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第35話 悪巧み

 翌日SHELの宮崎研に顔を出すと、宮崎先生はセミナーの話をすでにご存知だった。

「昨日のうちに澤田先生から連絡があったよ。さっそく榊原先生のところ行こうか」

 宮崎先生は電話をかけ、榊原先生をつかまえた。

「今実験棟だって。制御室で話聞いてくれるってさ」

「ありがとうございます。でも先生、話の発端は合コンだったんですよ」

「らしいね。それも澤田先生から聞いた。ま、気にしなくていいんじゃない?」


 私は例の効果の問題があるので実験室は入れないが制御室はギリ許されている。実験中の機材のコンピュータを覗き込みさえしなければ大丈夫なのだ。SHELは広いので宮崎先生と二人、自転車を連ねて移動する。東海村はまだまだ暑い。


 実験棟の制御室に入ると汗がひいていくのがわかる。制御室にずらりと並ぶ端末の半分くらいには人がいる。いない人は実験室内で作業中なのだろう。榊原先生と修二くんはいつものチョッパー分光器のシマにいた。手を振ったら気づいてくれた。榊原先生が手でソファーの方を指すのでそっちへ移動する。


 稼働中のPCのモニターを覗き込まないようにするのに苦労した。覗き込んだ実験が失敗したら、間違いなく私のせいにされる。


 ソファーに4人ですわると、榊原先生が話し始めた。

「おおよそのところは修二くんから聞いたけど、細かいことはどうなってる?」

「すみません、細かいことはなんにも決まってません。なにせもとは合コンですから」

「そうなの?」

「はい、吉岡研の4年生に合コンのセッティングを約束させられまして、ヤケクソで扶桑の澤田先生の研究室に電話したら澤田先生がでちゃいました」

「ふむ」

「それで澤田先生としては合コンはだめだが、セミナーならOKということで」

「なるほどね」

「で、思うんですけど、なるべく早いうちに物理学校、扶桑女子大から4年生を数名ずつでSHELを見学して、会議室かなんかでセミナーをやればいいんじゃないかとおもうんですけど」

「ま、ふつうそんなもんだろうね」

 榊原先生はそう言ってから、身を乗り出し小声で話し始めた。

「しかしそれ、気をつけてやらないと大事になるぞ」

 私もつられて身を乗り出す。

「SHELは慢性的に人手不足だ。とくにシンクロトロンの開発の連中なんかはいつもぼやいている。そこにピチピチの女子大生だぞ。ピチピチの人妻じゃないんだからな」

 ピチピチの人妻とは私のことか。

「それはともかく、去年の一般公開、若い女性が結構来て、騒ぎだったんだからな」

「一昨年もそうでしたけど、それ、扶桑の澤田先生のせいです」

「やっぱそうか。とにかく見学はここ、物質・生命科学だけにしろ」

 宮崎先生が口をはさむ。

「あの、澤田先生は素粒子じゃないですか。大丈夫ですかね」

「なら、つくばキャンパスも見学させるか。いや、いっそのことつくばでやるか。物性なら放射光施設もあるし、素粒子ならそれこそ日本の総本山だし」

「放射光、いいですね。古い施設ですが、私も見学したいです」

「そうだろう聖女様。中性子だけでなく、放射光も勉強してこいよ」

 私の頭はつくばキャンパス案に大きく傾いた。すると冷静な修二くんが発言した。

「榊原先生、もしかして受け入れのめんどくささ、つくばに押し付けようとしてません?」

「バレた?」

 そこで一同大笑いしたのがいけなかった。


「榊原先生楽しそうだね、どうしたの?」

 私達一同、凍りついた。声を賭けてきたのは菅野研究所長だったのだ。


 菅野所長は気さくに笑いながら近づいてきた。もちろん私達は固まったままである。


 菅野先生の専門は素粒子の理論であるが、今や日本の電子陽電子シンクロトロンのボスである。つくばにある電子陽電子シンクロトロンは地下に建設され、全長約3キロメートルである。ヨーロッパにある同様のシンクロトロンは全長がもっと長いが、それはヨーロッパの土地の所有権は地表に限られるからである。地下は公共のものとして地表の住民のことを考慮せずシンクロトロンを建設できる。一方日本の場合は放射線関係はアレルギーが予想される。だからシンクロトロンの用地は全て買い上げるしか無い。そもそも日本の研究予算が厳しいのに用地買収に猛烈にお金がかかり、シンクロトロンの規模は小さくならざるを得なかった。だから日本の実験屋さんたちは工夫に工夫を重ね、世界に負けない実験結果をだしている。


 菅野先生のすごいのはバランス感覚で、素粒子実験のみならず、原子核実験や物質・生命科学にも理解があり、いろいろと便宜を図ってくれていることだ。自分の専門のことだけでなく日本の学問全体に貢献しようとされていると評価されている。その菅野先生に合コンセミナー計画が早くも露見しそうになっている。


 榊原先生がたちあがり、姿勢をただして急に私を紹介した。

「先生、こちらがあの、唐沢杏さんです。そしてこちらが唐沢修二くんです」

「あの、あの有名なご夫妻ですね。菅野です。入学式以来ですね。どうかよろしく」

 修二くんと私は慌てて立ち上がり、そろって頭を下げる。入学式とは、こないだの春の大学院大学の入学式のことだ。新入生は10人ほどしかいなかったが、博士後期課程だからそれもしかたないだろう。

「で、どうかしたんですか、榊原先生がいらっしゃるということは、なんか悪巧みですか」

 榊原先生はSHEL内で何をやらかしているんだろうか?

 トドメを指すように菅野先生がおっしゃった。

「ま、とにかく、中心人物は聖女様なんでしょう?」

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