パート5:魔王という存在(3)
暫くバロディンは答えずに黙り込んだ。
しかし、二の句が告げなかったのではなかった。それはゆっくりと変って行く表情を見てもわかる。
歪み顔と燃える瞳。それは怒りだった。
「……看過できないお話ですね。先祖の恨みを、友達の苦痛を、ただ俺自身が直接体験していないという理由でみんな顔を背けということですか?」
声は落ち着いていたが、決して冷静ではなかった。その下に爆発寸前の火山のように熱くて濃密な感情が蠢いていた。少しでも間違って触れたらすぐ爆発するだろう。
しかし、シュリはため息をつきながら首を横に振った。
「そういう意味ではない。そんなことは言ってもいけない。それは道理じゃない」
「それでは何故そんなことを仰るんですか!」
「キミの怒りと憎悪が正当ではないとは言わない。だがバロディン。自分の目で人間を見て判断したこともないのに、他人の怒りと悲しみに魅了され盲目的な憎悪を抱くことが、果たして正しいのか?」
「それが間違っていますか? すでに苦痛を受けた同胞がいるのに、自分自身が直接経験したことじゃないからそれを判断材料に使うなということですか?」
「その結果何が起こるのか、キミは一度でもちゃんと考えたことがあるか?」
「人間を皆殺します! そして我々魔族の未来に安らぎをもたらします!」
シュリは暫く黙っていた。
しかし、その沈黙はバロディンの言葉に屈したからではなかった。せめてその瞳にゆらめく悲しみがたかがバロディンの言葉に負けたからではないということを、バロディン自身も感じていた。
「14万6748」
けれども突然出てきたその言葉の意味は分からなかった。
「これが何の数字なのか分かるのか?」
「……いいえ。大事な数字ですか?」
その瞬間シュリが浮かべた微笑はあまりにもはかなく、まるで何かにくたびれたような元気のない笑顔だった。見ていたバロディンさえもその微笑に込められた悲しみの片鱗を感じて、軽く身震いした。
だがシュリの続く言葉を聞いた途端、バロディンは別の意味でショックを受けた。
「3年前に終結した大戦争で、戦場から倒れた魔族の数だ」
手足が冷えたような感じ。それがその数字に驚愕したせいか、それともその言葉に込められたシュリの悲しみを感じたせいか。バロディン自身もよく分からなかった。
「夢を話して目を輝かせていた子がいた。大切な人々を守ると言って笑った子がいた。愛する者を置いてきた子もいたし、キミのように人間を憎んでいた子もいた」
出兵を待っていたあの日。魔王であるシュリの前で勝利と生還を誓い去っていった数多くの兵士達。
彼ら一人一人の顔と名前を、シュリはまだ全員覚えている。
「そのうち多くの子が、戦場から帰ってこられなかった」
「……それ、は」
「彼らは何の為に死んだのか? 人間との戦争が一体何の為だったのか? 領土? 資源? 金? いいや。たとえそんな実利が絡んでいても、彼らの死は報われない。ところで人間との戦争にはそんなつまらない実利さえもない」
シュリはバロディンを見つめた。
さっきまで人間への怒りに燃えていた瞳。憎しみを吐き出した口。シュリの言葉に黙った今でも、その中にまだ憎悪の熱気があることは如実に感じられた。
その熱気が、そしてその熱気を冷ますことができない自分自身が、どれだけ憎かったのか。
「憎悪。その戦争には憎悪だけだった。我々も、そして人間も。私が魔王として魔族を統治した200年間はもちろん、それ以前、さらに私が生まれる前からその憎悪は続いていた。そして互いを憎んで暴れた結果、もっと多くの憎悪が生まれた。……バロディン。私が魔王として生きてきた200年間、一体どれだけ多くの魔族が人間と戦って死んだと思っているのか?」
「……知り、ません」
「私も覚えていない。死んだすべての兵士を記憶しようとしたが、その意志すらも曇るほど長く、うんざりする歳月だった。いや、もしかしたら私の無能さから目をそらしたかったのかも知れない」
「無能さって、とんでもありません! 陛下がどんなに俺らの為に尽くしたかは皆知っています!」
バロディンがそう叫んだが、シュリは疲れたように笑いながら首を振った。
「いつだったか、部下がそんな統計を出したことがあった。魔族の死者の5割が人間との戦争による死亡だったと。ただ昔からの憎悪の連鎖が、魔族の死亡者数を2倍に増やしたのだ。私は以前からそれにうんざりしていた。代代の憎しみを理解できなかったし、私自身がその憎悪の連鎖に飲み込まれるのを拒否した」
「それは……」
崇高なことだ。
憎悪をまだ捨てきれなかったのに、バロディンはそう考えるしかなかった。
しかし、シュリは依然として首を横に振った。
「その考えがもっと積極的な行動に発展していたら良かっただろう。だが私は何もしなかった。憎悪の連鎖を非難しながら、ただ私はそれに振り回されないと1人で偉そうな顔をするだけ。憎悪を終わらせる為に、戦争を止める為に積極的に取り組んだことはなかった。ただ人間達も憎しみを受け継ぐ以上、私1人が努力しても無駄だと諦めるばかりだった」
「だが、そう思っただけでもすごいことです。他の奴らは誰もそんな考えをしなかったんですから」
「さぁな。少なくとも私に勝る奴が1人いた」
「それが誰ですか?」
その瞬間、シュリは微笑んだ。
今までとはあまりにも違う微笑。どこかはにかむような、そして嬉しそうな微笑だった。まるで愛する人を思い浮かべた少女のような表情だった。
いや、〝ような〟じゃない――と、バロディンは思った。間違いなく、その感じのままの笑顔だろうと。
「勇者だった。勇者ベルド。私が長い間1人で抱えてきた悩みを、私よりももっと積極的に行動に移そうとした人間だ」
小説が面白かったら是非私の他の小説にも関心を持ってくださったらありがたいです!
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