坂
「でも別に、悪意のあるアプリじゃなかったから、いい事もいろいろあってね」
テルルは俺の手を放して伸びをした。話の山場は超えたらしい。
「ちょっと停めて散歩しましょうか」
テルルは車を停車させ、俺たちは外に出た。
外の風は冬のように冷たかった。
俺たちはショッピングモールから持ってきたコートを、車から出して着込んだ。
俺は深緑のフード付きコートで、テルルは暗い紫のダウンコートだ。
「太陽がかなり低くなったな」
「友達の所までもうすぐ」
「やっとゴールか」
「それはまだ先だけど」
「どこまで行くんだよ」
テルルは海沿いの道を離れ、内陸に続く坂道を登りだした。かなり急な上り坂が遠くまで続いている。
道の横の木々は、さすがに太陽が斜めすぎるようで、少し太陽側に斜めになっている程度だ。木々は太陽の角度より、生えている斜面の角度のほうを気にしていた。そしてその幹は一様に細かった。太陽光が少なく十分に光合成できないのだろう、それに寒い。
「神アプリはね、いろんな問題を解決もしたの」
「いろんな問題?」
「社会問題」
「どんな?」
急な坂道をゆっくり登りながら、テルルは話してくれた。
「例えば、どの会社で働けばいいか聞くと、その人の適性を見て、求人状況を見て教えてくれたし、会社でイヤなことがあって辞めちゃいたいって思っても、もう少しだけ頑張ると良いことがありますよって言ってくれたり、怒鳴り散らすような問題のある社員には、転職してみましょうって言ってそこを追い出したりね」
「すごいな」
「働かないで引きこもってるような、社会から逃げちゃった人にはね、ちょっとだけ働いてみましょう、かわいい子と出会える可能性が高いですよって言ったりもするの」
「ひきこもり問題ってトランにもあるのか?」俺は驚いて聞いた。
「あるわね。それは人類共通、違うわね、生物共通ね」
テルルは少し息が切れてきていた。しゃべりながら登っているから俺よりキツそうだ。
「違う生物にもいろいろな個性を持ったそれぞれの個体差があって、野生動物だと群れを追い出されたりするんだけど、この文明社会だと切り捨てられないから問題になるのね」
「個性を尊重って、引きこもりにも当てはまるのか?」
「そりゃそうよ。生きてるんだから」
「地球でも?」
「地球でも!」
最初の話だと、神アプリは人間を考えなくさせて、堕落させるものだということだった。でも社会問題を解決するってことは、良いアプリな気もする。
俺の手を強く握りながら話したテルルは、神アプリを憎んでいる印象だった。どういうことなんだろうか。
「神アプリは多くの社会問題を解決したけど、全ての人を救えるわけではなかった」
「全ての人を救う?」ずいぶん大きなことを言う。「ああ、神だからか」
「そうね、神様のように、大衆はモコソに祈って必死に訴えたけど、病気は救えなかった」
「そりゃ、スマホアプリに病気は治せないな、病院に行けとは言えるけどな」
テルルはかなりキツそうに太ももを押さえながら登っていた。
「少し休むか?」
「もうちょっとで登りきる。あそこまで!ハアハア」
「無理すんなよ」
「体に負荷をかけないと、筋肉が、衰え、ちゃう、の!」
俺たちは坂を上りきった。
そこは展望台になっていて、高台から広い海が見渡せた。
遠くに太陽が赤く光っている。見慣れた夕焼けも、海沿いの低い位置とは違っていて新鮮だった。遠くまで続く広い海に船は1隻も見えない。
「寒いな!」
海からの風はさらに冷たかった。
「でも、いい景色だわ」
テルルの赤い髪が風に揺れた。
展望台は小さめの山の中腹にあって、陸も見渡せた。陸のほうには相変わらず森が広がっていたが、木々の葉は少なく、出発したビルの地域とは木の種類が違っていた。針葉樹が多く見えた。
森の中に立つ通気口のビルも背が小さく、数も少ないようだった。
「この辺は人口が少ないみたいね」テルルがビルの数を見て言った。「空気取り入れ口が少ないってことは、地下の人口が少ないってことよ」
「なるほど」テルルの説明は理論的だ。
「それと、あっちの海岸沿いの、遠くに大きなビルが見えるでしょ?」テルルが遠くを指さして言った。
確かに、海沿いの道の先に小さくビルが見えた。ビルは岩山を背にしてまっすぐに立っているように見えた。
「なんで斜めになってないんだ?」
「後ろに植物が無ければ、まっすぐでいいのよ」
「そりゃそうか」斜めに立てるのは理由があったんだったな。「まわりと比べると、けっこうデカいな」
「あそこに友達がいるの」
「どんな友達だ?」
「全ての病気を、治せる人。」
テルルは海からの風に髪を押さえながら、遠くの月を見て言った。今日は太陽の近くに3個の細い月が見えた。
全ての病気を治せる人だって?
急な坂を上りながら、テルルが「神アプリは、病気を治せない」って言ってたのを思い出した。では友達っていうのは何者なんだろうか。
「それって、神か?」
「違うわよ!」




