7:町
ディクタチューレ国南東に位置する下町ラヴェル。森を降りた先にある一番近い町。わたしは生まれて初めてその地に足を踏み入れた。
お母さんから国や町の名前を聞いてはいた。けどこんなにも人がいるものだとは思ってもみなかった。
道を歩くたくさんの人。たくさんの家。物を売る人、品定めする人、小さな子供たちが楽しそうに駆け回り遊ぶ姿。寄り添いながら歩く人たち。言葉では言い切れないほどの初めてがそこにはあった。そんな見たこともない光景に圧倒されわたしは身動きが取れずにいた。
この世界、いやこの国にはこんなに多くの人がいたのか。森で暮らしているわたしには目の前の光景は異世界のようで、少しの怖さと抑えきれない好奇心を感じた。
ふとわたしの左上で小さく鼻で笑うような音が聞こえた。
見上げると男がわたしをみて笑ったんだという事がわかった。
目を回すんじゃないかというくらい色々な所を見て何とも表現しがたい顔をしているわたしが可笑しかったのだろう。わたしが男の立場ならそう思う。
「お前本物の箱入り娘なんだな。」
そんなに何も知らないでよく生きていけたな。
そう男は続けた。その言葉にわたしは恥ずかしくなって顔を赤らめた。
だって、知らないんだもん。しょうがないじゃない。
そう心の中で反論した。言葉には出さない。だってまた何か言われるような気がしたから。
赤くなった顔を隠すように赤い頭巾を深くかぶる。そんなわたしをみて男は言葉をつづけた。
「それ目立つな」
ぽん。と頭に手が乗せられる。その手が赤頭巾をつまみぱたぱたと動かした。
「大切なものだから外したくない」
そう小さく呟いた言葉ははたして届いただろうか。ある種形見のようになってしまったこの頭巾を外すことは少なからず抵抗がある。
そんなことを考えながら男を見上げた。
「ガキみてえ。ま、実際そうなんだろうけど」
小さく笑って男は言った。この人はどうしてそんな意地悪な言葉を言ってくるのだろうか。
言葉とは裏腹に少し楽しそうに笑っている男の顔を見ると何も言えなかった。
「とりあえず町の中歩いてみてお前のお目当ての人を探すか。」
そういった男はぐいぐいと歩き出した。置いて行かれないように慌てて歩き出した。
もうどれくらい歩いただろう。
町はもう夜の闇に溶け込み、家々の煌びやかな光が輝いた。こんな景色初めてでとても綺麗だと感じながらもわたしの気持ちはどんどん沈んでいた。
母を町で見つけることはできなかった。そもそも1人の人間を闇雲に探すのには無理があったんだろう。
分かってはいても心が苦しかった。会いたい。生きてるのを確認したい。ただそれだけの事がとてつもなく難しい事だとは思わなかった。
男が取ってくれた宿の部屋に入りゆっくりと椅子に座る。これからどうしよう。何をすれば良いのかすら分からない。
不安で心が押しつぶされそうになる。・・・今日何度目か分からない涙が溢れそうになった。
「また泣くのか?」
はっとして男をみた。ずっと被っていたフードを脱いでこちらを見つめる。
疲れているのか耳はすこし垂れていた。動物のように耳や尻尾に感情がでるのだろうか。なんてその場にそぐわないことを考えていた。
「だって、わたしにとって大切な家族で、全てなんだよ。これからどうすればいいの?」
こんなことを言ったところでこの人には関係ない。そう分かっていても言葉にしなければ押しつぶされそうだった。
今にも溢れそうな涙はついに瞳からこぼれ落ちる。それからはもう止まることを知らないかのように、何度も何度も頬を伝った。
椅子に座るわたしに近づいてまた男はわたしの涙を拭う。その手つきはゆっくりでとても優しい。
「どうしてあなたはわたしに優しくするの?」
思っていた事が思わず言葉にでた。男は返事をせず無表情でわたしを見つめる。・・・しばらくの沈黙が続いた。居た堪れなくなったわたしが小さく身体を動かすと男は唇を開いた。
「なんでだろうな?もしかしたら俺が悪いことを考えてお前に優しくしてるかもしれないな?」
その言葉はとても怖いものだった。だけどどうしてだろう。わたしはその人の言葉と本心は違うような気がした。勘違いかもしれない。けどこんなにも時間と労力をかけてくれた人が優しくないなんてそんな事あり得ないってそう感じた。
「きっとあなたは良い人なのよ。意地悪だけど優しい人。」
わたしがそう言ったあと、涙を拭っていた手を頭に回しぐいっとわたしを引き寄せた。
今にも触れてしまいそうなほどの距離。まつ毛まではっきり見えてしまうんじゃないか。そんな近さに思わずどくん。と心臓が脈を打つ。
家族以外の人、ましてや男の人とこんなに接近したことなくて思わず身体が硬直する。
そんなわたしにお構いなく男はそのまま言葉を続ける。
「真っ直ぐなのは良い事かもしれんが、疑うことを知らないのは身の危険を招くぞ」
この先必ずな。
話すたびに唇がふれてしまうんじゃないかと、そんな事を考えていた。あまりにも近すぎてその人の言葉があまり耳に入らなかった。
もう心臓の音はうるさくて、耳から心臓が出てきちゃうんじゃないかってくらいで。
その音が男に聞こえていないか。そんな事ばっかり考えてしまう。
ふっと男が離れた。わたしの顔をみて男は笑った。
「お前の顔、赤頭巾くれぇ真っ赤だな」
くっくっくっと喉を鳴らすような笑い声。
今日見た中で一番良い顔をした男をみて、なんだか気が抜けてしまった。