第七十六話幽霊旅館⑳
拝殿を囲う回廊でタガオノガスが足をぶらつかせながら一人で夜月を眺める。
久しい一人で過ごす夜、いつも騒々しい神社は虫の音しか聞こえない。
儚げな彼女に少年の声が背後から聞こえた。
「今宵は満月。美女と満月は鉄板の艶姿、見ているだけで日常を忘れさせる天狗様にエイジが参りましたよ」
黄昏れる月下美人にエイジはまるで姫に会った騎士のように恭しく頭を下げる。
「お前はまともに対面する事が出来ぬのか? 初見もそんな感じだったぞ」
「あんたの姿を見た瞬間正攻法は通じないと思ったからね。今回は月を見上げた顔が綺麗すぎてまともに声をかけれなかった」
「傑物は口もうまくてかなわんわ」
わずかに頬を赤くしながら顔をそらす彼女にエイジは話を続ける。
「まぁ様子を見に来たんだよ」
「こんな夜更けにか?」
「こんな夜更けだからだよ。飲める口だよな?」
エイジは持ってきた土産袋から一本の太い瓶を取り出す。それは日中に三人で街を散策してきた時にユイが「勝ったとは言え、お詫びの献上品持って謝ってきなさい。星の侵略なんか始められたら大変よ」と三人で土産屋をまわって選んできた一等級の酒だった。
「人外の我が言うのもなんだが、お前未成年だろ」
「いつもそれ言われるな」と成人男性の姿に戻るエイジは二つの杯に酒を注ぎ始めた。
「面妖な、いやそれがお前の真の姿か」
渡された杯を見つめる彼女にエイジは首を傾げる。
「これは慰めのつもりか?」
「闘いが終わった相手と杯を交わすのは当然だろ。あとは子供達からだよ」
「子供達が?」
「悲しそうな先生を最後まで心配してたからな、俺が彼らに頼まれた。こういう別れを癒やすのは酒だよ、酒」
「徳の至り……と聞こえはいいがあの子達を憂いを残してしまったか」
杯を受け取り、静かに一口だけ飲む彼女を見てエイジもまた酒を飲む。
「なぁ、タガオノスはなんでこの星に来たんだ?」
「我がこの星に来たのは……」言葉を詰まらせ、エイジから顔を背ける。
「なんだよ、そんな秘密事なのか? 最後にお父様が俺を認めるなんて意味深な事言うし、親子そろって謎を残すんじゃないよ」
「父上がそんな事を……? わ、我にも心の準備というものがある」
「なんだそれ」とそれ以上の詮索はせずに、明日には忘れているような雑談を続ける。
しかし、人外も人も酒が入ればタガが外れるのは同じようで口論にも似た会話だった。
「だーからーエリーゼと別れるのは決まってた事なんだからいーんだよ」
「いいや、良くないわっ一緒に連れてくぐらいの根性見せれるんのか、お前は」
「だーからー異世界渡りができるのは俺一人で、好き合いそうになっている仲間がいたの。そいつとエリーゼが結ばれる方がみんなの為だったの。俺も元の世界には帰れなかったけど楽しいし、みんなハッピーハッピーハッピーエンドなの」
勢いよくまくしたて乾いた喉を酒で湿らせ、さらに言葉を続けるエイジ。
「今だって仲間を思い出す日もあるけどそれを割り切らなきゃ本当に俺は気が狂いそうになるよ。だからこの世界で俺は俺のやりたいようにするって決めたんだ、美少女もいるし不思議もある。俺はそれで十分だよ」
「それはただの強がりではないか。みんなの為のみんなにお前が入っていないではないか。ならお前はこの世界の問題を解決したらその報酬にその異世界に帰る事を願ったらどうだ? そこで末永く暮らせばよい、元の世界に未練はないのだろ?」
「それはできない」と彼は切り捨てた。
「他にいい方法があろうと間違いだったとしても俺とエリーゼの事はあの夜で俺が終わらせたんだ、終わらせた本人がそれを否定するのは許さない絶対に」
その事において「やっぱなし」は卑怯なのだと彼は月を見上げる、あの時もこんな夜だったと思い出す。
「お前の頑固さを見ると弟子を思い出す」
「弟子なんていたのか」
「成人になればいい男になると思ったのだが、それを見届ける事はできなかった。父の仇、そして兄様の為に国に帰ると言いおってな。授けた力を人界で使えばお前は必ず人の敵になり人によって滅びると忠告したのだがな」
エイジはどこかで聞いた天狗ととある武将の話を思い出す。
彼女が子供好きなのもそれに起因しているのだろう、遙か昔の弟子の面影を子供達に見ていたのか。
「過去とは影のようなもの、捨てたと思っても足下を見ればいつもついてきてるものよ」
「確かに、お互い前だけを見ていこうじゃないか」
互いの杯をぶつけて鳴らす。
「そうだな、我もいい加減過去に捕らわれるのはやめようとするか。エイジ、お前は明日で出立だっな?」
「そうだけど、まぁたまに遊びに来るからそんなに寂しがるなよ」
「寂しがりなどせんわ。それならそれでよい」
「明日は早くに用事があるから、もう寝る」と急に立ち上がりスタスタと奥に歩いてくタガオノガス。
「えっなんで急に!?」と驚く声を聞いて含み笑いをするタガオノガスだった。




