オルゴールの中のちいさな手紙事件 終章
放課後。リサトはこれまで同様に、柳瀬歌南以外が教室にいないことを確認してから八組へと入った。
「こんにちは」
リサトが挨拶をする。三度目ともなれば、もう変に緊張したりはしない。
「こんにちは」
歌南が顔を向けて挨拶を返す。いつもと違って小説を読んでおらず、机の上には通学鞄が乗せられていた。
「オルゴールの手紙の話だけど」
リサトはぺこりと頭を下げた。「ありがとう。解決したよ」
「そう。よかったわ。わたし達の出した答えであっていたのね」
「うん。本当にありがとう。俺ひとりで考えていたら、もっと時間が掛かっていたと思う」
「いいのよ。なかなか楽しかったわ」
まったく楽しくなさそうに、いつも通りの無表情で歌南は言った。
これで自分と柳瀬歌南との時間は終わったのだな、とリサトは思う。文様鍔と引き換えに、彼女の助力でしばしの平穏を得たのだ。できるだけ長く、マイが別の騒ぎを持ってこないことを願う。
「じゃあこれで」
リサトは片手をあげた。
ええ、と歌南が頷く。
「晴れて、と言うのはすこし変だけれど――よろしく。椎名クン」
「ん?」
よろしくってなんだ? リサトは言葉の意図がわからず、歌南の顔をまじまじと見た。
「そんなにじっと見つめられると照れてしまうわ。以前にも同じようなことを言った記憶があるのだけれど」
すこしも照れた様子なく、歌南が言う。
「えーっと……」
声を絞り出しながら、リサトは歌南の言葉を読み解くべく頭脳をフル回転させる。
そしてあるひとつの仮定を導き出した。
柳瀬歌南は話をする対価として物品を要求してきた。リサトはそれに対して文様鍔を渡している。
『話をする』ための対価が『鍔』
では『手紙の謎を解いた』ことへの対価は?
リサトの背中に冷たい汗が浮かぶ。
柳瀬歌南は、いまその対価を要求しているのではないだろうか?
きっとそうだとリサトは確信する。やばい、と焦る。柳瀬歌南の思考回路に、自分はまったくついていけていない。油断をしていたのかもしれない。ビッチと呼ばれる人間の発想に、自分は予測を立てられない。
「椎名クン」
「っ!?」
思わず上げそうになった悲鳴をリサトは飲み込む。次はなにを要求されるのかと恐怖する。
「どうしたの? なんだか顔色が悪いみたいだけれど」
「そ、そう? 気のせいじゃないかな」
リサトは愛想笑いを返す。どうにかこの場から逃げ出す手立てはないだろうかと考える。
いまがチャンスだったじゃないかと頭を抱えた。具合が悪いと言って教室を出れば良かったのに。
椎名クン、と歌南が繰り返す。
「……あなたのことを、わたしはなんと呼べばいい?」
「え?」
「なにかリクエストはないかしら?」
「特には……」
リサトはそう答えるのが精一杯だった。なにせ質問の意味がわからない。
「では――『リサトくん』と呼ばせてもらうわ。なんだか少し、気恥ずかしいけれど」
眉一つ動かさずに歌南が言った。
なにそれどういうこと? 怖い怖いと、リサトは心の中で繰り返す。
「わたしのことは、なんて呼びたい?」
「え、えーっと……柳瀬さん、で」
反射的にそう答えてしまう。
「柳瀬さん?」
リサトの答えについて、歌南は束の間の思案をする。「ああ。冗談を言っているのね。おもしろいわ」
にこりともせずに歌南が言う。リサトの背筋がぞくりとした。
では、と歌南が目を見開く。
「『歌南ちゃん』というのはどうかしら? うん。良いと思う。可愛いわ」
「ふぇっ? え? どういう――」
歌南は立ち上がると、机上の通学鞄を手に取った。
「さあ一緒に帰りましょうリサトくん」
言い残すようにそう告げると、歌南は八組の教室から出て行ってしまった。