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群狼の花  作者: 栗落花 一
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1話

血に濡れた刀を懐紙で拭い鞘へ納めると、女は身体の緊張を解くように深く息を吐いた。


「お見事です、紫月(しづき)さま」


高い木の上から軽やかに着地した男が、そう言って恭しく片膝を折る。

まだ若いが、一分の無駄もない洗練された身のこなしだ。

髪が長いうえ、声を聞かねば女と間違えそうな顔立ちをしている。けれど細身でありながら、その肉体には鍛え上げられた筋肉が宿っていた。


一拍遅れてもう一人の男が別の木から飛び降り、やはり同じように恭順の姿勢を取った。

こちらは先程の男より年重で、背丈が高く、見るからに剛の者と分かる偉丈夫である。

額から頬にかけて刀傷のような痕があり、それが一層彼の姿を恐ろしく見せている。


「恐れ入りました。敵を一刀の下に切り伏せるとは、流石は八鬼斎(はっきさい)殿のご息女」


二人の言葉に、女ーー紫月は少し苦い顔をした。


「やめてください。こんなこと……いくら敵とはいえ背後から斬りつけるなど、真の侍のすることではありません。そのように褒められることではないのですから」


彼女の言葉に二人の男は顔を見合わせる。

それからややあって、細身の男の方が口を開いた。


「お気持ちはお察ししますが、これが我ら忍のやり方。慣れていただきませぬと……」


「ええ、わかっています」


それ以上の言葉を拒むように、紫月はハッキリと言った。


「綺麗事の通じぬ世界だということは。それでも良いと討っ手を買ってでたのは、他ならぬ私自身。けれど、八鬼斎(ちち)を引き合いに出されるのは、(いささ)か心地が悪くて敵いません」


「それは余計なことを申しました。お許しくだされ」


傷の男が、申し訳なさそうに頭を下げる。


「……いえ」


素直に謝罪され、紫月は困惑した。


(彼のせいなどではない。こんなのは、ただの八つ当たりだ)


八鬼斎ーー真の名は堤 源八郎(つつみ げんぱちろう)というーーが他界したのは、半年前のことである。

彼は、その名を聞けば泣く子も黙ると言われるほどの剣豪で、紫月にとっては父であり師でもあった。


父といっても血の繋がりはない。養い親である。

源八郎に手を引かれて生まれ育った里を離れたのは、九つの頃。

大好きな兄との別れが辛くて、泣きながら何度も振り返ったあの日を、今でも昨日のことのように思い出せる。


それから十年の歳月を源八郎のもとで過ごした。


ーー“生きるため、お前は強くなれねばならぬ”


彼はそう言って、毎日紫月に稽古をつけた。

まるで、紫月を鍛え上げることが己の役目とでもいうように。

病に侵されていることがわかってからの源八郎の稽古は益々激しさを増し、何かに急き立てられるかのように鬼気迫っていた。

おかげで紫月は、女でありながら十七で免許皆伝するほどの腕前となったのである。


(今でもわからない。父上が、何故あれほどまでに私を強くすることに固執していたのか)


自分の道場を継がせるためかと思ったこともあるが、その考えは見事に外れた。

病が判明してから半年も経たぬうちに、源八郎はさっさと道場を畳んでしまったのである。

一体何のために免許皆伝し師範代までつとめていたのか、紫月には全く以てわけがわからなかった。


わからないことは、それだけではない。

ある日突然養女に出された理由さえ、紫月には知らされていなかったのだ。

一度だけ尋ねたことがあるが、源八郎は「お前は、あそこにいてはいけないのだ」としか答えてくれなかった。

それ以上の追及を許さぬ空気を感じ取り、紫月は口をつぐんだ。

肝心なことを何一つ話さないまま、源八郎は逝ってしまった。


(そして、今また私はここに戻ってきてしまった)


父が「いてはいけない」と言った、その場所に。

生まれ育ったこの土地に。


幼い頃に生き別れた兄が迎えを寄越したのは、源八郎の葬儀を済ませ、初七日が明けた頃。

見知らぬ男の訪問に最初は警戒した紫月だったが、使者から渡された兄の手紙を見て、気持ちを変えた。

紫月の心を動かしたのは、手紙の内容そのものではなく、中に包まれていたものだった。

古びた櫛ーーそれには確かに見覚えがあった。

それは十年前、泣きながら故郷を後にしたあの日、自分を忘れないでいてもらうため兄に残したものだったのだ。


(いざな)われるまま兄上のもとへ戻ってきたけれど、やはり私には何もわからない)


今さらこうして呼び戻された理由も、知らされてはいない。

何もわからないという不安が、紫月の心に小さな波紋を広げている。


「そろそろ戻りましょう。兄君が心配なさいます」


「ええ」


先程手にかけた亡骸を一瞥すると、紫月はその場を後にした。









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