で二学年下、美人で、ダンスが上手くて、とにかく目立つ子でした。どういう経緯で辻花君と付き合い始めたのか、僕は知らないけど、新入生として入部して来た彼女を狙っていた部員は多かったと思う。それが、ある日突然、辻花君が彼女の恋人になった。サークルのみんな、驚いていた。僕もね」
「弓月さんも、その人を狙っていたのですか?」と晃が尋ねると、「はは。僕は興味が無かった。外見よりも中味が大事だからね」と答えると、「辻花君に、一体、どうやって彼女を口説いたんだって聞いたら、彼女から言い寄られたと答えた。それで、なんとなく付き合い始めたと言うんだ。サークルのマドンナを射止めて得意になっている様に見えたね。ちょっと腹が立った」と言った。
外見より中身が大事?外聞に拘る弓月に似合わない台詞だ。
そろそろだ。何時もの決まり文句が出る頃だ。弓月は話に聞き入っている人たちの顔を見回して言った。
「さあ、ここからだ!」