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悪魔に捧げる鎮魂歌  作者: 西季幽司
第一章
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名探偵登場③

 弓月に「ラソツって何です?」と聞くと、何だ、知らないのか?という顔をして、「地獄の役人のことだ」と短く答えた。だったら、邏卒ではなく、獄卒(ごくそつ)じゃなかったか? と思ったが、言わなかった。間違いを指摘されると、弓月は途端に不機嫌になる。邏卒は警察官の古い言い方だったような気がする。

 もう、何か掴んでいるのか、弓月は余裕綽々の表情だった。

 次に淳子が呼ばれた。

 テーブルを一目見た淳子は、「あら、まあ、お茶が冷めてしまったようですね。代わりにコーヒーでもお煎れしましょうか」と言って立ち上がりかけたので、「いえ、結構です。先にお話しを聞かせて下さい」と弓月が着席を促した。

「そうですか・・・」淳子が渋々、ソファーに腰を降ろす。「あの~」と、俺にもの問いた気な視線を向けて来たので、このままで大丈夫ですと目力を込めて見つめ返した。

 淳子はそれ以上、何も言わなかった。落ち着きがないのは、町で警察官を見かけたら必要以上におどおどしてしまう、あの心境なのかもしれない。

「事件当夜の様子を話して下さい」と弓月が水を向けると、淳子は「私のせいです!全ては私のせいなのです。私のせいで、主人は殺されたのです」と言って、ソファーの肘かけに顔を埋めて泣き出した。

「奥さん・・・」弓月は俺の顔を見て露骨に顔をしかめた。

 片方の眉毛を上げて見せたのは、何とかしろという合図だろう。

 若くて名を成し、見栄えも悪くない。弓月がモテることを知っているが、事務所の女の子には人気がない。傍にいると、女子供に優しくないことが丸わかりだからだろう。事務所の女の子が言っていた。所長は、常日頃、一度、会ったら顔と名前は忘れないと豪語しているのに、私の名前は何時も間違える。可愛い子だと、間違えないのにと。

 これだから女は困る。ほら、何とかしろよ、と言わんばかりに、俺にちょいちょいと顎をしゃくった。

 俺はぐるりとソファーを回り込むと、「奥さん、ご主人が亡くなったのは、あなたのせいなんかではありません。さあ、これで涙を拭いて下さい」と言って、ハンカチを差し出した。

 渋谷のデパートで買った一張羅のハンカチだ。持っていて良かった。

「ありがとうございます」淳子が落ち着くのを待つしか無かった。

 淳子が泣き止むのを待って、弓月が尋ねた。「旦那さんが亡くなったのが、何故、あなたのせいなのでしょうか?」

 話を蒸し返してどうする。泣き止んだばかりだと言うのに、デリカシーがない。案の定、淳子の話は支離滅裂だった。涙ながらに「私が悪いのです」を繰り返し、滔々と話し続けた。

 要は、前の日に書斎の掃除をし、空気を入れ替える為に窓を開けた、窓の鍵を掛け忘れたかもしれない、と言いたいのだということがかろうじて分かった。

 弓月は「ああ、分かりました。もう結構です」と淳子の話を遮って言った。「事件の前日、奥さんは書斎の窓の鍵を掛け忘れてしまった。そうですね?」

「はい」と淳子が頷く。

 侵入者は鍵が掛かっていないことに気が付いて、書斎の窓から屋敷に侵入した。書斎に金庫があることを知っていたのだろ。金庫を開けるのに手間取り、被害者と遭遇した。

「目が覚めると、ご主人の姿が無かった。そうですね?」

「はい」

「夜中にベッドを抜け出したことに気が付かなかったのですか?」

「すいません。熟睡していたものですから・・・」

「物音がしませんでしたか?」

「何も気がつかずに寝ていました」

「朝、起きてから、家の中で、何か変わったところはありませんでしたか?」

「変わったところですか・・・いいえ、別に、気がつきませんでした」

「書斎の窓以外、閉め忘れたところはありませんか?」

「すいません。分かりません。ううう・・・・」

 また泣き出してしまった。「ああ、もう結構です」と弓月は事情聴取を切り上げた。右手の人差し指と親指を立てて、くるくると回した。チェンジだ。人を変えてくれという意味だ。

「奥さん、もう結構です。ありがとうございました」と抱きかかえるようにして淳子を立たせると、応接間から送り出した。

 すると、「さあて、次はわいの番ですな」と輝秀が腕まくりでもしそうな勢いで応接間に入って来た。

「井上・・・・輝秀さん、亡くなられた晴秀さんの弟さんですね。あなたも成安生命にお勤めですか?」輝秀がソファーに腰を降ろすなり、弓月の質問が始まった。

「いえ、成安の世話になんてなっていまへん。わいは兄貴の様にでけた人間やはあらへんから。養う家族もいまへんし、家賃収入だけで十分、食べて行けます。好き好んで働こうなど、考えたことはおまへん。ところで、あんた、わが家は、歴史の教科書に出て来る坂上田村麻呂の血を引く名家やっちゅうこと、知っとりますか?」輝秀が逆に尋ねる。

「ほう~初耳です。あの坂上田村麻呂ですか」

「そう、あの坂上田村麻呂です」

「まあ、さか――」興味が無いのだろう。弓月が話を逸らそうとしたが、輝秀は構わず坂上田村麻呂について語り始めた。

 坂上田村麻呂は平安時代の武官だ。蝦夷征討で名を馳せ、征夷大将軍に任じられた。その程度のことは学校で習った。輝秀が言うのは、坂上田村麻呂の次男、広野は摂津国住吉郡平野庄と言うので、今の大阪市平野区の開発領主となった。

 開発領主とは未開の原野を開拓し、切り開いた田畑の私有を認められた領主のことを言う。当時、平野区辺りは草深い原野だったのだろう。

 この広野の子孫が平野氏を称し、枝分かれして行く。末吉氏を始めとする七支族が生まれ、平野氏の七家と呼ばれた。

「うちはその平野氏の七家のひとつや。成安の家も平野七家のひとつでな、成安生命は成安家が創った会社ですわ。兄貴も晃も、成安の世話になっとります。まあ、遠い祖先のコネ入社っていうやつですわ。あっはは」輝秀が高笑いをする。

 平野にいくつもアパートやマンションを所有しているので、不動産管理する必要がある。平野の地から離れることが出来ない。地元企業であり、先祖をひとつにする成安生命は、うってつけの就職先という訳だ。

 家賃収入だけで食っていけるとは、羨ましい。

 井上家と成安生命の関係は理解できた。輝秀の話をつまらなそうに聞いていた弓月が「やっと終わりか」と口に出して呟きながら「ところで、あなた、犯人に関して、有力な情報をお持ちだとお伺いしました」と言った。

――ああ、そのことね。

 一体、何時の間に弓月と話をしたのだろう。弓月の傍を離れたのは、お手洗いを借りた一瞬だけだったと思う。油断も隙も無い。

 輝秀は事件が起こる数日前、屋敷の近くで不審な人物を目撃したと言う。

「あれは、何時やったかな・・・とにかく、兄貴の事件が起こる前のことや。兄貴の顔を見に実家に立ち寄ったら、けったいな男が屋敷の周りをうろうろしとった。年は三十過ぎ、痩せ形で、背は百七十センチくらい、長髪でのっぺりとした顔をしとった。屋敷を伺っとるように見えた」

「下見をしていたということでしょうか?」

「自分にはそう見えたね」

「警察に伝えましたか?」

「ああ、言った。似顔絵を描いてもらった」

「その似顔絵、手に入りませんか?」

「コピーをもろうておいた。どこぞにあったはずや。探しときます」

「ありがとうございます。では、事件当日のことを教えて下さい」

「あの日かい。あの日は晃君から兄貴が死んだって連絡があって、屋敷に飛んで来た。それも殺されたって言うやないか。兄貴はわいとちごて、人に恨まれるような人間やない。真面目に手足が生えたような人間やった」

「連絡?どう連絡があったのですか?」

「電話や。電話に決まっとるがな」

「屋敷に来て、どうしました?」

「どうしたもこうしたも、義姉さんや晃君が憔悴し切っとったから、ずっと一緒にいた。自分みたいな人間でも、おるとおらんじゃ、少しはちゃうやろう」

「屋敷に変わったところはありませんでしたか?」

「あったがな。兄貴が死んどった」

「他に、何かありませんでしたか?」

「他に?そやな・・・・ないな。警官がぎょうさん来とったことくらいかな」

 どうにも胡散臭い人物だ。弓月が嫌いなタイプだ。案の定、「分かりました。結構です」と早々に事情聴取を打ち切った。

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