第46話 Bファクトリー
昼食は男女顔合わせを兼ねているので時間はたっぷりとった。名目は昼休みだが参加者にのんびりしていてもらっては困る。食べ終わる頃合いを見計らって、
「コーヒー持ってくるから待っててね」
と私は言って立ち上がる。学生たちの何人かが立ち上がるのをを断り、紙コップのコーヒーを人数分用意する。これは私のアイデアで、せっかく囲んだテーブルにできるだけ長く居させ会話させるためである。新発田先生はまだ脳梗塞の後遺症でむりはいけないので、私と修二くんとで5つのテーブルに配って回る。伊達先生も吉岡先生もにこにこと学生たちと会話している。いい感じである。新発田先生も楽しそうだ。
自分の席に戻ると学生たちは話をしていた。
「あの、村川さんは今日どんなのを見たいですか?」
上野くんは無難な質問をしている。
「ええ、まず、Bファクトリですよね。日本で最大のシンクロトロンですから」
Bファクトリとは、光の速さの近くまで加速した電子と陽電子を衝突させ、B中間子という粒子を大量に発生させる実験施設である。もともとはTOPクォークという粒子を探すのを主な目的として建設されたがそちらはうまくいかなかった。米国のフェルミラボに先を越されたというか日本側の施設の大きさが足りなかったと言うか、とにかくうまくいかなかった。その後Bファクトリとして改造されたのだ。
「まだ勉強が全然たりないんですけど、物質と反物質って、理論的にはおんなじだけできるはずらしいですよね。でも我々の世界にはほとんど半物質はない。Bファクトリはそう言ったことも調べてるんですよね」
いろはちゃんはよく勉強しているようだ。
「らしいですね、宇宙の真理に迫る実験ですね。でも、将来僕が携われるかどうか自信なくて」
「そうですよね、いっぱい難しい勉強しないといけないですよね」
なんかふたりとも消極的になっている気がして私は口を挟んだ。
「気持ちはわかるけど、本当にやりたいって思ったら、なんとかなるもんよ」
「そうですかね?」
「そうよ、それにね」
「それに?」
「強い気持ちを持っていれば、自然と助けてくれる人がいるわ。私の場合はね、扶桑の澤田先生が勉強の仕方から教えてくれたわね」
「あれ? 聖女様って物性論ですよね。澤田先生は素粒子じゃ……」
「そうなんだけどね、私が挫折して大学やめようかと思ってたとき、澤田先生がゼミやろうって言ってくれたんだ」
「はあ」
「専門はちがうけど、物理は物理、ちゃんと手順を踏んで勉強していけば理解できるわ」
「なるほど」
昼食後、セミナールームから徒歩でBファクトリの実験棟に向かう。つくばキャンパスは東海キャンパスと異なり植木が少なく見通しは良い。その分ただっぴろい印象は強い。あとで見学する放射光施設を左手に見ながら歩く。結構歩く。施設内の道も広く建物も皆大きいので、距離感がバグる。歩けど歩けどたどり着かない気がする。新発田先生が「SHELの大きさを体感してね~」と言っている声が聞こえるが、もうヤケクソで言っているように思える。私は先導役として歩いていたのだが、振り返ると男子・女子で別れて歩いているのが多い。幸いさっきの上野くんといろはちゃんは話しながら一緒に歩いている。成果が早くも一つ上がったのかもしれない。
「聖女様、ごきげんだね」
吉岡先生が話しかけてきた。内容が内容なので小声で返事する。
「はい、早くもカップルが成立しそうです」
「はは、物理じゃないんだ」
「先生、いくら私でもそういうこともありますよ」
「そうだよね。君はもう既婚者だしね」
「ははは、そうですよ」
Bファクトリの建物に入る。といっても実験機材に近づくことはできない。というのもシンクロトロン本体は地下に建設されているからだ。シンクロトロンは強力なX線を発生させてしまうため、ビームラインの近くに人間なんて居たら死んでしまう。現在運転中なので、実験室の真上にある地上の建物に入ったに過ぎない。それでも大学3年生が主体の参加者たちには目新しく、満足してもらえたようだ。ジュースをみんなで飲んで一息つき、無情にも来た道を徒歩でもどる。それにしても雨にならなくてよかった。
次の見学は放射光施設である。シンクロトロンは荷電粒子を電場により加速するのであるが、ループにした加速装置中に粒子を繰り返し通すため、電磁石で粒子線を曲げる。このとき粒子から電磁波が放射され、これを放射光という。ただ、放射光は実験者の立場からはエネルギーロスにしかならないが、この放射光を強力なX線源として積極的に利用するのが放射光施設で別名フォトンファクトリーである。光の粒子フォトンをガンガン作る工場という意味だ。
放射光利用については日本は先進国である。世界で初めて放射光利用のためのシンクロトロンを建設したのは日本であり、帝大が六本木に作ったと聞く。残念ながら柏へ移転するときそのシンクロトロンは廃棄となったそうだ。つくばの放射光施設は、電子陽電子シンクロトロンと粒子線源と最初の直線加速器を共用している。
私はワクワクしながら歩いたので、その道程は遠く感じられた。




