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第七十七話幽霊旅館 終

 翌日、温泉街はざわついていた。

 情緒ある風景を楽しむはずの旅行者、大きな声を出して呼び込みをする店主、そのすべての視線が一点に集中する。

 その先にいるのは現代では珍しい局笠(つぼねがさ)をかぶった着物姿の女性。

 笠から垂れるベールで顔はわからない、しかしただ歩くだけで温泉街がざわつく様子はただ者ではない事だけはわかる。

 土産屋の店主達も彼女を遠目に見ながら何者なのか気になってしかたない。


「あの着物、相当な物だろ。どっかの会社の令嬢さんの道楽か? おいお前の店でさっきまんじゅう食ってたよな、顔は見たか?」

「ああ見たよ、俺もここで長くまんじゅう屋してるが上位に入るレベルだ。思わず、金をもらうのを忘れちまったよ」

「あーあ、また母ちゃんに叱られるぞ」


「へんっあんな美人から金を取ったら男が(すた)るってもんだぜ」と鼻息をふんっと吹いて腕を組む店主の後ろでその妻が拳を高く掲げていた。


「ちょっとあんたっ!」

 通りに大きい女性の声が響き渡る。


「むっ? 我か?」と着物の女性が振り返った。

「そうだよ、あんただ。さっき私の店でまんじゅう食っただろう? そのお代をもらってないんだけどねっ」

「あれは又吉の好意だと思ったんだがな。あのかわいらしかった坊が大男になっているとは無情を感じずにはいられぬな」


 この女が何を言っているのか理解するのに数秒かかる。そして応える必要はないと妻は理解した。

「いいから、ささっとお代を払ってくださいな。さもないと警察を呼ぶよ!」

「ふーむ」と困りながら女は強く手をひかれながら店に連れ戻された。


「おいお前、そんな強くあたらなくてもいいじゃないか」

「何言ってるんだい、元はと言えばあんたがお代ももらわず鼻の下を伸ばしてたのが悪いんじゃないか」

「そ、それは……」

「あんたはまだお灸が足りてないようだね、姉ちゃんはさっさとお代を払ってくんな」と手を出すがそれを不思議そうな顔で見る。


「我は金など持ってないぞ?」

「はあ!?」

「なんで金など払わなきゃならんのだ、我は又吉の命を救った恩人だぞ? その恩人に対して金をせびるとは、又吉お前女を見る目がないの」

「い、いや姉ちゃんとは初対面だし。そんな世話をされた覚えはないんだが」

「なんだと? あの時は姉ちゃん姉ちゃんと無垢な姿で我の胸に飛びついてきたというのに」

 切なげな様子で店主の顔を見る。

『あれ? どこかで……』見つめ合っていると店主の記憶の中に彼女の姿を見る。


「胸に飛びついたってなんだいっあんたっ!」彼女の姿を思いだそうとした瞬間、それは耳の激痛でかき消された。

「いててっ、違う知らないっ知らないから耳をひっぱらないでくれ母ちゃん」


「あんたも一体なんなんだい? 人と話す時は笠を外すもんだよっ」と妻が女の笠を取った。


「おおっ~」その様子を見ていた野次馬が女の美しさに声を出す。

「なっ……」と妻もその美貌に言葉を奪われた。


「天狗様っ!」と店の奥から大きな声が聞こえた。

「母ちゃんっどうしたんだ!?」店主と妻が出てきた慌てて飛び出してきた老婆に対して驚きの声を上げた。


「おい、あの婆さんもう何年も店の奥で座ってるだけだったよな?」

「ああ、動いてるの久々に見たぜ」

 今まで地蔵のように動かなかった老婆の様子に同業者達が話している。


「久々だな、うめ。見ない間にさらにシワが増えているではないか」

 愛らしいと言うように老婆の顔を撫でる手を老婆は「ありがたやありがたや」と手を添える。

「ばあちゃん一体なんだってんだ? この人知ってるのかい?」

「知ってるも何もないわ、又吉っ美代子っ! お前達天狗様に失礼な態度は取ってないだろうね!?」

 老婆の様相に両者とも声が出ない。

「もうよい。この店が懐かしくてな、まんじゅうを馳走になったのだ。味に変わりなし、じつに美味であった」

「ありがとうございます」と手を合わせてタガオノガスを拝む老婆に店主が声をかける。

「なあ、母ちゃんこの人何者なんだい?」

「この方はお前の命の恩人だよっ! あんた子供の頃病気にかかってね、店も苦しい時で医者にも見せれなかった。それお救いしてくれたのがこの方だ」


「うむ、それが我である」と腕を組んでニッと笑うタガオノガス。

「いや、だってもう30年前以上前の話だろ? いくらなんだってこの人は……」

 確かにタガオノガスの顔は十代後半から二十代のあどけなさが抜けきったばかりの乙女だ。いくらなんでも年数が合わないと店主は困惑する。

「まだあんたはそういう事言うんかっ!」と老婆が店主の頭を殴る。

「痛っ!! 二回も、しかも同じ場所をっ!」

「この方は天狗様だ。それ以上天狗様を侮辱するなら承知しないよっ」


「ああ、天狗様っ!」と野次馬の群れをかき分けて装束姿の男達が駆けてくる。

「おお、お前達か。久々に街へ降りてきたぞ」

「降りてきたぞ、ではありません。そう気軽にお姿を見せてはならないとご時世に沿った振る舞いをしていただきたいとお願いしたではありませんか」

「そう言うな。少し街に用事があってな」

「用があるなら我々に命を下してください。ここ数年は特になにもないと言いながら急に降りてくるなど我々にも準備があるのです」

 彼らの装束は確かに乱れていた、走ってきたせいもあるが慌てて礼装に着替えたのもあるだろう。

 周囲の野次馬達も美女に装束姿の男達という構図に興味を持ちさらに人数を増してくる。


「おいおい、あの人天狗って呼ばれてるけどマジかな?」

「どうだろう、なんかの催し物じゃないの? けどあの長耳と綺麗さは人間離れしてるよね」


「あのー本当に天狗なんですかー?」


「むっ」と事情を知らない観光客の無知な声に耳をピクつかせる。

「我を天狗かと聞いたのか? お前の眉の下についてる二つの玉はなんだ? 飾りか? 飾りならちょいと貸してはもらえぬか?」

「えっ?」とタガオノガスが一瞬で移動し軽薄な言葉を発した旅行者に問い詰めるが彼には何が起きているか目の前の美女のせいでわからない。

「んっー? どうした? 先ほどの言葉はお前ではないのか? それともその口すら飾りだというのか?」

 そっと優しく唇に触れる。

 思わぬ美女の行動に顔を真っ赤に染める事しかできずにいた。


「ああ、お止めくださいっ!」と氏子達が旅行者からタガオノガスを引き剥がす。


「そうだ、我はこんな事をしている場合ではなかった。それでは皆の衆、さらばだ」

 歩く先の人々が自然と避けて、道が出来る。

 そして、彼女の行く先がどこなのかと好奇心に駆られ、彼女を先頭に川のように列を作って歩いて行く。



 一方その頃、エイジ達は神谷市へ帰るためのバスを待っていた。

 団子をモグモグと食っているエイジにユイが「あんたほんといつもおなか空いてるのね」と言い「もぐっ」と返事をする。

「食べながら返事をするんじゃない、ほら口の周りに汚れてるぞ」

「へへへ、すんません――何だあれ?」

 口吹かれているその視線の先に異様な光景があった。

 笠を被った着物姿の女性を先頭に多くの人が行列を作ってこちらに向かってくる。


「何かの祭りかしら?」とユイも訝しむ。


 そして着物の人物がこちらを見た瞬間、それはエイジに向かって飛びついた。


「見つけたぞ、エイジ!!」

 急に抱きつかれて、胸に顔を埋められてもがくエイジ。


「急になんだよってタガオノガスか、なんだ別れの挨拶に来たのか?」

「別れではないぞ」

 腕を伸ばして手を差し向ける。

「婚姻を申し込みに来た」

「どういう事?」目の前の手とタガオノガスの顔を交互に見る。


「我がこの地へ来た理由を知りたがっていたな。それは子作りの為なのだ、ただの男ではない私より強い男だけがその資格がある。今までそれに近づける者はいても辿り着く者はいなかった」


「だが今、私の目の前にようやく現れたのだ」

「それが俺ってわけか」とエイジは納得したようにタガオノガスの手を握る。


「友達からお願いします」という言葉を添えて。

「そ、そうだな、少し焦りすぎた。もっとお互いの事を知ってからだな」

「ああ、また遊びに来るよ」


「ん?」とおかしな事を聞いて首を傾げるタガオノガス。

「これから家に帰る所なんだよ、また連休になったら――」

「何を言ってるんだ? お前の家は神社になるんだぞ? これからずっと我と共に生活するのだ。決まりで街には出られぬが必要な物があれば氏子達に頼めばいい、しばらくすれば子供もたくさん出来ていて忙しくも楽しい生活が待って居るぞ」


 呆然とするエイジにユイと美鈴が耳打ちをする。

「あんた一体何したのよ?」

「知らない、告白を受けたら訳わからん事に」

「そうやって軽率に女性の告白を受け入れるからだぞ」と美鈴が呆れる。


「なんだ、その女子達は?」

「俺の仲間だ、この子達のために街へ帰らなきゃなんだ。わかってくれ」


 タガオノガスがユイと美鈴を見て、僅かに微笑む。

「なるほど、中々の粒ぞろいだ。お前ほどの男ならすでに手籠めにしている者がいてもおかしくはないだろう」

「手籠めになんかされていませんっただの友人ですっ!」「天狗様、エイジは仲間です」とユイと美鈴が激しく否定する。


「なるほど、そうなのか」そう言ってエイジの背後に回り込む。

「普段からそやつらへの欲情を抑えて辛かろう。我も経験などないが書物で学んではいる」

「へへへ、いくつになっても勉強は必要なんだな。機会があればその成果を見せてくれ」

 エイジがタガオノガスの抱擁から逃れようとした瞬間、耳元に妖艶な声が聞こえる。


「そう照れるな。どうだ、私の心音が聞こえるだろう? 今もあの時の痺れを思い出すだけでヘソのあたりが熱くなる」

 その様子をユイと美鈴が口を開けて顔を赤く染める。

「我のここにお前の太いのが入った瞬間、今まで感じたことのない、まるで全身に雷が落ちたかのような衝撃だった」

 その言葉を聞いた瞬間、二人が素早くエイジに迫る。

「あんた一体なにしたのよ!?」

「なんだ太いのってなんだ!?」


「い、いや違う、あれはリベンジャー流の秘奥義で。他言禁止の技で」

「嘘つけっ! 最低よっ」ユイが怒りながらバスへ乗り込み、それを美鈴が「お、おいっ待てユイッ」と慌てて追いかける。

「置いてくなよ、違う誤解なんだ!」とそれを追いかけようとした瞬間――


「婿入りじゃー! 天狗様の婿入りじゃー!」

 野次馬の中から老婆の大声が響き渡った。

 それに従うように装束姿の男達がエイジを囲む。


「おいおい、次はなんだってんだ」

「これから装束に着替えていただきます、婿殿」

「いや、いいっす。バスに乗らないとなんで」

 その瞬間、バスのエンジン音が聞こえてゆっくりと動き出す。


「あっおい待て! ユイバス止めてっ!」

 バスの窓が開きユイが顔を出した。

「知らないっばかっ! 歩いて帰りなさいよ」と非情な言葉を浴びせた。

「美鈴先輩、お願いっあの時の夜の事を思い出してくださいっ俺を見捨てないですよねっ!」


「いや……その……」と少しあたふたして美鈴の姿が見えなくなる、その間にもバスが速度を上げていく。

 それをエイジがタガオノガスの抱擁から逃れて追いかける。

「すまんっエイジ。運転手も神社の関係者でこのバスを止めるなと命を受けているらしいっ!」

「そんな馬鹿なっ!? 手回し早すぎんだろっ!」


「あっ婿殿が逃げたぞっ! 追えっー!!」

 その声にエイジが振り向くと群衆が追いかけてきていた。

「ひえっ~!」と悲鳴を上げながら、エイジはバスから離れて路地へと入る。


「絶対に逃がさんぞ、エイジ、いや我の婿よっ!」とタガオノガスが群衆の先頭に躍り出る。

「友達からだからっ婿になんかならないからっ!」

 そう叫んでやはり自分は告白とは縁の無い人間だと思うエイジであった。


 こうして幽霊騒動は幕を降りた。その後、方丈旅館は徐々に客足が戻り、西崎は再び教壇へ立つために旅立った。

 天狗温泉ではこれをきっかけに毎年天狗の婿入り行事が風物詩となりより賑わい関係者達は歓んだ、当事者であるエイジ以外は。

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