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ユリシアに起こったこと−2「男」

 気づくと、ベッドの上だった。

 ああ、倒れてしまった。気絶したのを見つけて、お手伝いの皆が運んだのだろう。きっとまた辛そうな顔をしている。


 私は大丈夫、と声に出そうとして、ユリシアはとっくに自分の病気が治っていることを思い出した。

 一年ほど前のことだ。

 魔法使いと名乗る男が、両親の紹介で現れた。男がユリシアの腹に手を当てると、不思議な光が溢れて、生まれてからずっとあった倦怠感が抜けていった。

 ふらつきもせず立ち上がれた自分を、泣きながら抱きしめてくれた両親の温もりを忘れることはない。


「…お父様?お母様?」


 父も母も死んだ。

 ユリシアが健康になって程なく、魔法使いを故郷へ送り届けたその先で土砂崩れに巻き込まれて死体も見つからなかった。


「お姉様?」


 両親がいなくなり、叔父夫妻が管理するようになって、ユリシアは追い出されるようにして家を出た。

 他に頼りもなく、姉が寮暮らしをしている学園へと転がり込んだ。

 そうして一年ほど学園で生活を送っていた。

 けれど、このボロボロの天井は、そこのものとも違う。


「皆…」

「そいつらはここにはいない」


 寝たまま辺りを見回すユリシアを両断するように低い声がした。

 部屋の隅に、ひっそりと男が座っていた。

 まだ若い。十五歳のユリシアとそんなに離れていないかもしれない。

 特徴的なのは乱雑な赤い髪、肥大した真っ黒な左腕、そして両目を覆う黒い布だ。


「あなたは誰?」

「役立たずめ」

「何が?」


 役立たずという言葉の意味は知っている。けれど、何がそれに該当するのだろう。

 部屋は狭く、壁のあちこちに亀裂が走っている。窓の木枠が歪み、光もあまり差し込まない。打ち捨てられたような、古びた小屋だ。

 中には、ユリシアと男の二人しかいない。

 男はユリシアの疑問に答えることなくおどろおどろしい声色で語る。


「貴様が孕まなければ計画が次に進まん。せいぜい努力するんだな」

「ハラマ…って何?」


 男が立ち上がった。

 黒い布の奥にある目がどんな感情を宿しているか分からないが、少なくともユリシアが今まで相対したことのない種類であることは間違いなかった。

 これまで会ったことのあるどんな人間よりも、暗澹とした雰囲気を放っている。


「貴様は母体だ。奴の卵を人間の体に入れるだけで何体も孵化させてきたのだから、俺とて同じことができるだろう」

「何のお話?」

「貴様の意思など関係ない。聖女に選ばれるような人間だ。生きていても何の利益も生み出さない、全員に消えることを望まれた駄作。最期に俺の役に立てることを感謝するんだな」

「もう、意味が分からないわ」


 学園生活でも、周りの人々が何を言っているのか分からないことは多々あった。

 しかしこの男のは群を抜いている。

 頭を振りながら、ユリシアは身を起こす。

 自身の体は、見慣れた形をしている。筋肉がないのでところどころ骨が浮いて出ているし、腹も痩せている。

 部屋の中で、日に当たらない生活をずっとしていたから、肌も一際白い。同級生の小麦色の肌に憧れて絵の具を塗ってみたこともあった。


 ふと、首を傾げる。

 自分の肌が露出している。ということは、服がない。下着姿だった。


「体を拭いてくれたの?」


 高熱で寝込み、意識が戻った時に、お手伝いの皆が入浴の代わりにと自身の裸体を拭いてくれていたこともあった。故にそれほど違和感はないが、初対面の人間にやってもらうのは初めてだ。

 だが男は肯定せず、壁際にあるベッドの傍らに佇みながら短く舌打ちした。


「淫売でも選ばれていれば話が早かったものを。よりによって貴様のような白痴とはな。…そうでなければそもそも選ばれなかっただけの話だが…」

「ねえ、あなたはどうして分からないことばかり言うの?」

「…まあいい。所詮苗床に過ぎない」


 男が左手でユリシアの手首を掴む。

 そのまま彼女の腹の上に乗り上げ、正面からユリシアを見下した。

 男は右手で己の目隠しを取った。

 明らかに人間のものではない、緑色の複眼が間近に向けられる。

 腹部を圧迫されて咳き込みながらもユリシアは男に問いかける。


「それは、何?」

「少しは自分で考えたらどうだ」


 男の左腕は、真っ黒に肥大している。近くで見れば、幾本も横に筋が通っており、これも普通の人間ではありえなかった。


「あなたは人間なの?」

「どう思う」

「人間でしょう。言葉が通じるもの」

「…ハッ、だから貴様は聖女に選ばれるんだ」


 自嘲するような笑い方だった。

 ユリシアが不思議そうに見上げるのも構わず、男は左手で握り潰すように力を込めた。痛みでユリシアの唇が引き締められる。

 彼女の反応など気にすることなく、男は殺伐と語る。


「人間だろうが魔物だろうが関係ない。俺は貴様の命を握っている。少しでも長生きしたければ従うんだな」

「私、ここにはいられないのよ。聖女のお仕事があるの。皆にお祝いされたし、神殿の人も待っているわ。行かないとダメなのよ」

「…驚いたな。まだその認識なのか」


 覚えていないのか、と男はユリシアの腹に右手で触れた。


「貴様の腹には奴の卵があった。今でこそ沈黙しているものの、あのまま神殿に行けば孵化し、貴様という存在は潰えていた」

「…お腹に、卵?」

「聖女、あるいは聖人は皆そうなる。卵が孵化すれば、そいつは生まれ変わる。類稀なる才能を持ち、国を発展させ、歴史に名を残す正真正銘の偉人にな」

「すごい人になれるの?じゃあ皆、喜んでくれるわ。私も行かないと」

「ああ、喜ぶだろうよ。今そこにある貴様という無能の人格が消滅するのだからな」


 ユリシアは碧眼を瞬かせた。男は口の端を歪めるようにして笑いながら酷薄な言葉を叩きつけ続ける。


「聖女、あるいは聖人に選ばれるのは無能の証だ」

「…どういうこと?」

「たまにいるだろう、明らかに生まれる場所を間違えた愚鈍が。この国の上流階級として相応しくない、人を不快にさせることしかできない害虫は駆除しないとな。しかし処刑や追放するにも手順が面倒、何より外聞が悪い。だから中身だけを取り替える。それが聖女という仕組みだ」

「だから、どういうこと」


 同じ問いを口にするユリシアに、男は複眼を瞼を動かして細め、柔らかな口調で返す。


「貴様にも分かるように優しい言葉で説明してやろうか?貴様は、貴様以外の全員から死んでほしいと願われたんだよ。貴様が聖女になるのを、誰もが祝ってくれただろう?誰もが貴様の死を望み、貴様の死を祝福した証拠だ!」

「嘘よ。だって、お姉様は、幸せになれるって言ったもの。王子様だって、喜ばしい発表だって言っていたもの」

「だから、幸せなのも喜ばしいのも間違いないんだよ。貴様ではなく、奴らにとっての話だがな。貴様という邪魔がいなくなって奴らはせいせいしているところだろうよ」


 目を見開き、ぎゅっと口を閉ざすユリシアを男は冷たく見下ろす。何の衣服も纏っていない寒さのせいか、彼女の骨ばった体は小刻みに震え始めていた。

 覆い被さった状態のまま男はしばらく無言で見つめていたが、「…今王子様と言ったか」と低音で問いただした。


「誰のことだ。名前を言ってみろ」

「……」

「貴様の耳は飾りか?」

「…王子様、は、お姉様の旦那様になる、レオンハルト様。それと、そのお兄様の、アレクサンダー様。将来家族になるから、覚えているのよ」


 レオンハルト、アレクサンダー。名前を口の中で呟き、次の瞬間に男は、ユリシアの手首を掴んでいた左腕を解き振り上げると壁に叩き落とした。

 派手な音がして石の壁に跡が残る。ギリギリと歯噛みしつつ男は拳を血が滴るほど握り締めた。人並外れた姿でも、血は赤いのだとユリシアはぼんやり思った。


「レオンハルト…アレクサンダー…!!」

「知っているの?」

「忘れるものか。奴らに復讐するまで俺様は絶対に死なん。復讐するために生きてきたのだ。この俺様を虚仮にしたレオンハルトも、のうのうと生きているアレクサンダーも、俺を嘲笑って裏切った国も、全部潰してやる。全員、道連れにして死んでやる…!!」


 ユリシアは妙に冷静だった。彼の明かした情報を現実と受け入れられていないのか、それとも自分より感情に振り回されている人間を目の当たりにしているからか。

 ユリシアは腕を伸ばし、男の血の滲む左手に触れた。


「傷ができたら、消毒しないと。化膿したら大変なのよ」

「…触るな」


 不意を突かれた様子で男は身を起こした。そのまま「気が削がれた」とユリシアの横たわるベッドから離れる。


「…いいか。貴様は道具だ。俺が奴らに復讐するために、聖女たる肉体を持つ貴様には同胞を数多く産んでもらう。俺を父と崇める軍団を作らせる。せいぜい覚悟するんだな」


 棚から厚手の服を半裸のユリシアに投げつけ、複眼の男は振り返りもせず小屋を出ていく。

 それを見送って、ユリシアは指についた赤い血に視線を落とすと、やがて決意したように顔を上げた。





「おかえりなさい」

「何をしている」

「あなたのお名前、まだ聞いていなかったわね。私はね、ユリシアっていうの。ユリシア・ス…」

「何をしていると聞いているのが分からんのか」


 男が小屋を出て何時間経ったか、日はすっかり落ちて外は真っ暗になっている。古いカンテラの明かりしかない薄闇の中、ユリシアは箒で床を掃いていた。

 黒い布で目隠しをして帰宅した男の詰問に、ユリシアはのうのうと答える。


「私、死ぬところだったんでしょう」

「…それが何だ」

「あなたは、それを助けてくれたんでしょう」

「……」

「あなたが誰か知らないし、人間かどうかも知らないし、どうして皆を恨んでいるのかも知らない。でも、私はあなたに助けてもらった。だからお礼をするの」

「馬鹿が」

「お母様に読み聞かせてもらった絵本にもあったのよ。助けてもらったら、お礼をしようって。まずはお掃除!空気を入れ替えないと気持ち悪いし、埃は肺に悪いわ。お掃除なんて昔はしたことなかったけど、学校に来てお部屋をもらってからは一人でやるようになってね、皆にやってもらっていたところを思い出して方法を真似て」

「やめろ」


 大股で近寄ってくると男はユリシアの腕を捻り上げる。手から箒が落ちて軽い音を立てた。


「…俺に恩を返したいというのは見上げた心意気だ。ああ全く素晴らしい。だが方法を誤るな。本当に感謝しているならとっとと子を孕め。一体では足りんのだからな」

「だから、ハラメって何?」


 憤る気を沈めるように男は深呼吸し、「子供を産めと言っている」と優しく言い換える。


「誰の?」

「貴様は数刻前の会話すら記憶できんのか?俺のだ、笊耳」

「でも私、あなたと結婚していないわ。子供って、お父さんとお母さんが仲良くしていたら生まれるんでしょう?」

「残念ながら男と女がいれば不仲でも子は生まれる。そもそも俺の子は人間の誕生の仕方とは大きく異なるだろう。奴と同じように、貴様の腹に卵を産みつける形になるか…ん?」


 俺が産むのか?と小声で当惑したように男が呟いた。

 力が弱まったのを見計らってユリシアは男の手から自身の腕を引き戻す。それで我に返って、「とにかく」と男は言い募った。


「貴様は母体だ。奴のように貴様の腹を使って、俺の子を作り出す」

「ねえ、ヤツって誰のこと?」

「…神殿の連中が神と崇めているものだ。古来よりこの国の中枢によって秘匿されてきた、魔力を持つ巨大な虫。奴は卵を産む。それを聖女や聖人に取り込ませれば、その肉体を媒介として子が孵化し無能の聖女は偉人として生まれ変わることが可能になる」

「虫?何だか気持ち悪いわね。あ、そうそう、汚いお家には虫が入りやすいのよ。だからお掃除しないとね」


 床の箒を手探りで拾い上げ、ユリシアは掃き掃除を再開する。

 男はまだ引っ掛かっているのか「…俺が卵を産む必要がある…?」と頭を抱えて考え込んでいる。その足元を、ユリシアは何本も藁の抜けた箒で掃き去っていった。

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