パート8:種族と種族(4)
ベルドの町の住民は突然現れた魔法陣に疑問と少し警戒を込めた目線を送るだけだった。しかし、シュリだけは知っていた。あの魔法陣がどれほど危険で、とんでもないものなのか。
――こいつら、この町を丸ごと魔物化するつもりね……!
大規模な魔法。進軍。生け贄。そのキーワードで予想した通りの魔法だった。
あの魔法の正体はまさに生命体を魔物化すること。魔物が次の魔物を生物学的に産む場合を除けば、魔物を誕生させる方法は生命体に魔族の因子を注入することだ。しかし、いちいち因子を注入するのは面倒で効率も低い作業だ。そこで開発されたのがまさにあの魔法、〈大魔の行進〉だ。
メカニズムは簡単だ。ただ範囲内にいる全ての生命体に魔族の因子を大量に注入し、強力な魔物に生まれ変わらせるだけ。結果だけ見ればただそれだけだが、術理が極度に複雑で規模も非常に巨大な超大規模儀式魔法だ。人間の基準で言えば、Sランクさえも1人では使えないほど。
――至高の秘宝を3つも動員するほどの魔法ではある。本っ当にムカつくけどね。
シュリが手を動かす度に魔法陣に変化が起きた。そして彼女の魔法陣が動く度に、上空の魔法陣の一部が消滅した。おかげで〈大魔の行進〉がまともに機能を発揮できずにいた。
しかし、上空の魔法陣はリアルタイムで補強されていた。その為、シュリも絶えず魔法陣を破壊する為に魔法を操作しなければならなかった。さらに上空の魔法陣は絶えず新しいパターンで暗号化され、これを解く為にシュリもまた絶えず演算をしなければならなかった。
その影響は即座に現れた。
「おい、急に何してるんだ?」
ミッドカーが警戒しながら聞いたが、シュリは答えなかった。いや、答えることができなかった。〈大魔の行進〉を妨害するのに頭脳の演算機能のほとんどを割く為、分身を動かす余裕すらなかったのだ。ミッドカーだけでなく、他の魔族を相手にしていた分身も皆同じだった。
ミッドカーは詳しい内幕を知るはずがなかったが、少なくともシュリの反応が鈍くなったことだけは気づいた。彼の口元に生臭い笑みが浮かんだ。
「くくく……おい、どうしたんだよぉ?」
ミッドカーが魔法陣を展開した。発射した魔法は〈太陽の線〉。レベルが高くはない光線魔法だが、だからこそ発動と魔法そのものの速度も速く、牽制用に最適だ。
シュリは舌打ちしながら分身を動かした。最低限の動きだけで光線を避けることは成功した。しかし防御魔法も、迎撃もしないのを見たミッドカーは、さらに大きく笑った。
「何だか分からないが、急に行動が臆病になったな。生意気な行動の代価は払わせてやる!」
叫びとともに、ミッドカーは複雑な魔法陣をいくつも展開し始めた。他の魔族もシュリの異変に気付き、行動に出た。
――くっ!? こいつら、もう気づいたね……!
巨大な火の玉や華麗な雷、風の刃、あるいは見えない衝撃波の拳など。単純だが速く、破壊力だけは高い魔法がシュリに降り注いだ。シュリは分身達を動かして魔法を避けさせたが、完全に避けられなかった魔法が擦れて傷ついた。
――動くのが限界だ。魔法を使う余裕がない。しかし分身で主義でも引かなければ、魔族が町に来るはず。
4人ものAランク魔族がベルドの町に来たら、〈大魔の行進〉を防いだところで物理的に皆殺しにされる。今、町で彼らを相手に戦えるのは同じAランクのマナードだけだから。
[シュリ! 空にあるあの魔法陣は何だ!?]
ちょうどそのマナードから通信が来た。シュリはできるだけ内容を要約して核心だけを伝えた。
[〈大魔の行進〉だと!? 住民を避難させる時間もないのに……!]
[すでに3人のAランク魔族に町が包囲されたわ。逃げてみたところで殺されるだけなのよ]
[だからといってあの魔法をそのままにしておくわけにはいかない!]
[私が塞いでるわ。だからアレは私に任せて。代わりにベルドを呼んで、早く]
シュリはそれだけを伝え、すぐ通信を切った。そして頭の中で戦略を立て始めた。
――10分ほどで、上空の魔法陣を完全に解体できる。でもその間は他の魔法はほとんど使えない。
シュリは今も〈大魔の行進〉を防ぐ為に頭が割れそうな頭痛を感じていた。しかし町の周辺にある3人とエンシス平原にあるゲントロンまで、計4人をそれぞれ分身で相手にするのは負担が大きすぎる。少しずつではあるが、すべての分身が死んでいた。
――……最悪の場合は、正体を隠すことをあきらめるしかない。魔力の波長を偽装する術式さえ解除すれば、〈大魔の行進〉なんて鼻で笑って消せるからね。
しかしそうなると、町内に魔族がいたことが知られてしまう。もしそこで魔王カシュレアの生存まで繋がったら、今までのような生活は終わり。最悪、ベルドの理想まで崩れることもありうる。そうなれば、結局シュリとベルドの敗北だ。
――それだけはダメ。
シュリはすぐに決定を下した。
シュリの分身が突然方向を変えた。ゲントロンを除いた3人を相手にしていた分身達が一斉に魔族に突進したのだ。同時に分身の手から魔法陣が展開された。
「くぅ……っ!」
シュリは歯を食いしばった。頭が壊れそうな頭痛が襲い、鼻からは血があふれた。無理をすることに対するリバウンドだった。だがそうでもしなければ、今の事態を打破できない。
分身達は魔法を打たれながらも近づき続けた。魔族に到達するか、それともその前に消滅するか。自分だけのチキンレース。そしてそのレースの勝者は――シュリだった。
すべての分身が魔族の目の前に到着した瞬間、シュリは分身を構成する魔力を全て解体し、魔法陣に注ぎ込んだ。各魔族を大きな魔法陣が取り囲んだ。
そして閃光が爆発して沈んだ後、ベルドの町の周辺にいた魔族の姿が全部消えた。




