消えた名探偵①
水戸黄門のような老人は、大政明徳と名乗った。
「平野は広い。歩き回るとエライこっちゃで。どれ、車で案内してやろう」と大政は車庫から車を出して来た。軽自動車だ。新車ではなさそうだが、車内に驚くほど生活を感じさせる物がなかった。大政の性格なのだろう。
「その辺、いっぺん、ぐるっと回ってみるんで、見覚えがないか、よう見といてや。その間、訳を聞かせてくれ」大政がハンドルを握りながら言う。
「はい」景色を伺いつつ、弓月とここに来た経緯、それに昨晩の様子を打ち明けた。大政は「ふむ、ふむ」と相槌を打ちながら、俺の話に耳を傾けてくれた。
話を聞き終わった大政は「なるほどね。井上家の殺人事件の調査に来た探偵さんって訳や。それなら、井上家に行ってみるか」と言った。
「井上家をご存じなのですか⁉」
「ああ、知っとる。公になっとれへんが、地元の人間なら、みな、知っとる。せやけど、平野やない。どうや、見覚えのある場所はあったかい?」
窓を通り過ぎる景色はよくある住宅街の景色だった。注意して見ていたが、見覚えがなかった。昨晩、訪れた場所はもっと広々としていた。こんなに住宅が密集していなかった。井上家は広大な敷地の中にあった。
「いいえ。ありません。電話番号はデタラメでした。住所もデタラメだったのでしょう」
「ほな、井上家に行ってみるけど、ええか?」
「是非、お願いします」
「ガッテン、承知の助」陽気に言うと、大政はスピードを上げた。
「お忙しいところ、すいません。お仕事、大丈夫ですか?」と尋ねると、「兄ちゃん、髀肉の嘆って言葉、知っとるか?」と聞かれた。
「皮肉?さあ、知りません」
「脾肉というのはもも肉のことや。三国志やで。曹操と争って敗れた劉備が劉表のもとに身を寄せた。ある日、便所に行くと、太ももにぜい肉がついとった。昔の武将は皆、馬に乗っとったからな。太ももにぜい肉なんぞつかへん。それを見て劉備は、わいは何をやっとるんやと嘆いたって話や。
わし、定年を迎えたばかりでな。暇やねん。家にいてもすることがあれへん。何をしてええのか分からへん。髀肉の嘆やな。兄ちゃん、あんたにゃあ悪いが、丁度ええ暇つぶしや。気にすることはおまへん」
大政は六十歳だと言うことだ。
「弓月知泉って名前、聞き覚えがある」と大政が言うので、弓月が有名になった辻花良悦の殺人事件の話をした。
昨晩も話題になった。辻花良悦殺人事件の犯人が蛭間昭雄であることを見抜き、弓月は一躍、時の人となった。
「ああ、あの事件かいな」と大政が頷く。
「ご存じでしたか。結構、世間を騒がせましたからね」
「ふん。確かに話題になったけど、事件を覚えとるのは別の理由や。ああ、ここや。あの家や。あれが井上家や」
大政が車を停めて前方を指さした。大政の指さす先には平屋の家があった。
「あれが井上さんのお宅ですか?」
「そうだ。あれが事件のあった井上家や」
「そんな・・・・昨日、お邪魔したお屋敷は、もっとこう・・・・」
豪勢な井上家とは似ても似つかない庶民的な平屋の一軒家だ。見間違う訳がない。
「もっと立派な屋敷やったっていうことやな」
「ええ、そうです。言葉は悪いけど、あんなちっちゃな家ではありませんでした」
「さよかい。まあ、そうやろうな」
「えっ、どういう意味ですか?」
「井上晴秀さんの事件なんやけど、あれ、まだ警察は発表しとらんが、犯人の目星はついとんねん」
「犯人の目星がついている⁉ どういうことですか?」
「せやから、犯人が誰なのかもう分かっとんねん。井上さんの事件は、当初から居直り強盗の線が濃厚だと考えられとった。ほんで、前科者を中心に捜査が行われた。ほなら、捜査線上に一人の男が浮かんで来よった。藤原明久っちゅう前科者や。空き巣の前科があって、この近所に住んどった。土地勘があった訳や。家族はおらず、事件後、捜査員が自宅を尋ねたら姿を消しとった」
「そんなやつがいたのですか⁉」
「まあ、その辺は捜査機密や。捜査員以外、誰も知らん。事件が起こる三か月ほど前に、ムショ仲間やった永田敦司っちゅうやつが出所しとる。こいつと示し合わせて空き巣を繰り返しとったようや。この辺りで他に幾つか被害届が出とった。前科者の二人が空き巣に入って、井上晴秀さんと遭遇した。もみ合いになって、殺してしもうた。そんなところや」
「その藤原という人物が犯人で間違いないのですか?」
「間違あらへん。公になっとれへんが、現場で犯人の遺留品が見つかっとんねん。その遺留品から犯人を特定することがでけた」
「遺留品? 何が見つかったのですか?」
「う~ん」と大政は呻いてから、「まあ、ええか」と遺留品がハンカチであることを明かした。
「ハンカチですか⁉」
空き巣がハンカチを残していったなんて妙だ。
「妙なやつでな。奇麗好きでもないのに、藤原はハンカチを持ち歩いとった。盗みに入って、井上さんと鉢合わせて焦ったんやろうな。井上さんを殺害した後、ハンカチで汗を拭いた。ほんで、ポケットになおす時に落としてもうた。もみ合うた際に顔に傷でもついたんやろう。汗と共に微量だが血液がハンカチに残っとった」
「へえ~」ハンカチで汗を拭くなんて、行儀の良い泥棒もいたものだ。
「そ、その藤原という人物は捕まっていないのですか?」
「ああ。せやさかい、事件が未解決のままになっとる。つまりは、二人が捕まれば、井上晴秀さん殺害の犯人確保として大々的に報道されることになる。それまでは捜査機密やねん」
「はあ・・・・」と感心した後で、ひとつの疑念が浮かんだ。「そんな捜査機密を何故、あなたはご存じなのですか?」
「なあに、ちょっとしたコネがあるのよ」と大政は笑った。
警察関係者にコネのある人物のようだ。ついている。偶然とは言え、頼りになりそうな人物に巡り合えた。弓月を探すのに、力になってくれそうだ。




