書斎の死体②
「是非に――」と請われて、夕食は井上家で取ることになった。
「寿司を取りましたので」と晃が言う。
井上家で出前を取ったのなら、きっと高給な寿司のはずだ。弓月が「ご馳走になります」と言った時に、やった!と心の中で叫んだ。
宿泊先は近所のホテルを井上家で手配してもらった。弓月と俺の二人分だ。早朝の新幹線で新大阪駅に着き、平野駅近くにあるホテルにチェックインして晃と連絡を取った。ホテルまで車で迎えに来てもらって屋敷に案内された。
ホテルから二十分くらいだっただろう。車に乗っていた。
調査状況によっては二、三日、逗留することを考えていた。宿泊費は勿論、交通費まで井上家の負担だ。ただでさえ至れり尽くせりなのに、その上、今晩は高給寿司だ。遥々、東京からやって来た甲斐があったというものだ。
書斎から居間に向かっていると、玄関先から大声が聞こえた。誰か尋ねて来たようだ。
「ああ、今日、母の遠い親戚が尋ねて来ることになっています。うちに一泊します。きっと親戚のおじさんだと思います。さあ、食事にしましょう」
確かに、そんな話を言っていた。居間に着くと、食卓の広いテーブルが隠れるほど、寿司皿が並べてあった。
「弓月さんの好物が分かりませんでしたので、取り敢えず寿司にしました。寿司で良かったでしょうか?」
「ええ、大丈夫です。お気遣いなく」
常識的なことも言えるのだ。
「良かった。さあ、どうぞ、座って下さい」
日頃食べている一皿いくらの寿司とは違い、光沢があって美味しそうだ。「恐縮です」と弓月が遠慮する横で、寿司の誘惑に抗いきれずに、さっさと席についてしまった。
弓月がじろりと睨んで来た。
弓月はこういうことに煩い。後でちまちま小言を言われることになりそうだ。まあ、今更、後の祭りだ。
割り箸の袋に加根寿司と書いてあった。カネ寿司⁉井上家らしいと可笑しくなった。
「ああ、こちらは母方の遠縁に当たる青田さんです」
晃が冴えない風貌の中年の男を紹介してくれた。先ほど、玄関先で話をしていた人物だろう。痩せて手足が長く、頬骨が目立つ顔だ。鄙びた田舎の役場の小役人と言った印象だ。
「青田大輝です。有名な弓月さんにお会いできて光栄です。後でサインを頂けませんか?」青田が憧れの眼差しを弓月に向けた。
「ええ、ああ」弓月は生返事を返した。内心、喜んでいるはずだ。
ビールの栓が抜かれ、「乾杯!」の合図で夕食が始まった。
井上家の住人、淳子と晃、叔父の輝秀、故人の友人、田上、淳子の親戚の青田、それに弓月と俺の総勢、七名だ。
「車で来ているので、アルコールは飲めない」と言う田上に、「いいじゃないですか。今日は泊まって行けば良い。部屋なら腐る程あるんだから」と輝秀がしきりにビールを勧めていた。
輝秀は酒好きのようだ。
実家であっても、厳密には輝秀の家では無い。「泊まって行け」と言う権利はないはずだ。だが、「主人の供養だと思って、ビールを召し上がって下さい。うちに泊まるのが嫌なら、酔いが覚めるまでいていただいて構いませんから」と淳子が勧めると、「そうですか」と田上はビールを口に運び始めた。飲める口のようだ。
弓月が顔を寄せ、小声で「ペンはあるかい?」と聞いてきた。青田に頼まれたサインをするためだ。やはり喜んでいた。
「あります」ボールペンだけど、持っている。
酒が入り、宴がたけなわとなってくると、輝秀が弓月に「弓月さん。あの事件の話をしてくれ」と絡み始めた。
「よしましょう。昔の話です。聞いても面白くありません」と弓月が軽くいなす。
嘘だ。迷惑そうなのは表情だけだ。弓月は当時の話をすることが好きだ。聞かれもしないのに、話し出すことが多い。
「ええやないでっか、弓月さん。あの事件の推理は見事やった。あんたんお陰で、事件を解決することがでけたと言うても過言やない。勿体ぶらんと教えてくれへんか」輝秀がしつこく絡む。いいぞ、もう少しだ。あと一押しだ。
「僕も聞きたいな」と晃がとどめの一撃を加えた。
食卓の視線が、一斉に弓月に集まる。頃合いだ。弓月はイクラの軍艦巻きを口に運び、もぐもぐと焦らせてから言った。「そこまでおっしゃるのなら、あの事件の話をしましょう」
弓月劇場の開幕だ。
あの事件とは、六年前に起きた辻花良悦殺人事件のことだ。




