蛇神さま到来
「あ~あ、今自分がどんな顔してるかわかる?」
謎の男の声が左下からどんどん高くなり、正面頭の上から響くようになった。立ち上がったらしい。
「わかりたくありません!」
「鼻水じゅるじゅるじゃん」
私は目隠しの下で赤くなった。
「手繋がれて拭えないときに泣くもんじゃないよ」
「余計なお世話ですっ!」
結われていない、顔にかかるうっとうしい黒髪を左右に分け後ろに流してくれていると思ったら、何か柔らかい布が口周りに当てられ擦られた。
「可愛い顔が台無し」
「可愛くなんてないですから、ないから生け贄なんですから、放って置いてください」
「え~、オレ、放置プレイはあんましだなあ、ここもうちょっとこうしよっか?」
目の前にいるらしい男は私の胸の合わせをくいっと左右に開いた。
「きゃっ!」
胸元に入れていた筥迫が落ちる。帯に懐剣が差してあるけど、手が使えなきゃ護身もできない。
「ああ、色気が増した」
「ヘンタイ!」
「安心しな、別に大事なところが見えてるわけじゃない。喉元がキレイだなってくらい」
「アンタ夜盗かなんかでしょ? 山賊?」
「いや、賊じゃないんだがな、まあ、山には住んでる。泣くのに忙しくてオレが来たの気付かなかったのか?」
「勝手に横に座って人の不幸楽しんでたところからしか知らないわよ!」
ハアハアと肩で息をしてしまう。猿ぐつわをされているわけではないのに、目隠しだけなのに息が上がる。矢継ぎ早にバカなことを言うこの不埒な男が憎たらしい。
「何か勝ち気だよな、おまえ。今の状況わかってるのか?」
「わかってるも何も、私は生け贄だけどあなた用じゃないって言ってるの!」
「森の中で可愛い女が繋がれてたら誰でも自分のものにしたくなんね?」
「なったとしても、していいのかどうか確認して、相手の意志も聞いてからでしょ?」
「え~、すげぇ四角四面。融通が利かんって言われるだろ?」
「言われます……だからお料理苦手で重曹適量とかっていうレシピはいつも加減がわからないのって、関係ないでしょ!!」
男は独りでクスクス笑う。
「それで、ソイツ、ジャシンさま? 邪な神? え? 蛇の神様か。おまえはソイツ用だとしたら、蛇神はおまえをどうするんだ?」
「嫁にするか食べるか……」
私の声は急に張りを失う。情けない運命は目の前に迫っている。
「ブハッ、なら同じだろう? オレがもらってやるよ」
「違うの、蛇神さまは飢饉のときに村を助けてくれるから……」
消え入りそうな声が我ながら恥ずかしい。
「なんだ、そんな交換条件がないと嫁がもらえない神様って情けなくね?」
「いいじゃない、私は村で誰も欲しがってもらえなかったんだから、蛇神さまがお嫁さんにしてくれて村も護ってくれるならそれでいい……」
うわっ、何で自分で自分の傷抉るかなあ。
でも、私の気持ちなどお構いなしに、男の声は腑に落ちないとツッコんでくる。
「なら何で鼻水垂れるまで泣いてたんだ?」
「知らない人に嫁ぐんだから恐かっただけ、それだけよ!」
そう、嫁ぐんだ、生け贄じゃない、そう自分に言い聞かして生き抜くぐらい図太くならなきゃ。村の大婆さまみたいに面の皮厚く生き延びてやる。
目隠しごしの視界は暗くなったのに、身体前面に温かみが広がった。男が身体を近づけたらしい。
「……なあ、オレにしとけよ……」
思ったより優しい声音が頭の上の木の幹を伝って降りてきた。
蛇神さまに這い登られて急所を咬まれるよりは優しくしてもらえそうな気もする。「可愛い」とも言ってくれた。
それでも、それだけで……、両親のいる村を見捨てられない、私を生け贄にした村でも、裏切りたくはない。
首をふるふると振って俯いた。
「そこな夜盗、我が姫君から離れよ!」
またわけのわからないのが現れたーー!
「悪い、コイツもうオレのにするって決めたから」
「そなたが好き勝手できることではない。これは我が山と麓村との契約の元に結ばれし尊くも清い縁……」
ちょっと、厨二っぽい?
「そなたを斬って捨ててでも我が姫はお護りする、そこをどけ!」
「あう? ん……」
状況の読めない私はなぜか夜盗さんにキスされていた。
「もうキスしちゃったよ。純潔も奪っちゃえばこっちのもの」
「イヤ、助けて!」
私は自然な反応として、私を護ると言ってくれている人に向かって叫んだ。
「ほら、姫は某を求めていらっしゃる……」
厨二さんは得意げだ。でも「それがし」って一人称、久々に聞いた。
夜盗さんは、
「おまえなあ、男見る目無さすぎ」と私のつむじに囁いて離れた。背を向けたのだと思う。
「で? アンタが蛇神さまなわけ?」
「ん? そなたかなり訛りがあるな。この山の者ではないのか。某はここ浄心山を根城とする狩猟族、3年に一度麓の村から嫁を貰う儀により迎えに参った」
男2人のやり取りを聞き、私は独りでつぶやいていた。
「ジャシンサマでなくジョウシンヤマ? 訛ってるのはうちの村だわ」
厨二さんの声が近づいてくる。
「ああ、長老の言う通り、我が姫もかくの如く清く美しい。貴女様が某のために纏いし婚礼衣装、しかと堪能させていただきましょう。この男の接吻など忘れさせてみせまする。いざ尋常にこの場にて永遠の契りを結ばせ給え。麓村の姫御に己が胤宿すことこそ、浄心山の男の本懐……、姫、恐れることはない、これから某がめくるめく悦びの境地に連れて行って差し上げる……」
きゃあ、こっちも盛ってる!
蛇にアソコ咬まれるってやっぱ、そういう意味だよ、うん、そうだよね。
て、納得してる場合じゃない!!