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ユリシアに起こったこと−4「王子」

「おはよう。ねえ、あなたは外で何をしているの」

「偵察だ」


 次の日。起きて早々挨拶もなく消えようとする男に寝ぼけ眼のユリシアは問いかけ、直後元気に手を挙げる。


「私も外へ行くわ」

「軽はずみに動くなと言ったのをもう忘れたのか?」

「でも、昨日の服とか洗わないといけないもの。家に溜めてあるお水じゃ足りないのよ。あとご飯の用意もね。あなたと一緒に行くなら平気でしょう?」

「…俺様に絶対服従するなら許可してやる」


 片方はのんびりと、片方は脅迫するように会話しながら、二人は小屋から出発した。


「なんだか不思議な森ね。昨日も思ったけど、動物がいないわ」

「この地には魔力が満ちている。獣は頻繁には現れん」

「ヒンパン?」

「…よくあるという意味だ。せいぜい朧気な記憶に刻んでおけ」

「それじゃあ、昨日食べたお肉はとても珍しいものなのね。ご馳走してくれてありがとう」

「貴様が勝手に持ち出して食べただけだろうが」


 ユリシアは舗装されていない地面を歩くのに慣れていない。ちょっとした段差にも躓き、遅れを取って男との距離がどんどん離れていく。


「ねえ、ねえ。そういえば、あなたのお名前、まだ知らないわ」

「だから、好きにしろと言っただろうが」

「困るわよ。良いの思いつかないもの」

「そんなこと俺が知るか」


 男は振り返りもせず進んでいたが、出し抜けに「そこに川がある。魚もいるだろう。食料がいるならそこで獲れ」と方向を指差した。

 ユリシアが追いつくと、彼女が息を切らしているのに気づいているのかいないのか、「こっちだ」と先導を始める。周囲を窺っているのか歩行は緩やかで、ユリシアが追随するのも容易かった。


「この森に詳しいのね。長く住んでいるの?」

「…さあな」


 茂みが途絶え、空が開けた場所に見える川は浅瀬だった。ユリシアは洗い物を手早く済ませると、靴を脱ぎ、早速魚を追い求める。


「わあっ冷たい!」

「風邪引くぞ考え無し」

「大丈夫よ。今朝から体の調子がすごーくいいんだもの。えい!やあ!」

「…その馬鹿な掛け声に意味はあるのか」

「声を出すのは大事よ。ベッドによじ登る時も黙ってやるのとじゃ全然違うんだから」

「…チッ」


 ユリシアの動きはどう見ても鈍い。ようやく魚の影を捉えたと思っても、すぐに逃げられていく。挙げ句の果てには足を滑らせ派手に水飛沫を飛ばしていた。


 苛つきを隠さずため息を吐いた後、男は周囲を歩き回り、木から垂れ下がる蔓や小石の収集を開始する。ユリシアが浅瀬で格闘している間に男は黙々と手探りで何かを作り始めた。

 やがて肩を落としてしょんぼりと戻ってきたユリシアに、無造作にそれを差し出す。


「これは?」

「…貴様の素手よりマシだろう」


 手製の網だった。不器用に編み込まれて所々恐ろしいほど穴の間隔が大きく、文字通り「ないよりマシ」な出来だったが、ユリシアは「すごい」とはしゃぎ喜び勇んで川に逆戻りしていった。

 勝手の知らない少女にすぐ壊されてはたまらないと男も後を追いかけ、網を沈めたユリシアを特定の場所にじっと立たせて、己が追い込み役となって川を歩き出す。


 単発の挑戦では成功せず隙間から幾度も逃げられ、時間がどんどん過ぎていく。

 こんなに冷たい水に触れ続けたら昔なら間違いなく体を壊していたが、今のユリシアは絶好調だった。冷感などなんのその、いくらでも試行ができる。追い込み続ける男の方が具合が悪くなりそうな塩梅だった。

 すっかり陽が高くなってからようやく、網に魚が引っかかった。


「えーい!」


 衝突の感触に、ユリシアが両手で挟み網で丸めるようにして魚を持ち上げる。

 当然隙間から水と共に零れ落ちる魚を、男は慌てて左手で受け止めた。持ち上げた反動で後ろに倒れ込みそうになる彼女の小柄な体は右手でどうにか引き戻す。自分の体勢など気にもせず、ユリシアは「どう!?」と身を乗り出して魚の行方を尋ねた。

 男は柔く握られた左手の指を慎重に開いた。

 そっと二人で覗くと、大きな掌の中には水が溜まり、魚が泳いでいる。


「やったぁ!」

「はあ…」


 疲労か安堵か息を吐く男の傍らで、両手を上げて歓声を上げ、ユリシアは川辺から桶を持ってくると、ほくほくと魚を回収した。


「これで豪華なご飯ができるわ」

「……」


 返事がない。見ると、男は目隠し越しにじっと、己の左腕に視線を落としていた。棘の生えた黒い手は心なしか、昨日よりも大きさを増したように感じる。

 ユリシアの目に気づいたのか、男はふいと顔を背けた。


「…貴様の食糧だ。俺は食わん。好きにしろ」

「あなたは食べられないの?それとも食べたくないの?」

「…魔物が人間のように食事をして何の意味がある?」

「意味はあるわよ。皆と一緒に机を囲んで、お話ししながらご飯を食べるのって、とっても楽しいのよ。一人ベッドの上で食べさせてもらうより、ずっと!」

「…チッ」


 再び舌打ちすると、「魚を食うなら火を起こせ」と薪を集めるように指示する。ユリシアは「はあい」と返事をして勇んで枝を拾い始めた。





 川のほとりで手頃な岩に腰を落ち着け、二人は焚き火を囲んでいた。

 魚は調味料を持ち歩いていないから例によって素材そのままの味だったが、ユリシアは美味しい美味しいと次々平らげていた。


「あなたのおかげだわ。お魚を獲ってくれてありがとう」

「……」

「あなたも、食べないと無くなっちゃうわよ」

「……」


 男は無言で串刺しにされた焼き魚をくるくる回す。目隠しの奥でどんな目をしているのか、見てみたいとユリシアは男の様子を見守った。

 やがて黙って口元に持っていったので、ユリシアは慌てて制止をかけた。


「いただきますって言わないとダメなのよ」

「形だけの感謝に何の意味がある」

「形だけじゃないわ。本当の感謝よ。あなたの命をいただいて、私は生き延びますって意味だもの。それに、言葉にするのは大事だわ。一言痛いって言っても、どこがどう痛いのか言わないと伝わらないもの」

「…いい加減貴様の体験談も鬱陶しくなってきたな」


 苦々しい口調で返し、男は期待の眼差しを向けてくるユリシアにため息を吐いた。


「…いただきます」

「うん!いただきます」


 男が白身を黙々と口に運ぶのを確認してユリシアも食べるのを再開し、雲のない空の下、二人は向かい合って食事を続ける。

 不思議な状況だった。一度も訪れたこともない静謐な森の中で、出会って間もない男と食料を調達して、膝を突き合わせて同じものを食べている。

 ニコニコしているユリシアに、不愉快そうに男は「うるさい」と罵倒した。


「何も言っていないのに」

「顔がうるさい」

「ひどい」

「これを酷いと思う感性はあるのか。都合の良いことだ」

「分かりやすく言ってくれれば分かるのよ」

「じゃあ分かりやすく言ってやろう。馬鹿阿呆間抜け」

「もう、どうしてそんなひどいことばっかり言うの」

「…性分だ」


 ふと男は僅かに顔を下げた。独白のように、男はユリシアに聞かせるわけでもなく呟く。


「…まだ二年しか経っていない。そう簡単に人が変わるわけもない。俺とて、詳しくなりたくなかった。こんな侘しい森に一人で二年も…」

「…あなたがここに来たのは、二年前なの?意外と最近だったのね」

「…ああ。たかが二年だ。だが…心を折るには十分な時間だろうな」

「森の外へ出て遊んだりすればいいのに。私は他の国をたくさん巡ったりしてみたいけど、あなたは違うの?」

「…出られないんだよ」

「え?」

「出ようとしたことはある。だが、体が崩れそうになった。俺は…出来損ないの魔物の体は、魔力の満ちたこの地でしか、生きていけない」


 出られない…。

 そっか。

 一人、口の中で呟いてから。長く乱れた赤髪で表情が隠れている男に、そっと問いかける。


「…辛い?」

「その方がいい。奴らへの復讐心を忘れなくて済む」

「…ねえ、どうして、あなたはフクシュウなんてしたいの?フクシュウって、悪いことでしょう?」


 傷口に少しずつ触れるようなユリシアの躊躇いがちな声に、男は顔も上げずに「貴様と同じだ」と答えた。


「私はフクシュウなんて」

「全員から死を望まれて、騙されて、担ぎ上げられた。そんな状況で、貴様は誰も恨まないと言うのか?」

「分からないわ。だって私は、死んでいないもの。死ぬ前にあなたが助けてくれたから、恨む必要もないでしょう。本当に死んでいたら…皆ひどいって、思うかもしれないけど」


 たどたどしい返事に、男は、努めて感情を抑えた抑揚で吐き出す。


「…貴様には身近にいたのだろう。親身に看病をし、貴様の身を心配する人間が。もしそいつらがいなかったとしたら、あるいは慈しんでいるのは表面上だけで、本心は貴様を見下して煩わしく思っていたなら。今と同じことを言えるのか」

「そんなの…分からない」

「……」


 岩のように固まり、どこを見ているとも分からない男は、やがて重い口を開く。


「俺は、言えなかった」


 ユリシアはそれ以上言葉を紡げずに、両手を膝の上に重ねる。遅い朝食はすっかり食べ切り、役目を終えた薪が黒く朽ち果て転がっている。

 ぽつりと男が言った。


「生まれるより先に死んでいれば幸いだったのだろうな」

「…冗談でもそんなこと言わないで」


 強張った非難に、男は首を横に振り、戻るぞ、と平坦な声をかけて腰を上げる。ユリシアは男の背を追いかける前に青い空を見上げ、かつて自分を何より大切にしてくれた人達のことを想った。





「あなたは、いつもそこで寝るの?」

「そうだと言ったら?」

「床は硬いのよ。ゆっくり休めないわ。目覚めた時には背中とか腰も痛くなるんだから」

「…また実体験か」


 特に異常もなく森を散歩して偵察を完了し、夕方小屋に帰って魚と道中採取した茸やら木の実やらを調理して腹を満たし、睡魔に襲われてユリシアは寝る準備に入っていたが、ふと男に質問を投げかけた。


 男は、部屋の隅に膝を抱えた体勢で座っていることが多かった。

 定位置なのか、ユリシアが目を離すといつの間にかそこに座ってぴくりとも動かず、時の流れに身を任せている。暇さえあればそこに居座り、ユリシアに喋りかけられなければ一生黙っていそうな手合いだ。

 自分がベッドを独占しているから、きっと男は部屋の隅で縮こまるしかないのだ。一人で納得し、ユリシアは手招きした。


「一緒に使いましょうよ。私、小さいから二人でも狭くないわ。たぶん」

「同衾の誘いとは、貴様も覚悟を決めたと見える。数分後に泣いて逃げ出す貴様の姿が目に浮かぶようだ」

「ドウキン?」


 ため息を吐き、男は「交尾と同義だ。一つ賢くなったぞ良かったな。寝ろ」と対話を打ち切ろうとする。慌ててユリシアは「待ってちょうだい」と寝に入る男を引き止めた。


「じゃあこうしましょう。私は今夜椅子で寝るから、あなたはベッドを使うの。明日は交代して、その次の日にもまた交代。いいでしょう?」

「貴様は椅子で安眠する自信があるのか」

「ええっと…」

「…余計なことを気にするな。また病をぶり返されても敵わん」

「病気はもう治ったから大丈夫なのよ」

「虚弱な体質に変わりはあるまい。俺を気遣う暇があるなら自分の身の心配でもしていろ」

「…でも、だって、それじゃあ、あなたは床で寝るのに慣れているの?」

「…貴様よりはな」


 男は体を丸めて顔を両膝の間に埋めながら、一年前かそこらまでは屋内にすら辿りつけていなかったのだからもう慣れている、と小さく漏らした。

 ユリシアは瞬きをし、それから碧眼に強い光を宿すと毛布を引っ張って男の右隣に無理くり腰を下ろした。

 おい、と拒絶されても構わず、「私もここで寝るの」と強引に男の膝の上に毛布を分ける。


「風邪引くぞ。魔物のそばで一夜を過ごしたら…そう、変な病気になるかもしれないぞ」

「いいの!」

「…馬鹿が」


 舌打ちし、しかしユリシアの意思が強固なことを悟ったのか男はそれ以上追及しない。

 魔物、と男は自称するが、伝わってくる体温は間違いなく同種のものだった。ユリシアは、光沢のない長い赤髪から覗く、寝る時でさえ頑なに目隠しを取らない男の横顔を見つめながら囁く。


「…ね、お話してちょうだい。私、体調がいい時は必ず寝る前に読み聞かせしてもらっていたのよ。私の夢、世界を一周することだから、外国のお話を聞かせてもらったりね…学校で生活していた時は、一人部屋だったし、全然だったけど。久しぶりに聞きたいわ」

「…俺は貴様が好みそうなおとぎ話など知らん」

「確かにおとぎ話は好きだけど…氷の国を冒険するお話とか、キスで目覚めるお話とか。でも、何でもいいのよ。あなたが知っているお話なら」


 長い沈黙が続く。

 それでもユリシアが待っていると、身じろぎしてぎこちなく男は「昔々」と切り出した。


「我儘な王子がいた。そいつは、自分が一番でないと気が済まなかったから、自分より優秀な人間に悪態をついて、周りの人間を馬鹿にして、誰からも嫌われていた」


 ユリシアの期待の眼差しに気づいて、やりにくそうに男は口ごもり、たどたどしく続ける。


「だから…その。良き魔法使いに、芋虫に変えられて…鳥に食われた。周りの人間は、虐げてくる王子がいなくなったから、それからいつまでも幸せに暮らした。…………終わり」

「終わり?王子様のお名前も出てないのに」

「…そんなのどうだっていいだろう。全く…無茶振りしておいて冷酷な反応だな」

「だって、ちっとも幸せじゃないもの。ひどい人だからって食べられちゃうなんてあんまりだわ」

「…本当にそう思うか?貴様は嫌いな人間が死んでも嬉しくならないのか」

「うん」


 迷いのない肯定に、男は押し黙る。ユリシアもまた眠たい目を空中に泳がせながらじっと丸まっていた。

 男はやがて「王子は」と密やかに語り始める。


「…王子は、自分を賢いと思っていた」

「うん」

「真剣に取り組まないだけで…やればすぐにできると思っていた。周りの人間は本当の俺を知らない馬鹿ばかりと侮っていた。だが弟が王子に言った。お前は自分を賢いと思っているだけの馬鹿なのだと。だから皆に失望され、陥れられるのだと」

「そっか」

「誰にも望まれていない、馬鹿なお前に生きる価値などない。周りに迷惑をかけるだけの無能は死ね。…それは正論だろう?」

「そう?」

「何故」

「だって、死んだら終わりだもの。今苦しくても、未来では、やりたいことができるようになっているかもしれない。希望を忘れないで、負けないで生き延びたら、夢を叶えられるかもしれない。たとえ、もうこの世に私を愛している人がいなくても、約束したから。絶対生きて幸せになるって決めたから。だから、死なないの」


 しばらく空白の時間の後、理想論だな、と男は回答した。

 論点がずれて主観になっているし、自己中心的で傲慢、夢に侵された都合の良い思想だと更に否定するが、ユリシアは笑顔を崩さない。


「…価値観の相違だな」

「ソウイ?」

「分かり合えることはない」

「そっか」

「…まあ。参考になったと礼を言っておこう。貴様の浮ついた思考も多少は役に立ったということだ。光栄に思うといい」

「良かった」


 もう寝ろ、と静かに男が促す。うん、とユリシアは頷き、男の肩に寄り添いながら目を閉じて、形のない未来の想像をした。


 朝目覚めると、ユリシアは一人、ベッドの上でしっかり毛布をかけられていた。

 相変わらず部屋の隅で丸まって寝ていた男に頬を膨らませ、抗議したのは言うまでもない。

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