名探偵登場①
主役の登場だ。
――才気煥発、眉目秀麗。
その言葉が良く似合う。弓月知泉が姿を現した途端、座がぱっと明るくなったように感じた。まるでオーラが出ているみたいだ。
弓月知泉。二十代、独身、弓月探偵事務所の所長だ。若くして世に知られ、天才と謳われた。大学を卒業すると直ぐに、東京で探偵事務所を開業した名探偵だ。名探偵なんてものが、ドラマや映画の世界にだけ存在する特別なものではないことを証明してみせた貴重な人物、それが弓月知泉だ。
俺、藤川世一は弓月が信頼するアシスタント兼用心棒といった存在だ。
「本日はお招きに預かり、光栄です。早速ですが、事件の調査を始めさせて頂きます。事件のあらましは、大体、頭に入れて来ていますが、当日、屋敷にいた皆さんから、改めてお話をお聞きしたいのです。よろしいでしょうか?」
弓月は応接間のソファーに腰を降ろすと、長い足を組んだ。長身で細身、容姿端麗というだけでなく、スタイルが良い。若干、えらの張った顎と一重瞼が難点といえば難点と言えた。えらの張った顎は生命力を感じさせてくれるが、一重瞼は人に酷薄な印象を与えてしまう。顔の幅が狭く、後頭部がまるく盛り上がっている。横から見ると頭が大きく見える。
俺は弓月の後ろに立った。幽鬼のように気配を消そうとしたが、「藤川さん。どうぞ、座って下さい」と若い男から着席を勧められた。
「いえ、結構です」
はい、どうもと腰を降ろすと、後で弓月からグチグチと小言を言われてしまう。
弓月は誤解され易い性格だ。傲慢と言える。そんな弓月とあって、時に人に絡まれることがある。そんな時は俺の出番だ。学生時代、アメフトに精を出したとあって、小柄だが首は太く、がっしりとした体形だ。肩の筋肉が盛り上がっているところなど、俺の自慢のひとつだ。常に臨戦態勢で無ければ、用心棒は勤まらない。
最も筋肉バカだと思われては困る。学校の成績はいまひとつたったが、頭の冴えには自信がある。留年もせずに大学を出ているし、こうして弓月のアシスタントまがいの仕事を任されている。智勇兼備の男なのだ。
「どうぞ、彼のことはお構いなく。ふふ」弓月は笑みを絶やさない。笑顔の似合う男ではない。少々、気持ち悪い。
「分かりました。では、先ず、今日、集まってもらった関係者を紹介させて下さい、僕は――」
若い男は井上晃だと名乗った。まだ顔にニキビが目立つ年齢だ。細く整えた眉毛、腫れぼったい小さな目、団子鼻に分厚い唇が、顔の真ん中にぎゅっと凝縮した顔立ちだ。
「ふふ。よろしく」弓月が鷹揚に頷いた。
俺たちは大阪市平野区にある井上家を訪ねていた。歴史を感じさせる日本家屋で、ゆったりとした大屋根を頂く数寄屋門を構え、小さいながらも風雅な日本庭園を備えた結構なつくりだ。増築を重ね棟が長い縁側で繋がっている。サラリーマンの家庭で育った俺には縁がない豪邸と言えた。
弓月を迎え、井上家に関係者が顔を揃えていた。
テーブルを中心に三人掛けの横長のソファーが向き合い、間に一人掛けのソファーが二つ据えられている。俺たちが座る横長のソファーの対面、三人掛けのソファーに晃と中年女性の二人、一人掛けのソファーにそれぞれ中年男性が座っていた。
「こちらが、母の淳子です」
晃の隣に座った中年の女性が頭を下げる。晃の団子鼻に分厚い唇は淳子の遺伝であることが一目で分かった。全体的に丸々としていて、愛嬌のある顔だ。弓月が「初めまして」と愛想の良い笑顔を向けると、また頭を下げた。
晃の紹介を待たずに、隣の一人掛けのソファーに座っていた小太りの中年男性が、「晃の叔父の輝秀です」と自己紹介をした。
ジーンズを履いた足が妙に細い。小太りだが、顔に縦皺が多い。そのせいか、顔が細く見える。特徴的な鷲鼻で、叔父とは言え晃と似ていない。晃には淳子の血が色濃く遺伝したようだ。
「ひとつよろしく。弓月さんとおっしゃいましたかね。あんた、超有名人やそうやね。テレビの仕事があれば、わいにも紹介してもらいたいもんですわ。何でもやりまっせ」と言って、輝秀は「あはは」と笑った。
弓月が露骨に顔をしかめる。
最後に残った一人を晃が紹介する。「父の会社の同僚で、友人だった田上さんです。父も私も成安生命という会社に勤めています。こちらの会社で、田上さんは父と同じ職場でした」
成安生命は地元で名の通った会社のようだ。
白髪の目立つ頭髪を綺麗に撫でつけている。夏物背広にネクタイを締めている。中肉中背、平凡な顔立ちなので、意識して派手な銀縁のメガネをかけているようだ。メガネの奥の目尻の下がった目が優しそうに見えた。
「田上常永と言います。名探偵として名高い弓月さんにお越し頂いたからには、事件は解決したも同然でしょう。井上さんの無念を晴らして下さい」
田上は立ち上がって丁寧に挨拶をした。
弓月は座ったまま、鷹揚に頷いただけだった。
「もう一人、事件に関係ありませんが、母方の遠い親戚が、後ほど、仕事でこちらに来ることになっています」
「晃君、ありがとう。さて、私が弓月です。後ろの彼が秘書の藤川です」
弓月が紹介してくれたので、俺は慌てて頭を下げた。日頃、俺なんか、人に紹介することなどないのに珍しい。
「じゃあ、事件の話を聞かせて下さい。お一人ずつ、個別に話をお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「分かりました。事件当夜、うちに居たのは、僕と母だけでしたので、先ずは、僕から話をさせてください」
晃の言葉を合図に、淳子、輝秀、そして田上がぞろぞろと応接間を出て行った。
皆が出て行ったのを見送ってから、晃がもう一度、「座りませんか?」と声をかけてきた。「いいえ」と断ると、「そうですか」と晃が事件のことを語り始めた。