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ユリシアの現実−下

 依頼は、どうなるのかしら。


 モネ達は、凍りついて私を見つめている。

「あ、あれは、お嬢様…」「お、お嬢様が、泣いて…」と呆然と呟いている。

 私の偽物はきょとんとしていて、地面に座ったまま。

 アレクサンダーは二度と離したくないと囁いて私を抱きしめている。少し暑い。


「やあやあ、失礼。よくやってくれたね」


 見計らっていたように、魔法使いが現れた。もしかしたら本当に見ていたのかもしれない。鳥の仮面の下でなんだか嬉しそうな顔を覗かせていた。


「さて、依頼主様がた。結果を発表させていただきましょう」

「な、何を…」

「モネ様。事前に通達していた通り。他の方と依頼が重複した故、あなた方の依頼を妨げようと暗躍している勢力がおります、ご注意ください、と共有しておりましたよね。その他の依頼主様というのが、今、ここにいる方です」

「まさか…」

「今から詳しくご説明いたします。ですがその前に」


 魔法使いが、アレクサンダーの肩に触って呪文を唱えると、あっという間に傷が消える。血の跡もない。恐ろしいくらい超常的な力。「いやあ君ほんと面白い魂してるよね。お体にさわれて光栄だよ」「貴様…」「えっごめん嫌だった?でも痛々しいの見ててやだからさ」と弁解している。


 次に、偽物の私の頭頂部に触って短く何か唱えた。

 瞬間、偽物の私は、ツルツルの目も鼻もない泥人形に戻ってしまった。


「うわああああっ!?」

「きゃああああああ!」

「ごめんごめん、トラウマになっちゃうね」


 絶叫してのけぞるカリアとデージーに、魔法使いはすまなそうにしずしずと人形を丸めて懐にしまった。

 そうして、顔色の悪いモネ達に、私にしたのと同じ説明をする。

 モネ達の悪かった顔色がどんどん悪化していって心配になった。


「…そ、そんな…」

「私達が、お嬢様を間違えるなんて…」

「最低ですう…」

「当然の、仕打ちですわね…」


 自分を責める女性陣の隣で、オレガノが腕を回して「やいやい」と魔法使いに食ってかかる。


「あんたちょっと性格悪いんじゃねえのか、魔術師が作ったお嬢様そっくりの人形なんて見分けつくわけねえじゃねえか」

「でもそこのアレクサンダー様は見抜いてたよ」

「うぐぬう…」


 言葉が出なくなったオレガノを穏やかに見つめ、魔法使いは私に向き直って「でもね、どうか誤解しないでおくれ」と告げた。


「彼らは本当に、君のことを思っていたんだよ」

「偽物と区別もつかなくてもか」

「アレクサンダー様はつれないなあ。でも君だって、不眠不休で二年間労働し続けてみたらどんな精神状態になるかなんて想像つくでしょ?」

「…なんだと」


 魔法使いが懐から水晶玉を取り出して撫でる。私はアレクサンダーの腕を解いて、それを覗く。すると、皆の顔が映し出された。

 前に見たものとも、今目の前にいる皆とも違う。やつれてクマだらけのひどい顔。

 慌ててモネが水晶玉を手で隠した。


「お嬢様に汚らしいものを見せないでください!」

「必死に頑張って働いている人の顔が汚いとは思わないけどなあ」


 僕にお金を持ってきた時のあなた方は、それはもう追い詰められた顔をしていましたよ、と加える。

 それが正しいと思い込んで、それ以外考えられなくなって。判断が鈍ることなんて誰にでもある、と続けた後で、だからといって洗脳を依頼することが正しいということにはならない、と真面目な顔になった。


「ご覧にいただけたでしょう。あなた方は、ユリシア様が泣いて縋れる存在を抹消しようとしたのです。ユリシア様に許諾も取らず、世界を改変するのも可能な力を持つ魔術師にこっそり実行してもらうという卑怯な方法で」

「…アレクサンダー殿下…」


 モネは、アレクサンダーを見てグッと目に力を込めた。でも私と目が合って、すぐに泣きそうになって顔を伏せる。


「…さて。見極めは終わりました。複数の依頼が矛盾したことによって優先順位をつけ、魔術師は依頼を遂行する段階に入ります。残念ながら優先順位が低く見積もられた方はご意向に添えない結果となる場合があります。ご了承ください」


 依頼。

 私の依頼は、自分の記憶をそのまま保ちたいということ。

 モネ達の依頼は、私の記憶からアレクサンダーの存在と、辛く悲しい思い出を消すこと。


 私は、モネ達の依頼を阻止するために魔法使いに協力した。

 姿を変えて、モネ達にバレないように大人しくしていた。

 国から出立するまでの間、モネ達に私が本物と見抜かれなければ、私の勝ちになる。

 そう、国から出立するまで。


 …モネ達は、今、まだこの国にいる。そうして、私が本物だと知ってしまった。


 でも、でも。モネ達の勝利条件だって、満たされてないはず。

 国から出立するまでの間、偽物の私を偽物と見抜いて、本物の私を見つけなければ、モネ達の勝ちには…ならない…。


 魔法使いは、笑顔を消している。真面目な顔。冷徹とも言える。

 お願い…。

 私は、アレクサンダーを忘れたくない。

 辛くて、悲しい思い出も。

 お父様とお母様が死んでしまったことすら忘れて、お姉様に聖女になるのをお祝いされて、でもその末に仲直りしたことを忘れて、モネ達がお別れもせずいなくなって、でもこうしてまた会えたことを忘れて、のんびり幸せになんて、なりたくない。


 魔法使いが宣言する。


「審査の結果。アレクサンダー様の依頼を第一優先することになりました」

「…えっ」

「は?」


 私とモネが驚きの声を上げた。アレクサンダーは無言で腕を組んでいる。

 どういうこと、と聞けば、首を振って「成り行きだ」とぶっきらぼうに答えた。あまり話したくない時の仕草。


「ユリシア様にもご説明いたしますね。ユリシア様と交渉し、変身させた後。魔法屋に片っ端から殴り込み…いえ、ユリシア様の異変を察知し訪ねて来られたアレクサンダー様とも交渉し、依頼を取り付けました」


 アレクサンダーを見る。顔を逸らされた。

 殴り込みって。異変を察知して魔法使いを訪ねてきたって。

 それってつまり、私が魔法使いに何かされて、あんな手紙を書かされた、と思ったということ?


 アレクサンダーは答えない。頑なに顔を合わせようとしない。


 またすとんと、腑に落ちる。

 アレクサンダーは、あの時、手紙を読んだ時。私にお別れをされたから傷ついていたんじゃなかった。

 喧嘩別れした私が、一人になった隙に魔法使いに襲われた。一緒にいて守ってあげられなかった。そんな自分が情けなくて、腹立たしくて、アレクサンダーはあんな顔をしていた。

 相変わらずだわ、もう!

 バシバシ高い背中を叩いていると、魔法使いが咳払いをする。


「アレクサンダー様の依頼内容は、ユリシア様がご自分の意思で行動し、精神に過度な干渉を受けず生きていくこと。他の方と矛盾するため、アレクサンダー様にも同じように条件を課しました」


 条件。アレクサンダーは私とは違って、人間の姿のままだったけど。


「ユリシア様を見つけ、このものこそユリシア様であると宣言されたなら。あなたの勝ちであると」


 勿論、ユリシア様の偽物が存在する点の情報は明かしていません、と魔法使いは頷く。

 アレクサンダーは口を閉じている。黄色い目がちらりと私を伺った。


「ねえ。髪と目の色が変わっているのも、条件の一部?」

「いやあそれがアレクサンダー様ったら必死になるあまりに方々の魔法屋さんにちょっとご迷惑をおかけして要注意人物って目をつけられてたもんだから可哀想でちょっと僕サービスしちゃって」

「俺の勝ちならば。そいつらの依頼は却下されるということだな」


 アレクサンダーが強引に遮って、モネ達を睨みつけた。

 カリアとデージーは手を取り合い泣きそうな顔で私を見つめ。リリスは眉を顰めて唇を引き締め、オレガノはやり場がないように片手で頭を掻き。

 モネは、悔やみきれないような、もう何もかもおしまいと嘆くような表情で地面を見つめていた。


「はい。依頼は棄却します。一部は」

「なんだと」

「彼らの依頼は、ユリシア様の記憶を改竄することだけではありません」


 ユリシア様が、幸せに生きていかれることです。

 そう続けた。


「故に。ユリシア様が、ご自身を裏切った彼らを排除することで幸せになれると仰るなら、僕は力を発揮しましょう」

「排除なんて、しないわ」

「排除してください」


 私とモネの声が重なった。

 驚いて顔を見ると、目をぎゅっと閉じたままモネは拳を握りしめて掠れ声で主張する。


「私は、私達は、お嬢様を助けに行きませんでした。他人に任せました。自力で助け出そうともせず、お嬢様の幸せを勝手に推し測り、押し付けた。挙げ句の果てにはお嬢様の偽物を見抜くことすらできず、中身の全く異なる人形を崇めていた。動けないお嬢様の眼前で、何も気づくことなく呑気に…。そう…私達の存在こそ、お嬢様の記憶から消えるべきもの」

「どうしてそんなひどいことを言うの!」


 駆け寄って両手を取る。モネがびくりとして瞼を開いた。涙がこぼれ落ちそうになっている。


「私は、生まれてからずっとあなた達に助けられてきたのよ。ご飯を食べさせてくれて、着替えさせてくれて、熱が出れば氷嚢を出してくれて、元気になればお庭まで連れていってくれた。支えてくれた。その思い出を消してしまうの?」

「ですが…そうでなければ、私達は、罰を受けなければ…」

「あなたは泣いているじゃない。今、辛いんでしょう。罰って言うならそれが罰よ」

「お嬢様…」


 皆も、と呼びかけると、恐る恐る近づいてくる。カリアもデージーもリリスも不安そうに、一歩遅れてオレガノは皆を心配しながら、私の前に揃う。


「私を助けようとしてくれてありがとう。でも、今、私は助けてもらう必要はないの。アレクサンダーがいるから、平気なのよ」

「あ、アレクサンダー様は、いい人なんですか?」

「散々ろくでもないって聞きましたけどお…」


 カリアとデージーの言葉に、アレクサンダーの腕を引っ張って押し出す。見て、ろくでなしじゃないのよ、と言えば、二人はまじまじとアレクサンダーを観察して、アレクサンダーは私に横目で助けを求めてきた。


「…稼ぎはありますの?」

「男は甲斐性だからなぁ」


 リリスとオレガノの問いに私が「職業は旅人よ。騎士じゃなくてね」と答えたら、「お前…」とアレクサンダーが呻いた。

 騎士じゃなくていいのよ。じゃないと一緒にいられないんだから。


「…私ら、間違っていたんですね」

「お嬢様、アレクサンダー様、本当にごめんなさいい」

「浅慮を恥じるばかりですわ…」

「一応俺らも俺らなりに頑張ったんだけどさ、配慮がなかった。酷いことして、本当、申し訳ねえ」


 皆が謝罪してくる。「いいのよ、私達は結局何も失っていないもの」「お嬢様はお優しすぎます」「天使ですよお」「あえて言うなら神では?」「なんでもいいだろ」と一通り言い終えると、モネが息を吸った。


「お嬢様。もしお嬢様が許していただけるならば…いま一度、お聞かせください」

「なに?」

「私共と…一緒に、暮らすおつもりは、ありませんか?一生、何に変えても、貴女をお守りします。貴女を幸せにすることに、人生を賭します」


 形は問いかけていたけど、とっくに答えが分かっている顔だった。悲しそうで、寂しそうで、でもどこか嬉しそうで、モネは私の返事を待っている。

 私は、笑顔で答えた。


「ごめんなさい。お断りするわ。私は、アレクサンダーと旅がしたいから」


 アレクサンダーの腕を取る。不機嫌に「貴様らなどに誰が渡すか」なんて言っているから背中を小突いた。


「…そうですか。ご多幸を、お祈りしております」


 本当に、本当に、申し訳ありませんでした。

 そして、私共をおそばに置いてくださり、ありがとうごさいました。


 最後に深々と頭を下げて、モネ達とのお話は、決着がついた。





 大通りで必需品の買い物をしながら、本当に受け取らなくて良かったのか、とアレクサンダーが聞いてくる。あなたは欲しかったの?と逆に聞いたら、俺は要らないが、とやりづらそうに答えた。


 モネ達と今までのお互いの話をして、一緒にご飯を食べて寝て、別れる前。皆は、稼いだお金を私達に渡そうとしてきた。依頼が取り消されたから、魔法使いへの依頼料が全て返却されていた。

 依頼は無くなったけど、色々準備もあったし、いらないの?と魔法使いに尋ねたら、一部始終を笑顔で見守っていた彼は「いやあ面白いものを見せてもらったから。この満足感がお代みたいな、ね?それに魔導人形の良い蓄積が取れたしね」と言っていた。


 お金は大事だし、必要だけど。モネ達が生きるのにも必要で。私達は切羽詰まってるわけじゃないからお断りした。

 それならせめてと偽物の私に貢いだ分の金品を差し出されて困った。ドレスもアクセサリーもとても嵩張る。換金しろとアレクサンダーが口を出すから役立ちそうなものだけ受け取った。


 皆はまた一緒に、家を建てる予定だったという国に移住するみたい。この金を元手に会社でも起こしてやるぜ、と笑っていて、いつか遊びに行くことを約束した。

 アレクサンダーはそれを聞いている最中、「甲斐性…」と呟いていて、また脳内で色々吹き荒れているのかしらと推測できた。


「やあやあ。お二人さん、お元気そうで何より」

「魔法使いさん、こんにちは」

「何の用だ」


 賑わいの中。目と口が空いた鳥の仮面を被って、ニコニコしながら現れた魔法使いに、アレクサンダーが無愛想に聞く。

 髪と目の色はもう戻してもらったし、別れの挨拶もしたけど、まだ何かあったのかしら。


 「いやね、もうすぐ国を旅立たれるんでしょ?君達にはお世話になったからね、お礼しなきゃと思ってね」と朗らかに言うので、「お世話になったのは私達の方よ。ありがとう」と礼をする。


「やめてくださいな、僕は結局今回もろくに活躍できなかった。君達をけしかけただけで、自分では何もしていないのさ」

「でも、あなたがいなかったら私は記憶が消えていたわ」

「僕がいなかったら記憶を消す人もいないんだけどね」

「あら?」

「そう、全ての元凶はこの僕、偉大なる魔術師!というわけで、お詫びの代わりと言ってはなんだけど君達に餞別を送ろう。何がいい?」


 アレクサンダーと顔を見合わせる。

 何か欲しいもの。耐熱防寒のマント、いくらでも入る水筒、穴の空かない服と靴、何にでも効く薬草、天気が分かる道具…。

 あれやこれや考えていると、「んもう、色気のない!若い男女が一緒にいるならこれっきゃないでしょうよ、ほい!」と液体の入った小瓶を投げ付けてきた。アレクサンダーが咄嗟に受け止める。


「なんだこの得体の知れない汁は」

「媚薬!」

「……」

「わあああ割らないで割らないで!一応めちゃくちゃ貴重なものだから!」


 危ない危ないとアレクサンダーから取り上げて、魔法使いは両手を胸の前で組み合わせるような格好になりながら「下世話でごめんね、でも僕、分かる気がするんだ、どうしてかの古代種の魔物が君達を生き延びさせたのか…」とつらつらと語り出す。


「きっとねえ、君達のいちゃいちゃが見たかったんだよ。子供の顔を拝みたくなったんだ。僕もそう。だから見せてください」

「貴様の目を潰せばその愚行は灰燼に帰すか?仮面を剥げ一瞬で終わらせてやる」

「助けてください僕まだ死にたくありません」


 わざわざ剣まで抜いたアレクサンダーに降参し丁寧に謝罪してから、「ところで」と魔法使いは続けた。


「どうして君は剣が下手な振りをしているの?」

「…な」

「ああごめん、無意識かな?君、利き腕左でしょう?でも剣を使うのは決まって右手。それじゃ扱いづらいに決まってるよ」

「…これは…そう教わったから…」

「ふうん。嫉妬かなあ。筋良さそうだからねえ。どこにでも嫌な人はいるもんねえ」


 おおよしよし可哀想に、大変だったねえ、と赤い頭を撫でそうになったところで私の視線に気づいて、慌てて魔法使いは後退した。


「助けてください僕まだ死にたくありません」


 さっきと全く同じことを言いながら両手を上げる。どこにも死ぬ気配なんてないのに、感情豊かな人だわ。


「お邪魔虫になりたくないしそろそろ退散させてもらうね。また気が向いたら遊びにおいで。今度はちゃんと占いしてあげるからね」

「列に並ばないとダメでしょう?」

「うん!人気者だからね僕!そこは公平にお願いします」

「あんな長蛇に並んで時間を浪費しても価値が残るような占いであれば考えてやらんでもないがな」

「勿論サービスいたしますともお客様!それじゃ、元気でね!」


 魔法使いは颯爽と手を振りながら、煙のように消えてしまった。

 アレクサンダーが腕を組み、ため息を吐いた。その肘をつつく。


「ねえ、ねえ。クレア」

「なんだアシュリー」

「これどうしようかしら」

「……なっ」


 私の掌の上には、小瓶。いつの間にか握らされていた。

 絶句してからアレクサンダーは「割れそんなもの」と目を泳がせる。


「ねえクレア。私達、どうして喧嘩してたか覚えてる?」

「……」

「あなたが全然私に同衾について教えてくれないからでしょ。お姉様に手紙でかいつまんで教えてもらっただけで、子供の作り方もまだ詳しく知らないのよ私。誰かに聞くとあなた怒るだろうし」

「当たり前だ」

「だったらもう教えてくれてもいいじゃない。これって、そういうのに使うものなんでしょう?」


 掌で小瓶を転がしていると、アレクサンダーは上に自分の大きな手を被せてきた。緑色の目をうろうろさせて「頼む」と小声で切実な訴えをしてくる。


「何を頼むの?」

「……往来でする話じゃない」

「じゃあ移動しましょう。どこならいい?お店?お部屋?小屋?森?どこでもいいわ、あなたがちゃんとお話してくれるなら」

「…だから…お前を…」

「なあに?」


 あ、言い訳を考えている顔。


「お、お前に負担を強いるだろうし……虚弱だろうがお前は」

「旅を始めてから私が風邪を引いたことあったかしら」

「……」

「もう。ちゃんと素直に言って」


 詰めると、アレクサンダーは観念してぼそぼそ吐き出した。


「……お前に……嫌われたくない……」

「なあにそれ、バカみたい」

「…お、お前は…知らんからそんなことが…………。まだその時ではない。いざ実行を前にして自制し切れなかったら事だ。故に多大なる時間と準備と星詠みが必須となり環境においても穴一つない設備が須要で」

「言葉数で誤魔化そうとしてもダメよ」


 アレクサンダーの首の後ろに手を回して引き寄せる。真正面から目を合わせた。忙しなく動いていた切れ長の緑の瞳が一点に固まる。


「もうとっくに分かってるでしょう、アレクサンダー」


 小声で名前を呼ぶと、びっくりするくらい強い力で抱きしめられた。大きな体に包まれて潰れそうになる。


「…一応聞くが、俺が何を分かっていると」

「全部」


 お互いの気持ちも、嫌いになるなんて言葉のバカバカしさも、不安になる無意味さも。

 分かり切っているのに。


 深く息を吐いてから、アレクサンダーが目に苛烈な光を宿して私を覗き込んできた。

 元々鋭くて印象がきつい瞳を更に凶悪に変える。綺麗な緑色は、初めて出会った時と変わっていない。


「ユリシア」


 覚悟しておけ。


 低く囁かれた言葉に、バカね、と繰り返す。

 あなたの左腕が黒かった頃からできてるわ、と続けたら、また抱き潰された。

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― 新着の感想 ―
[一言] 読み終わったあとにカフカの変身を思い出してしまいました。
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