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ユリシアに起こったこと−1「聖女」

「おめでとうございます、ユリシア様。貴女は新たな聖女に選ばれました」


 公爵令嬢ユリシアがその宣告にきょとんと目を瞬いた一方で、彼女の姉であるエリアナはひどく表情を強張らせた。


「…何かの、間違いではないのですか?」


 エリアナは張り詰めたような声で、神官に尋ねる。


 妹、ユリシアは、幼い頃より病弱だった。

 生まれてすぐに死にかけた。何とか生き延びたものの、ろくに外にも出られず、何かあれば熱を出し、一日の大半をベッドの上で過ごしていた。

 両親は彼女をどうにか治せないかと躍起になり、彼女を癒そうと尽力し、執務さえ叔父夫婦に大半を任せて方々の医者を訪ねて回っていた。


 最終的には高名な魔法使いに大枚をはたき、妹の病気を魔力という人智を超えた奇跡によって消し去った。

 今から一年前、ユリシアが十四歳になった時の話である。

 ようやく人並みの生活を送れるようになった妹は、程なくして姉と同じ学園に編入した。


「…ユリシアが、聖女などと」


 世間知らずな彼女に、同級生たちは優しく接した。

 礼儀の一つも備えず、勉強もせず、校内を掛け回っていても。

 持ち出した金で派手に散財していても。

 婚約者がいようが誰彼構わず声をかけて夜更けまで遊んでいても。

 人の不幸に遭遇しても控えず、両親の葬儀中ですら無遠慮に笑い、挙げ句最後まで参加せず途中で退席していても。


 彼女に苦言を呈する者は、誰一人としていなかった。


 ユリシアは、人目を引く少女だった。

 茶髪の姉とは違い、鮮やかな金髪に、空を切り取って閉じ込めたような青の瞳、薔薇色の頬はいつも無邪気に微笑みを浮かべていた。

 花のように、蝶のように、幼気で可憐な彼女は並外れた容姿を惜しげもなく晒していた。


「それは本当に…」

「随分と食い下がりますね、エリアナ。妹さんが最高の栄誉に選ばれたと言うのに」


 エリアナの声を遮り、第二王子レオンハルトが笑いながら前に進み出る。

 本日は学内での、第一王子アレクサンダーの生誕パーティー。

 十七歳となる祝いの会に多くの生徒が参加し、アレクサンダーと同い年かつ腹違いの弟であるレオンハルト、そしてレオンハルトの婚約者であるエリアナも招かれるのは、当然だった。

 しかし、その場には、普段は神殿で働いている神官達もいた。

 エリアナはそれがどうも気にかかっていたが、式があまりにも円滑に進行していくものだから、その理由を調べにいくこともできなかった。


 しかし、終わりに近づいた頃合いで、唐突にアレクサンダーが「喜ばしい発表がある」と宣言した。

 そうしてなされたのが、ユリシアへの聖女の指名だ。


 エリアナは、ぐちゃぐちゃになった心を押し隠そうと息を吐き、自身の婚約者に向けて「本当に、ユリシアが相応しいのですか」と問いかける。


「本当に、平等に、選定されたのですか」

「勿論、正当な決定ですよ。ねえ、神官殿」

「レオンハルト殿下の仰る通りでございます」

「ですが、ユリシアが聖女などと」


「…貴女は本当に優しいな」


 不意にレオンハルトは笑みを消し、そう呟いた。

 しかしすぐに、思わず口をつぐむエリアナに笑いかけ、「決定は決定。もう覆ることはありません」と朗々と告げる。

 続いて、最初の宣言から無言を守り胸を逸らして佇んでいた兄アレクサンダーに、促す。


「さあ兄上。最後の宣告を」

「は、あ、ああ。おほん…ユリシア・スワロウテイル。貴殿を次代の聖女に任命する。国のため、未来のため、その身を尽くし励むが良い」


 瞬間、歓声と拍手が会場を支配する。

 誰もがユリシアの聖女任命を祝い、称えた。

 それまでずっと不思議そうな顔で状況を傍観していた本人ユリシアも、皆が手を叩いて喜んでいるので、「嬉しいわ」と笑顔を浮かべて一礼をした。

 神官に導かれ、ユリシアは退場していく。その直前で、彼女は姉を振り返った。


「お姉様」

「…何、か」

「お姉様も、私が聖女になることをお祝いしてくれる?」


 小さな口から紡ぎ出される軽やかな言葉に、エリアナは渋面を、更に歪めた。

 唇を噛み締め、拳を握り、俯いて、やがて姉は深く、深く息を吐いた。


「…祝福、します。おめでとう、ユリシア。聖女の役目は忙しく、もう会えないかもしれませんが、きっと貴女は幸せになれるでしょう」

「本当?良かった!私、聖女のお仕事のことよく知らないから。でもお姉様が言うならきっと平気ね」


 最後に、姉に対して満面の笑みを見せると、ユリシアは神官に背を押され、大衆の前から姿を消した。

 残された彼らは互いに顔を見合わせ、口角を上げて「なんておめでたい日だ」「次代の聖女が現れるなんて」「ちょうど二年前に聖人に選ばれたアレクサンダー様に続き、二人目とは」「全く近年は豊作なものだ」と賑やかに会話をし出す。


 大役を終えて体の力を抜く第一王子アレクサンダーから離れ、レオンハルトは自身の婚約者に駆け寄る。


「エリアナ。お疲れ様でした。辛かったでしょう。でももう大丈夫。何もかも終わった。もう何も、思い悩むことはありません」

「…そう、ですね」


 最後の妹の笑顔が、頭から離れない。

 何も知らない、無邪気な笑顔。一生残るかもしれない、とエリアナは再び唇を噛む。そこに触れて、レオンハルトは「忘れましょう」と微笑んだ。


「大丈夫。これからは上手く行きますよ。ねえ、兄上」

「え?あ、はい。そうで…おほん!そうだな弟よ」


 気を抜いていたアレクサンダーが慌てた様子で答える。彼はエリアナの元婚約者だった。しかし二年前、自らの能力不足を理由に王位継承権を放棄、公爵令嬢エリアナとの婚約を解消し、全てを優秀な弟レオンハルトに託した。


「エリアナ。僕が貴女を幸せにします。だから心配しないで」


 何もかも終わった。

 頭に花畑が広がっている愚昧な妹令嬢も、横暴で傲慢な兄王子ももういない。

 もう、エリアナを苦しませるものはない。

 熱を帯びたレオンハルトの視線に、エリアナは一筋の涙を落とすと、「ありがとう、レオン」と彼の腕にその身を預けた。









 ユリシアが正式に聖女としての人生を始める日。

 規定に沿って、パレードが開催される。王都の大通りを屋根のない馬車に乗って回り、人々にその姿をお披露目するのだ。


 出発の直前、神官が水と、白く丸いものを置いていった。これを飲んでからパレードに行くらしい。

 おっきな丸薬みたいだ、とちょっと嫌な気分になりながらも、ユリシアは無味のそれを喉に流し入れ、青天の下、馬車に乗り込む。


 一切の汚れのない純白のドレスを着せられ、花で埋め尽くされた車内に身を置いて、ユリシアはわくわくと心を躍らせる。

 誰もが聖女の誕生を祝福している。道幅いっぱいに民衆が見物している。


 ゆっくりと景色が流れていく。どこからも歓声が聞こえてくる。


「おめでとう!」

「おめでとう!」

「聖女様万歳!」


 両手を挙げて、花吹雪を撒き散らし、多くの人間がユリシアを見ている。こんなにたくさんの人と顔を合わせたことはない。

 きっと、天国の両親も喜んでくれるだろう。


 病気が治ったら、両親は旅行に行こうと言っていた。

 世界を一周しよう、お前が望むところ、どこにでも行こう。

 だから、気持ちを強く持ってくれ。

 きっといつか治るから、やりたいこと、楽しいことを考えて、夢を見よう。

 希望を、忘れないで。

 負けないでくれ。

 そう、涙ながらに手を握ってくれた両親のことを、ユリシアは鮮明に覚えている。

 一番高い熱を出して寝込んだ時の話だ。

 結局、叶うことはなかったけれど。


「聖女様、ありがとう!」

「ありがとう!」

「ありがとう!」


 こんなに、誰かにお礼を言われたことはない。

 いつも皆はユリシアに謝っていた。

 介護をしてくれた、お手伝いの皆だ。

 ごめんなさい、お嬢様、何の力にもなれなくて、とずっと暗い顔をしていた。

 自分が苦しそうにすると、皆も辛そうになる。だからユリシアはなるべく笑顔でいた。皆が辛い顔にならないように、人がいない時にしか、苦悶を表に出さないようにした。

 

 病気が治って、両親が事故で死んで、叔父夫妻が主権を握って、姉のところに身を寄せてからは、辛い顔を見る機会は無くなった。

 ユリシアが快復したことで役目を果たしたお手伝いの皆は、どうやらもう実家にはいないらしい。使用人の一部がコクガイツイホウされた、今はどこにいるやらと姉が話しているのを陰で聞いた。

 きっと、聖女になった今の自分を見ているといいなあ、とユリシアは民衆の中に知った顔を探す。

 でもどうしても見つからなかった。


 盛大な歓声を後にし、王都を抜けて、そのまま向かうのは神殿のある北の山だ。


 僻地に入り、人が極端に減っても、やはりユリシアを祝福してくる人々はいた。「二年ぶりの聖女様〜」と歌って広める御者を見つけ、道すがら、「ありがとう」「ありがとう」と声をかけてきてくれた。

 ユリシアはそれに手を振って応えた。


 神殿へ近づくごと、不思議なことに、ユリシアの腹が膨らんでいた。

 食べ過ぎかしら、と首を傾げるが、神官に注意されて今朝から水と丸薬以外を体に入れた記憶はない。急に太っちゃったのかも、と勘を冴え渡らせつつ、ユリシアは道のりを進んでいく。


 唐突に、嫌な感覚がした。


「待って!」

「どうかなさいましたか、聖女様」

「私、熱が出るみたいだわ。病気は治ったはずなんだけど…!」


 何度も何度も経験したことがある。

 体の奥が熱くなって、しばらくすると全身にそれが広がるのだ。熱が出ると、意識が遠くなる。だからいつも自分の部屋から離れられなかった。

 こんなに大切な日なのに、とユリシアは悔しさを滲ませながら、「戻ってちょうだい。倒れてしまうわ」と御者に訴える。

 しかし振り返りもせず御者は「大丈夫です、それは正常なんですよ」と優しく回答した。


「どうして?熱が出るのはいけないわ」

「いいえ、聖女様となるには、正常な反応なんです。何も不安になることはありません。もう少しでつきますから、我慢してくださいね」

「でも、良くないわ!気絶したら、お仕事もできないでしょう?」

「…はあ」


 御者はため息を吐いた。必死で訴える少女に半眼を向け、しかしすぐに笑顔に戻る。


「うん、大丈夫です!このまま行きますね」

「ダメよ!」

「だーいーじょーうーぶ。にねーんぶりの聖女様ぁ〜」


 白い馬が歩みを止めることなく、ユリシアを乗せて進んでいく。


 既に北の森に差し掛かり、気温はぐんと下がっている。それなのにユリシアは全く寒くなかった。全身が熱を帯び、頭がぼんやりとし始めている。

 良くない、と感知し、ユリシアはどうにか御者を止めようとしたけれど、できなかった。

 膨らんだ腹部がつっかえて、うまく動けない。体に力が入らなかった。


 それが何だ、とユリシアは歯を食いしばる。

 過去、立っていられなくなり、ベッドまで何度這いずって移動したか分からない。頑張るしかない。自分で動くしか、ないのだ。

 だって辛い顔をさせたくないから、辛い顔を見るとこっちも辛くなるから、だから人を呼びたくなかった。

 だから大丈夫だ、きっとできるはず。

 どれだけ痛くても、どれだけ息が苦しくても、耐えられる。

 ずっとそうして生きてきたから。


 じりじりと、体を動かし馬車のヘリに腕を引っ掛ける。


「あっ」


 バランスを崩して、車外に落ちた。

 自分の背中が地面に当たってずしゃりと音を立てる。

 驚愕の表情で、御者が振り返る。

 それと同時に、何か赤いものが振ってきた。


 赤髪の人?


「…なっ」


 それは、御者が叫び声を発する前に飛びかかり、真っ黒な腕を振るって遠い遠い空の先まで馬車ごと吹っ飛ばしていった。

 仰向けに倒れるユリシアを、それが見下ろす。


 人間、ではなかった。

 ほとんどは、人間の形をしている。遠目から見れば何の違和感もない。腕は二本で足も二本。服も着ている。人間と同じ耳も鼻も口もある。

 しかし、目が違う。

 緑色の両目の面積が異常に大きい。よくみたら、目と思わしき中にいっぱいの目があった。

 まるで虫のようだ。


 それは黙ってユリシアを見つめていたが、やがて口を開いた。


「今から貴様を孕ませる」

「え?」

「己の運命を呪え」


 ハラマセル?

 意味の分からない言葉にユリシアが質問しようとして、口を動かす。が、乾いた喉からは声が出ない。熱が全身を脅かしていることを思い出し、気力を保とうとするも抵抗虚しくやがて気を失った。

 最後に見えたのは、それがユリシアの膨れた腹に手を伸ばしている光景だった。

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