2話
「おかえり」
背後からかけられた声に、紫月は振り返った。
竹林を抜ける風のように涼やかなその声は、自分に向けられるときだけ、いつも少しの甘やかさを含むような気がする。
「戻りました、兄上」
「ああ」
兄ーー千賀夜はすっと歩み寄ると、そのままなんの躊躇いもなく紫月を抱き寄せた。
「お前に何かあったらと、気が気ではなかった」
艶のある低い声が、吐息とともに耳朶を掠める。
もし兄妹でなければ、これだけで腰がくだけていたかもしれない。
否、兄妹だとわかっていても、この接触は十分心臓に悪い。
それに、庭先で抱き合っているところなど人に見つかれば何と思われることか、考えただけで肝が冷える。
「あ、兄上。そんな大袈裟な……」
動揺を悟られまいと笑いながら胸を押してみたものの、思いのほかがっちりと抱き締められていて、身動きひとつ取れなかった。
「こんなことをさせるために呼び戻したわけじゃない。お前が矢面に立つ必要などない」
確かに兄の配下は精鋭ぞろいで、自分が出る幕などないのはわかっている。
だからといって、何もせずにただ養ってもらうのは居心地の悪いものだった。
「『働かざるもの食うべからず』とも申しますし、お世話になるからには私も何かしらお役に立ちたいのです」
「だからといって、なにも手を汚すことはない。そもそもお前を呼びつけたのは俺の我儘だ。世話になっているなどと思わなくていい」
千賀夜の腕の拘束が緩むと、紫月は慌てて数歩退いた。