第七十四話幽霊旅館⑱
「――おかしい」
タガオノガスがぼそりと独り言を漏らす。
もうすでに相手はアリのように潰されて、その衝撃が結界内を覆い尽くしてもいいはずなのに動きがない。
人間が地上を闊歩する遙か昔、地上を支配していた生物は小惑星の飛来によって絶滅したと云う。
熱と衝撃が引き起こす破壊力は現在に至るまで地球上に存在しない。
ゆえにあの下で生命が生きられる道理はない。
なのに種を滅ぼす一撃は未だに何も壊さずただただ沈んでいくだけだった。
「あやつ、何をしたのだ?」タガオノガスには何が起きてるかわからない。
そう理解できるはずがなかった。
相手は時空を超え、人間を超え、最強種すら超越した男『ドラゴンイーター』
その答えが天からタガオノガスに降りてくる。
「なにぃいいい!?」
突如頭上に現れた巨大な岩石を避ける間もなく、万能の力を持つとされる羽根のすべてを貼り付け、魔力を噴射して自分を地上に落とそうとする父なる小惑星を受け止める。
だが、本人も理解している通りだった。
この絶対の破壊者を止める術はない。
ゆえに天からの使者は宿命通りに地上に再び戻された。
「ぐぬぬっ――」と呻きながら、か細い手足が空気を入れたように膨らむ。
巨岩と巨岩の間に潰されると彼女は思ったが、視界からは小惑星は地面に吸い込まれるように消え去り足が着いた。
「まさか、空間移動か。それもここまで大規模なっ……!」
小惑星が纏う灼熱と魔力の消費によって羽根のほとんどは燃え尽き、結界を支える魔力を小惑星に纏わせ支えてもまだ足りず、残った手段である筋力によってタガオノガスは即死は免れていた。
父である小惑星に動きはない、彼女を生み出したのだから自我はあるはずなのに娘の危機を達観している。
この状況に歯を食いしばりながら、徐々に圧される彼女の耳にもう聞き慣れた声が聞こえる。
「おいおい、そんな歯食いしばってると奥歯が砕けるぜ?」
後ろを取られるのはもう何度目だろうか、そしておそらくこれが最後であろうと彼女は確信した。
振り向く動作をすればたちまちに重力に潰される。
道連れ――いや勝者のいない戦場に価値などない。そう言うように彼女は相手の動きを待つ、獲物を待つ猛禽類のように。
タガオノガスの背後から『ガチャッ』という音が聞こえた。
その瞬間、僅かな産毛の残る骨の翼が二本の槍となってエイジに向かって突き進む。だがその抵抗は無意味だった。
空を貫き、双竜の口に噛まれた翼を見上げるエイジは人差し指と中指を伸ばして手を組み、彼もまた槍を作り出す。
膝を曲げて低姿勢になっているエイジはこの局面で異世界での修行を思い出していた。
――強固な鎧、肌を持ち、同格の技量を持つ敵を倒すにはどうする?
――打による内部破壊、もしくは目、喉などの柔らかい部位を狙って攻撃します――痛っ!
――馬鹿かお前は。同格以上の相手に正面からの攻撃が通じると思ってるのか!
――いいか? どんな相手だろうと弱点はあるもんだ。背後からの一撃、そして最も相手の意表をつく事の出来る場所、それがここよ。
――リベンジャ師匠、それありなんですか!?
――ありもあり、大ありよ。強固な鎧でもここがもっとも装甲が薄い、生物の肌が最も薄いのもここよ。ここをズタズタにされれば歩く事も立つ事もできねえ。卑劣か馬鹿馬鹿しいかなんて知った事じゃねえ。そんなに勝ち方にこだわるお前は騎士か? 賢者か? ほら答えてみろ、勝利を渇望するお前はなんだ?
――俺は……
師の教えを思い出す彼は自分の存在の全てを賭けてここまで勝利してきた。
ならば、このパラレルワールドでも得る結果は一つ。
「リベンジャ流柔術、秘奥義――肛破天叫突き!!」
タガオノガスの肛門にエイジの指がズブリと入った。
「ま”あ”あ”あ”ぁああああ!!!???」
佳麗な顔からは想像もできないような絶叫が結界内に轟いた。
ただ体内に異物が挿入されているだけなら、彼女の強靱さなら不快感だけで済んだだろう。
だが体内に入った物はさらに伸び、棘を生やしてドリルのように直腸内を暴れ回る。それが生み出す激痛はいくら彼女と言えども看過する事は出来なかった。
小惑星を支えるどころか立つ事も彼女には叶わない。
白目を剥きながら、全身から力が抜けた彼女と共に巨岩が地面に轟音を響かせた。
「ひぐっ痛い……痛い……!」
「そんなむせび泣くなよ、生娘じゃあるまいし」
落ちた小惑星の前で無様に地面で尻を押さえながらうずくまる彼女とエイジはワープドラゴンの能力を使い、共々圧死する前に安全地に転移したのだ。
「我は生娘だっ!」
「それはすみませんでしたねっ!」
「なに逆ギレしとるんだ!」
「痛いのはわかるけど、そこまで泣くなよお願いだから」
人外と言えど女性を泣かしてしまった居心地の悪さと闘いの興奮が冷め切らないせいで心ない言葉を投げかけるエイジは視線を小惑星に移す。
「ぬわっ!?」
目の前の小惑星にいつの間にか、巨大な顔が浮かんでいた。
無表情で彼を見つめる巨岩の顔こそがタガオノガスの生みの親であった。
「これはお父様、大変たくましい娘さんをお持ちのようで」
見つめられるだけで感じる圧迫感と威圧感の前にエイジはお辞儀をしながら低姿勢で応える。
対応を間違えれば、小惑星の神が与えるのは死だけだろうと直感でわかったのだ。
「認めよう、勇者よ」
「え?」彼に与えられたのは意外な一言だけだった。
その言葉を最後に小惑星は宙に浮き、巨大な魔方陣に吸い込まれ消えていった。
それと同時に異界化された森は消え去り、ただの神社と森だけの現実世界に変わった。
その光景を目にしながら、うずくまる彼女は傷を癒やしながら想っていた。
『ああ知っていたさ――幼く死んでいく子供の為にあの女は嘆き悲しみ、願った。
せめて子供達に楽しみにしていた修学旅行を最後までと。
ならば、その願いを聞いた者が叶えなくて誰が叶えるというのか』
全ての願いを胸にタガオノガスは立ち上がる。
「願いに応えて喜ぶ子供達と悲しむ教師、正誤など関係ない。我は叶え続けてやる事しかできぬのだから」
「終わらない時間はない、楽しい時間もそれに漏れる事はないのさ。終わりがあるから今を楽しめる。あんたの行いは間違っていない、ほらあれを見てみろ」
エイジが指さす方向を見ると「先生っ!やめて先生っ!」静かに睨み合いながら対峙する二人に子供達が駆け寄ってきた。
タガオノガスの結界が消滅したので子供達も自由になったのだ。
「僕たちもずっとここに居たいけど、やっぱり西崎先生にもお母さんにも会いたいから」
「みんなで神社の中で決めたんだ」
「だから先生――」
一枚の紙を大好きなもう一人の先生に手渡された。
紙には一人一人子供達の感謝の言葉が書かれていた。
「こんなものしか渡せないけど、私達先生に会えてうれしかった」
「さよならは嫌だけど、兄ちゃんが言ってたように僕たちも進みたいんだ」
子供達の健気な覚悟を聞く彼女の視界は水の中にいるようにぼやけて、最後まで字を読み切れなかった。
「こんなもの……」震える喉で言葉が出せない。
「こんなものだと? 何を言う、これ以上に喜ばせる物があるものか」
子供達が勇気をもって決断した事を否定する気力はもうタガオノガスに残ってはいなかった。
「風間エイジ、子供達を頼む」
「ああ、ちゃんと子供達は俺が責任を取って家に送るよ、先生」
「先生、最後に握手しようよ!」と一人の子供が気落ちした彼女の手を握りしめると「俺も」「私も」と皆が奪い合うように握手を交わそうとする。
「これこれ、そう焦るでない。ちゃんと一人ずつ順番だ」別れを惜しむように、そして子供達なりに彼女との別れを慈しんだ。
「……みんなありがとう、達者でな」その言葉を最後にタガオノガスは紙を大事そうに抱きながら神社の方へと歩いて行った。
気力のない背中を見て、子供達が心配そうに見ている。
「兄ちゃん、先生だいじょうぶかな?」
「だいじょうぶ、ちゃんと先生は俺がフォローしといてやるから」
「兄ちゃんなら、きっと安心だなっ!」
もう子供達の顔に憂いはない、全てをエイジに託して力強く答えて旅館へ向かうのだった。
 




