パート2:受付嬢は怖い(3)
「クッソぉ、上手くいくことがねぇな」
ベルドの町から少し離れた所にあるアルセンの森。アントは森の中で仲間を連れて何度もイライラしていた。
苛立ちの1次的な原因はギルドであったことだ。しかし根本的には〝契約〟の為だったし、その〝契約〟から抜け出せないのがさらに大きなストレスだった。
だが彼には1人で腹を立てる時間すら、長く与えられなかった。
「余計なことしないでって言ったじゃない」
「うわぁっ!?」
今日2度目の驚き。しかし3度目もすぐやってきた。いや、3度目は驚きのあまり、声を出すこともできなかった。
突然アントの首の後ろから幽かな光がこぼれた。その光の震源地は小さな魔法陣だった。そこから流れ出た魔力がまるでコップに注がれた水のように地面の上で積もり、すぐ人の形象を作った。シュリの〈分体形成〉魔法だった。
外見はシュリ本体とも、そしてアントと初めて会った時の分身とも違った。マントで体を覆い、顔までフードと覆面で包んだ姿だったから。もちろんフードや覆面の後ろにある顔も、マントに包まれた体つきも前の分身とは違う。
――正体を隠すなら徹底しなければならないから。こうやって包み込んでおいたら、大概その下の素顔まで捏造された偽物とは思われないからね。
分身の外見を毎回異なる作り、〝カカシ使い〟として活動する時はフードと覆面まで動員して2重に正体を隠す。そして服装と外見という2重偽装を見抜いたとしても、そもそもこの体は本体でさえない分身。本体を見つけることさえ徹底的に遮断されている。
そう、噂の〝カカシ使い〟はシュリのことだ。正確にはシュリが分身を利用して〝副業〟をする時の姿だ。
おまけに、噂を放置するのは質の悪いハンターが改心して善行をするという誤解を防ぐ為に。実は彼らの背後に誰かがいるという印象を植え付けたら改心とは言わないから。もちろん噂の主人公を探そうとする者がいても、絶対バレない自信もある。
「今回は初めてだからパスするわ。でも〝契約〟でアンタの一挙手一投足を制約しないのは、純粋に私の好意だと分かって欲しいわよ。もしまた勝手に迷惑をかけるようなことが出来たら、その時は今くらいの自由も奪ってしまうよ」
「……ちっくしょう、分かったよ、分かった」
〝契約〟とは、シュリがアント達にかけた契約魔法のことだ。互いに魔法で規定された事項は絶対に守らなければならず、もし守らなかったら厳しい処罰を受けるか、強制的に行動を操る。もちろん実際に結んだ契約内容はアント達にとって利益は全然なく、シュリが指定した禁止事項は絶対に不可能な不公正な契約だった。
「そりゃはそうと、ハザードマンの依頼って本気か?」
「当たり前でしょ」
「できるんかよ? オレ達はせいぜいオレ1人Cランクのチームだ。Bランクでも上位クラスのハザードマンを討伐できるはずがねぇじゃねぇか」
アント達くらいのハンターチームなら、多めに取ってもBランク最下位の魔物を辛うじて相手にするほど。ハザードマンはその範疇を越える危険な魔物だ。
でもシュリは自信満々だった。
「アンタ達だけなら当然そうでしょ。でも大丈夫。私がいるから」
「ちくしょう、前で戦うのはオレ達だぜ。テメェがそう言ったじゃねぇか」
「心配しないで。方法があるから。本当に嫌なら今からでも〝処置〟を受けて去ればいいのよ」
「クソ……」
シュリはアントの返事を待たずに先に歩き出した。結局アント達も彼女について歩いた。
森の奥まで行くと、陰惨な感じが強くなった。草木の生い茂りはむしろ減り、日光がよりよく当たった。それにもかかわらず、妙に陰鬱で重い空気が一帯に沈んでいた。遠くどこかで鳴き叫ぶ獣の鳴き声が妙に耳障りだった。
その中から、シュリは目的した魔物の気配をすぐに見つけた。
「来るわ。準備して」
「は? 何……うおぉっ!?」
アントが言葉を終わらせる前に、急に茂みから何かが飛び出した。アントは反射的に大剣を引き抜き、それを殴りつけた。しかしその瞬間、固い壁を打ち破ったような衝撃がアントの手に伝わった。
「クッ、固い!?」
弾き出すことには成功したが、相手は別に問題なさそうに地面に降りてこちらを見た。
外見は一言で真っ黒な人間といえるだろうか。服などは着ておらず、全体的な輪郭は人間と似ていた。しかし、その肌は墨でも打ったように真っ黒だった。それに目は一つしかなくて、耳まで裂けた口には牙が並んで生えており、指は妙に長く、その先は錐のように尖っていた。
背も大柄のアントより遥かに高かった。今は腰を下げているけど、まっすぐに伸ばすと大概3メートルぐらいだろう。
Bランクの魔物、ハザードマン。今回の依頼の目標だ。
「きあぁっ!」
ハザードマンが鋭い頓狂な声を上げた。まるでそれに呼応するように、奴から黄色い霧が噴き出した。霧に触れたものはすべて急に腐食し溶けた。
ハザードマン特有の魔法、〈腐食の霧〉。ハザードマンが危険な理由でもあり、対処法がなければ近接戦では絶対的な力を発揮する魔法だ。ジョド以外は全部近接型のアント達には天敵といってもいい。
しかし、シュリは平気だった。
「戦いなさいな、アント」
「無理だぜ!! この霧に触れたら……」
「大丈夫。もうアンタ達に魔法をかけてくれたんだから」
「……何?」
アントが少し怪訝な様子を示した瞬間、ハザードマンが急に跳躍した。目標はアント。
「うわあぁっ!? ……あれ?」
アントは反射的に大剣を持ってハザードマンの手を防いだ。そして腐食を覚悟したが……彼の剣も体も無傷だった。よく見ると、彼の体と剣を覆う薄い魔力の幕があった。
「こりゃ一体……」
「〈腐食の霧〉を無効化する魔法だわよ。ハザードマンが怖いのはあの魔法のせいだから、それさえ無効化すればアンタ達も相手にできるよ。ハザードマンの身体能力はアント、アンタよりほんの少し強いくらいだから」
――それが本当なら、確かにオレ達も十分相手にできる。
アントは唾をごくりと飲み込んだ。
自力で狩りをしている訳ではないが、本来なら相手にできない魔物に対抗できる機会とは珍しい。
結局アントはためらいがちな態度を捨て、精一杯叫ぶ為に息を吸い込んだ。
「こりゃやるしかねぇじゃねぇか! 行こうぞ、野郎ともよ!」
小説が面白かったら是非私の他の小説にも関心を持ってくださったらありがたいです!
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