幼馴染と廊下で雑談をする
八組へ向かう道すがら、登校してきたクラスメイトや顔見知り達と挨拶を交わしながら、リサトは廊下を進んでいく。
三組前の廊下は広くなっていて、そこに水飲み場と女子トイレがある。男子トイレは六組の前にあるので、リサトの一組からは少し遠い。階下である二階のトイレの方が近いのだが、そこは三年生が使うのでリサト達二年生はなんとなく使用を遠慮していた。
四組と五組の間にある中央階段で、リサトは階段を上がってくるアキラの姿に目を止める。
リサトが声をかけると、アキラはすこし驚いた顔をした。
「よおリサト。こんな早く来てるなんて珍しいな。呼び出しでも食らったか?」
「なんか早く目が覚めて。……なに? おまえなんか悪さしたの? おまえがやらかすと俺が怒られるんだからやめてよね」
「なんもしてないって。心配すんな。こっちに用か? 便所か?」
「いや、アキラと同じクラスの柳瀬さんに用があって」
「柳瀬に? リサト、柳瀬と知り合いだったのか?」
さも意外そうに問う空良に、莉里は首を横に振る。
「違うよ。顔も知らない。こないだマイが、手紙がどうたらって絡んできただろ? あいつ、なんか柳瀬さんを疑っているみたいでさ」
「なんでまた?」
「寮でマイの隣部屋らしいんだ。なぜかマイはナナミさんを頑なに犯人だって認めなくて、代わりに柳瀬さんを疑ってるんだよ。それで話を聞いてきてくれって頼まれた」
「よく付き合ってやれるな、そんなことに」
「断るほうが面倒臭いんだよ」
「そうか。うん。確かにそうだな……」
昔から、マイのお願いはリサトとアキラにとって『断れない命令』だった。理由は単純。断ると泣きじゃくって、いつまでも駄々をこねるからだ。だったら叶えてやるほうが早いし楽だ。
「けど柳瀬は、たぶんまだ来てないぞ。いつも予鈴が鳴った後に教室へ入ってくるからな」
「あらら。そうなの? もしかして、ちょっと悪い子だったり?」
「悪い噂はあるけど、悪い奴って感じではないな。……噂のこと、おまえは知っているか?」
アキラが声を潜める。彼もリサトと同様に噂話を好まない。声のトーンを落としたのは、周囲に聞かれたくなかったからだろう。
莉里もそれに倣って小声で話す。
「さっきマイに聞いて知った。なんて言うか、その――ちょっと可哀想な渾名をつけられているみたいだね。アキラから見て、彼女はどんな感じの人?」
「そうだな……頻繁に話すって訳じゃないけど、クラスには馴染めていないというか――孤立している感じはある」
「いじめられているの?」
「それはない、と思う。どちらかと言えば、自分から周りを避けているみたいだ」
「やっぱり、変な渾名のせいで?」
「かもしれない。ただ露骨にではなくて――オレは席が隣だから、ノートを借りたり試験範囲を聞いたりとかするけど、それには普通に答えてくれるんだよ。けどなにか礼をさせてくれって言うと、急に変な感じになるんだ」
「変な感じ?」
「ああ。距離を取られるみたいな、急によそよそしくなる。だからチョコレートとかプリンとか、菓子を買って渡してる」
「それは受け取ってもらえるの?」
アキラが頷く。
「わざわざありがとうって。でも、もうこんなことはしなくていいからって」
「なんか普通に良い子っぽいなぁ。もしかしたら口説いてるとか思われてるんじゃ?」
「どうだろ? そんなつもりはないけどなぁ」
「アキラ以外の――周囲の柳瀬さんに対する評価って、どんな感じ?」
「女子からの評判はよくないな。柳瀬には『告られたら誰とでも付き合う』なんて噂があるくらいだから。おまえも知ってるだろ?」
「え? なに? そんな噂があるの?」
「マイに聞いてきたんじゃないのか?」
「あんまり詳しくは聞いてないんだ。実際に告白した奴っているの?」
「クラスに一人いる。でも付き合わなかったんだと」
「お? 柳瀬さんに振られたってこと? さっそく噂と違うね」
「いいや。柳瀬からはオッケーが出たみたいなんだが、男の方から断っちまったらしい」
「なんでまた?」
「わかんね。そいつ、男連中に囲まれて問い詰められたんだけど、絶対に理由を言わなかったそうだ」
「へぇ……」
アキラから柳瀬さんに関する話は聞けたが、やはり本人に会わないと人物像がピンとこない。噂通りの一面を持つのは確かなようだが、アキラが彼女に持つ印象は悪いものではないみたいだ。
「じゃあ、最後にひとつ。アキラは柳瀬さんがマイの部屋へ、あんな手紙を仕込むと思う?」
「寮での状況がわからないからなんとも言えないが……そんなことする奴じゃないと思う。おまえが柳瀬に話を聞いていたって、マイに言ってやろうか? 柳瀬と話したって、たぶんお互いに嫌な思いをするだけだぜ?」
「ありがと。俺もそう思うけど、いちおうちゃんと聞いてみるよ。マイにばれたらもっと面倒臭いことになるし、アキラにも嘘をつかせたくないし」
「そうか。柳瀬は放課後になってもしばらくは教室にいる。会うならそこを狙うといいかもな。話を通しておいてやろうか? なんならオレも同席しようか?」
「重ね重ねありがたいけど、アキラは席が隣なんだろ? ギクシャクさせることになったら悪いから、俺のほうで勝手にやるよ」
「――わかった。困ったことがあれば遠慮なく言ってくれ」
「うん。そのときは頼むよ」
じゃあな、と互いに声を掛け合って別れる。
「……誰とでも付き合う、か」
リサトがぽつりと呟く。もし事実でないとしたら、とんでもなく悪質な噂だ。とはいえ、自分にできることがあるとは思えない。
とりあえずは今日の放課後だな、と考えながらリサトは自分のクラスへと戻っていった。