黒王考
黒王はラオウの愛馬である。
もっとも、黒王がラオウを乗せるようになったのは核戦争後であろう。
それ以前のラオウは、北斗の長兄と言えば聞こえは良いが要するに、北斗神拳の道場で修行をしている若者のひとりに過ぎなかった。
その当時の彼が、馬に乗って威張って歩いていたとは考えにくいからだ。
よって黒王は他のラオウの部下たちと同じく、元はラオウとは無関係の所で暮らしていたに違いないのだが、それではどこで何をしていたのだろうか?
そもそも馬という動物は、かつては乗用に輸送に農耕にと、色々な分野で活躍していたが、自動車などが普及すると廃れてしまった。
北斗の拳の舞台となっている二十世紀末の時点で、黒王が活躍できる分野はかなり限られていたはずだ。
その時代に馬が活躍する場所として、まず考えられるのは競馬競技だが、黒王は競走馬にはあまり向いていないと思う。
何しろ象のように大きいというから、スピードを出すのは苦手と思われるからである。
他に考えられるのは、乗馬クラブのような所に所属して、趣味で乗馬を楽しむ人を乗せる馬、或いは観光地で観光客を乗せる馬などがあるが、これらも黒王には向いていないのではないか。
そう思わせる場面が作中にある。
ラオウがジュウザを死闘の末に倒した後のことである。
それまで側で見守っていた黒王が、おもむろにジュウザの死体に近づき、土をかけようとする。
それを見てラオウが言う。
「ここに葬ってやろうというのか、黒王・・・
・・・責めはせぬ
この拳王以外、うぬが唯一その背を許した男の死。その気持ちもわかる」
(ジュウザは一度、黒王に乗ったことがあった。)
そこでラオウは、側にいた部下に、ジュウザを丁重に葬るよう命ずる。
ラオウが敵のジュウザにも敬意を払っていたことを示すエピソードだが、ここで大事なのは「うぬが唯一その背を許した男」というラオウの言葉である。
黒王はラオウとジュウザ以外の男には背を許さなかった。
つまりラオウやジュウザにしか乗りこなせないぐらい、扱いが難しい馬だということではないのか。
或いは黒王は、ラオウやジュウザのような一流の豪傑にしか背を許さないという、誇り高い馬だったのかもしれない。
それでは、とてもじゃないが黒王が素人や観光客を乗せるのは無理だろう。
だとすると、どう考えるべきか?
どこかの片田舎に、まだ機械化されていない農場があって、黒王はそこで農耕馬として働いていた、というのはどうだろうか?
農耕馬は農具や荷車などを引くのが仕事だから、必ずしも背に人を乗せなくても良い。
だから黒王は、元々は人を乗せることは無かった。
そして後にラオウの乗馬になってからは、ラオウとジュウザにだけ背を許した。
こう考えれば、「うぬが唯一その背を許した男」というラオウの言葉と合致する。
しかし、この推測が当たっているとすると、この農場の主人 ー 黒王の元の飼い主 ー は、黒王のような扱いの難しい、しかも恐ろしげな馬を農作業に使っていたのだから、ただ者ではない。
馬の調教の名手だったか、或いはラオウやジュウザに匹敵するほどの豪傑だったのか。
だが、それほどの人物であるわりには、作中に全く登場しない。核戦争で死亡したのかもしれない。
黒王の元の主人は核戦争で死んでしまったが、黒王は生き残った。
そして何かのきっかけでラオウに出会い、彼の人物を見て自分の新しい主人と認め、その結果、ラオウの乗馬になった。
そういったところだろうか。
なお、先ほど「ラオウやジュウザにしか乗りこなせないぐらい、扱いが難しい馬」と言ったが、それには異論があるかもしれない。
というのは、ラオウの死後には他の人も黒王に乗っているからである。
ケンシロウが手綱を取って、ユリアと二人で乗ったこともあるし、バットが乗ったこともある。
これについてはどう考えるべきか。
まずケンシロウについて。
確かに、ケンシロウが乗馬の名手だというような話は聞かない。
というよりケンシロウは、それまで北斗神拳の修行一筋の人生で、乗馬を習う機会は無かっただろう。
ただ、彼は北斗神拳伝承者だから、周知のとおり身体能力は有り余るほどあるわけで、だから誰かが乗馬の手ほどきをすれば、飲み込みが早くてすぐに覚えてしまったのかもしれない。
バットもおそらく乗馬の経験は無い。
しかしバットがアインに殴りかかられて、身軽に避けるという場面があるので、少なくとも普通の人よりは身体能力に恵まれていることが分かる。
だからバットの場合は、乗馬の隠れた才能があったと見るべきだろうか。




