プロローグ
荘厳でありながら自然と調和し、神秘的な雰囲気が満ちる白亜の宮殿。
そんな美しいエルフの王国は今、無粋な侵略者によって喧騒に包まれていた。
突如として国を襲ったオークの大軍に対し、エルフの王国は全軍をもって徹底抗戦。
数では大きく劣るが、個々の能力では圧倒的に優れるエルフの騎士団は、オークの大軍に対し一進一退の攻防を繰り広げていた。
戦いの様子は、エルフの国の本陣とも言うべき、玉座の間にも絶えず届いている。
時に伝令が、時に剣戟と鬨の声が、騎士達の奮戦を伝えてくるのだ。
玉座の間に詰めている、女王以下エルフの重鎮や近衛の精鋭達も、戦況の変化に即座に対応できるよう、不眠不休の覚悟で目と耳を尖らせていた。
そんな中、一際の美貌を誇る少女――エルフの姫リーゼリーナは、整った顔立ちを苦悶に歪め、青いレオタードの甲冑に包まれた体を、もじもじと譲っていた。
(あ、あぁぁぁっ……! ご不浄がっ………ご不浄が、もうっ……我慢できません……!)
オークの城への侵攻が始まってから、もう半日は経つ。
刻一刻と変わる状況の把握と、休みなく戦っている騎士達への礼儀のため、リーゼリーナは一度もトイレに立っていないのだ。
(もう……我慢の限界っ……! で、ですが、姫である私が……騎士達を差し置いて……ご不浄に駆け込むなど……!)
命をかけて戦う騎士達の手前、『トイレに行かせてほしい』とも言いづらい。
だが、176歳……長命なエルフとしてはまだ未成熟な彼女の膀胱と括約筋は、溜め込まれた熱水に陥落寸前になっていた。
(あぁぁぁっ……! お小水がっ……! お、お小水がぁぁっ……!!)
「あ、ああっ、あのっ、おおおお母様っ!!」
「どうかしましたか? リーゼリーナ」
本来なら公共の場では『女王陛下』と呼ぶべきだが、今は指摘しない。
娘の窮地に気付いていた女王の慈悲だ。
というより、玉座に腰掛けた全身をブルブルと震わせる姫の窮地には、この部屋の全員が気付いている。
「ご……ご……ご不浄に、行ってきても、よろしいでしょうか……! も、もう……お小水がっ……限界で……!」
「仕方ありません。なるべく早くに戻るのですよ」
「も、申し訳ありませんっ!! あ、あ、ああぁぁあぁあぁぁっ……!」
立ち上がり、よろよろと歩き出すリーゼリーナ姫。
下腹を温めるように庇い、尻を振りながら大扉を目指す情けない姿を、多くの者が安堵の表情で見送る。
だが、ただ1人、険しい表情に嫉妬と羨望を滲ませる女性が1人。
銀髪を肩で切り揃えた、黒いレオタードの甲冑を着込んだ、近衛隊長のシェリルだ。
(くぅぅっ! わ、私もっ……トイレに行きたいっ……!!)
やはり、侵攻開始から一度もこの部屋を離れることができなかった彼女は、リーゼリーナと同じかそれ以上の尿意を抱えてしまっていた。
近衛隊長としてのプライドに賭け、震え一つ外には出さないシェリルだが、体内では尿意が荒れ狂っている。
(こ、こんな状態で戦闘になったら………そ、そうだっ! 姫殿下の用足しに、護衛がいるのではないか!? そうすれば、姫殿下の後に……よ、よし……!)
普通に考えて、女王をこの場に置いたまま、近衛隊長が姫のトイレの護衛に付くなどあり得ない。
だが、尿意に7割ほど支配されたシェリルの頭は、自分が無事にトイレに辿り着ける都合のいい事実しか受け入れられなくなっていた。
さらに、表情にも動きにも一切出さないが、同等の尿意に苦しむ女性がもう1人。
(わ、私も、限界……! リーゼリーナが戻ってきたら、次は……!)
この部屋の、そしてこの国の主である、女王ティアーレだ。
彼女もまた、侵攻開始から一度もトイレに行っておらず、足取り重く扉を目指す娘をにこやかに見送りながら、心の中では迫る決壊に悲鳴を上げていた。
(あぁぁぁっ……早く行って、リーゼリーナ……! そして早く戻ってくるのです……!)
リーゼリーナのトイレをあっさりと許可したのも、娘の身を案じてのこともあるが、順番ということで自分もトイレに行きやすくなるという思惑が大きい。
(お願いっ……急いで……! お、お小水……漏れちゃう……!!)
必死に大扉を目指す王女リーゼリーナ。
その王女について行こうと足を踏み出す近衛隊長シェリル。
自身の順番を切なる思いで待ち続ける女王ティアーレ。
三者三様、尿意の限界が迫る中、リーゼリーナの到着を待たず、玉座の間の大扉が勢いよく開け放たれた。
扉の先には、ズラリと並んだオークの集団。
(((そ、そんなっっ!!!)))
もう戦いが終わるまで、トイレに行くことはできない。
姫の、近衛隊長の、女王の、地獄の時間が幕を開けた。