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守末龍雄 登場する

 どうしてこんなことになってしまったのか。

 リサトは自問するが、答えが出るわけはなかった。

 一緒に帰ろうと言い出した柳瀬歌南の言に従って、リサトは彼女をとりあえず女子寮まで送るつもりでいた。歌南やマイが暮らす寮は、学校から徒歩で約十分の場所にある。駅が近く、なかなかの立地だ。

 しかし歌南はリサトの思惑に反して、リサトの住むマンションへ自分が送るのだと言って聞かない。自宅を突き止めてどうするつもりなのか知りたかったが、それを歌南に問う度胸がリサトにはなかった。

 リサトの自宅マンションへと続く道を、二人は並んで歩いていた。無言で。

 歌南との話題が、なにひとつとしてリサトには思いつかない。よく知らない女の子となにを話せばいいかなんてわからない。むしろ下手に話をすると、対価としてなにかを要求されるかもしれない。そんなことを考えているから話題も思い浮かばず、気持ちばかりが焦る。

 歌南の方からも話題を振ってきてはくれないし、しかも彼女は先程からチラチラと腕時計を見ていた。なにか他に用事があったのを思い出したのか、それとも退屈だとアピールしているのか。

 こんなときはどうするのが正解なのか、女子との交際経験がないリサトにはよくわからない。通学鞄を持つ手が、汗でびっしょりになっていた。

 だが当初は怯えていたリサトだが、いまは開き直って「どうとでもなれ」と思いはじめている。

「俺といても退屈でしょ?」

 駅を渡り、自宅マンションまで残り数分ほどの場所まで来てから、リサトは沈黙に耐えかねて卑屈なことを口走ってしまった。

「え? あ、ごめんなさい。余所見をしていたのが気に障った?」

 相変わらず表情のないまま、歌南は手のひらで腕時計の盤面を押さえる。

「いや、なにか予定があるのかと思って。もしそうなら今からでも女子寮へ向かったほうがいいかなって」

「心配してくれてありがとう。でも予定なんてないわ」

 そう言って歌南は時計の盤面に視線を落とした。「記録を更新した、と思って」

 なんの話かとリサトは考える。学校を出てから経過した時間は十分弱だ。

「記録って、なんの――」

「おーい! おおおーい!」

 低い大きな声に、リサトの言葉は遮られる。もちろん歌南のものではない。

 二人は足を止め、声のした方へと視線を向ける。

 コンビニの駐車場から、こちらへ大股で歩いてくる男がいた。

 リサトと同じ制服のズポンを履き、それを腰まで下げている。まだ六月の初旬だが、赤いインナーに半袖の開襟シャツを着て、金色に染めた派手な髪をわかりやすくリーゼントにしている。顔にはちいさな丸いサングラスをかけていた。

 リサトよりもすこし背の高い、前時代の輩が如くの男が、ひらひらと手を振りながら笑顔で歩いてきた。

「よお! リックン! 女の子連れてなにしとるんじゃ?」

「タツオか。誰かと思ったよ。こんなところでなにを?」

 男の名前は守末龍雄(もりすえたつお)。高校で知り合った、隣駅に住む親しい友人の一人だ。

「ワシはこれを買いに来た。ポイントシールを集めてお皿を貰うんじゃ」

 タツオがエコバックから惣菜パンを差し出す。この外見でエコバックを持っているのは何ともミスマッチに思えた。惣菜パンの袋には『三ポイント』と書かれたシールが貼られている。

「あー。タツオはそういうの好きだったねぇ」

 リサトは納得して頷く。

 タツオは東京生まれ東京育ちなのに妙な喋り方をする。以前に一度注意したのだが、本人は気に入っているようで止めようとしない。作品名は忘れたが、なにかの映画を観て影響されたと彼自身が話していた。

「ほいで? 女の子連れてなにしとるんじゃ?」

 ニヤニヤしながら聞いてくるタツオに若干の面倒臭さを感じるが、同時になんと答えればいいのかわからないなとリサトは思う。事情を話して助けを請う手もあるが「こういう時に、こいつは頼りにならない」と考え直す。

 くい、とブレザーの裾を引っ張られた。

 振り向くと背中にピタリと歌南がくっ付いている。相変わらずの無表情で。

「柳瀬さん? どうしたの?」

 リサトが問う。

 お、とタツオが驚いた声を上げる。

「ワシこの娘を知っとるぞ。確か黒なんとか呼ばれとる学校で有名なビッチじゃ」

『黒』髪『ロ』ングの『ビ』ッチで『黒ロビ』ね、と心中で思うも口には出さない。

 それよりも本人を前にして堂々と不名誉なあだ名で呼ぶんじゃないよと思う。

「おいタツオ。失礼なこと言うな」

「あ? ああ。そうじゃな。すまんすまん」

 タツオは歌南に謝罪してから、リサトへ耳打ちした。「……リックン。この娘とベースケしたいんか?」

「べ? なに?」

 実際には聞き取れていたが、リサトは思わず聞き返してしまった。

 ベースケ。つまり『スケベなことがしたいのか?』とタツオは訊いたのだ。もっともベースケなんて言葉自体は初耳だが。

「いや、じゃから、その娘とベースもごご」

 リサトは慌ててタツオの口を塞ぐ。

「や、柳瀬さん。ちょっと待っていて」

 リサトは引きずるようにタツオを歌南から離した。そして歌南に背を向け、タツオと肩を組む。

「おまえなぁ。おかしなこと言わないでくれる?」

 リサトはタツオを睨みつけた。厄介ごとがこれ以上増えてはたまったものではない。

「ご、ごめんて。ワシはてっきり、リックンがビッチでベースケの練習をしたいのかと――」

「お・か・し・な・ことを言うなって言ったよなぁ?」

「す、すまん。もう、もう言わんから。ちょ、い、痛い。リックン痛い肩痛い」

「あ、ああごめん。大丈夫?」

 情けない声を出すタツオに、リサトは慌てて肩を組む手を緩めた。

「もうちょっと手加減してくれんかの? ワシの力じゃ、リックンにはかなわん」

「マジでごめん。でもああ言うのは本当に勘弁してくれ」

「ああ。ワシが悪かった。許してくれるかの?」

「もちろんだよ」

 リサトが頷く。

 でも、とタツオが言った。

「リックン達はなにをしとるんじゃ? あの娘とリックンって仲良かったんかいの?」

「いや。ちょっと成り行きで一緒に帰ることになっただけだよ。別にエッティなことをしようとかじゃないから」

「なんじゃいエッティって?」

 キョトンとした顔でタツオが問う。

 ベースケよりわかりやすいだろ! と叫びたいが自制する。

 まあいいけぇ、とタツオが言う。

「あまりみんなに誤解されんようにしんさい。リックンは、いずれワシの妹と付き合うんじゃから」

「いや付き合わないよ。いきなりなに言ってんの気持ち悪い。てか妹いたの?」

「リックンこそなにを言うとるんじゃ? 超絶美少女じゃろがワシの妹」

「知らないし。とりあえず俺たちもう行っていい?」

「そうじゃな。女の子を待たせるのは具合が悪いけぇ、ここはワシが立ち去るよ」

 タツオはそう言うと、リサトと歌南に「じゃあまたのー」と言いながら去っていった。

 なんだか当て逃げでもされたような気分になりながら、リサトは歌南のもとへと戻る。

「ごめんね。びっくりしたでしょ? あいつ良い奴なんだけど、服装と頭の中がちょっとアレで」

「……リサトくんには、色々な友達がいるのね」

 歌南は無表情で言うと、リサトのブレザーの袖を握った。

 その指先は小刻みに震えている。

「あ、あれ? 柳瀬さんどうしたの? 手が震えてる」

「大丈夫よ。すこし怖かったの」

 見れば歌南が震わせているのは指先だけではなかった。微かにではあるが肩や膝、というよりも全身を震わせている。

 いま一度リサトは歌南の顔を見た。けれどその顔に表情らしきものは見受けられない。

 けれど、とリサトは思う。ちょっと、というか、かなり変わった感じの子ではあるが、歌南もやはり女の子なのだ。怖がらせてしまったことに、罪悪感に似た想いが沸き起こる。

「――今日はここまでにしない? 寮まで送るよ」

「ごめんなさい。お願いするわ」

「歩ける? 肩を貸したほうがいい?」

「ううん。ゆっくり歩いてくれれば平気」

 リサトと歌南は来た道を戻る。袖を握る彼女の手は、まだ震えていた。

 この手は握ったほうがいいのだろうかとリサトは考える。そうすれば多少なりとも、怯える歌南の心を穏やかにしてあげることが出来るのだろうか。

 リサトくん、と歌南が言った。

「『ベースケ』ってなに?」

「ぶっほん!」

 リサトの口から、これまでにしたことのない咳が出た。ええとええと、としどろもどろになる。

「ちょ、ちょっと俺にもわからないんだ。タツオの言うことって独特で」

「そうなの? では『エッティ』は? これはリサトくんが言った言葉だったと思うのだけれど」

「お、おーう……。な、なんと言うか、改まって説明するのは恥ずかしいかなぁ」

 額に汗を滲ませながら、リサトは視線を逸らす。

「そうなの……リサトくんは女の子の前で、女の子に聞かれると恥ずかしい話を、男友達とコソコソとしていたのね……」

「うぅ……」

 この子、本当は全部わかっていて訊いているんじゃないだろうな、と思うもそれを口には出来なかった。

 そう言えば、とリサトは思う。

 さっき歌南が言っていた「記録を更新した」という言葉。

 それが果たしてなんであったのか、聞くタイミングを逸してしまった。

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