第六十四話幽霊旅館⑧
岩を砕くような手刀を脳天に受けたエイジはしばらく「ぎゃっーぎゃっー」と叫びながら駆け回っていた。
たんこぶを押さえながら走る年上の姿に子供達がおなかを抱えて笑う。
「なぁ、兄ちゃん。この姉ちゃん寝ちゃったぞ?」
仰向けで倒れている美鈴を睨むエイジ。
「そんなん放っとけっ! なんで俺が殴られなきゃいけないんだっ」
ふてくされながら面白くないと再び席に着き、将棋を再開しようと少年の着席を促す。
また何事もなかったのように二人の静かな対戦を周囲の人間が実況したり、「そこは違うよ」と茶々を入れる美鈴がここへ来る前の風景に戻る。
なぜこのような事になったかというと、ユイと美鈴にかまってもらえずにいたエイジはロビーにあった遊び道具を手当たり次第待っていき、そしてそれをまた手当たり次第つかって遊んでいた。
意外にも昔のおもちゃというのはやってみると面白い。仕組みは簡単なのだが動かすのは人間なのでうまくいくいかないは使用者次第なのだ。
ましてや、異世界帰りの彼には現代よりの知識は霞のように薄くなっていたので、電動で回る池の中にいる魚を釣り上げるおもちゃ、小さな水の入ったケースの中の輪っかに空気を噴射して棒にいれる輪投げゲーム。
どれも新鮮で楽しいのだが、その喜びを共有する人間がいないというのは寂しかった。
一通り遊んだあとは、静かに将棋と解説本を読みながら過ごしていた。
そこに例の彼らがやってきて「暇なら付き合ってよ、兄ちゃん達」とエイジは気さくに将棋に誘ったのだ。
「おーい、ここにすごい美人な姉ちゃん来なかったー?」
入り口から丸坊主の少年が元気な声を出して駆けてきた、それに続いて少年少女が入ってくる。
「そこに寝ているよ」と笑い転げていた少年が涙を拭いながら大の字になっている美鈴を指さす。
「お、いたいた。この姉ちゃん最初鬼の顔してこっち見てて、近づいたら逃げてくんだもんなー」
「そうそう。鬼ごっこみたいで楽しかっよ」
「あれ? それ鬼ごっこ? 逆じゃね?」
美鈴を囲む子供達と将棋観戦を囲む子供達で部屋が騒がしくなる。
その中の一人が男の耳なら聞き逃さない一言を発した。
「なぁ、この姉ちゃんおっぱいでかくね?」
男子全員の視線が眠る少女の胸に集まる。
「あ、おれも思った」「だよね」将棋を見ていた子供達も美鈴のほうへと向かっていく。
「も~男子えっち!」「きもーい」と女子達が呆れた様子で見る。
「うるせぇな、文句あるなら出てけよ」と丸坊主の子供がうっとおしそうにシッシッと手を振る。
「もうしらな~い」と少女達は出て行ってしまった。
一同の視線が元に戻る。
呼吸は安らかに、逃走劇で火照った身体と頬が汗で濡れ月明かりが少女の妖艶さを映し出す。
「ちょっとぐらいなら触ってもいいだろ?」
「だよな」と一同が賛同し、生唾を飲む。
そして一人の小さな手が僅かに上下する胸へと手を伸ばした瞬間――
「あーそういうのはダメだわ」
少年の手が自分より大きくて力強い手に捕まれた。
「寝ている女の子のぱいぱい触るとかないわーそういうのは薄い本だけにしてほしい」
「ひっ!」
月明かりに照らされるエイジの瞳は静かに燃えていた。大人でも彼の今の顔を見たならば目を背けるだろう、それを子供が直視したのだ。
ガタガタと手足が震える――憎悪や殺意ではない、ただ単に自分を見下している。自分が矮小な虫で相手は生殺与奪の権利を持つ巨象だ。
「ご、ごめんなしゃい」と呼吸がうまくできずにガタつく顎を懸命に動かしてようやく声が出た。
すると室内に充満していた圧迫感が嘘のように消える。
「まぁ、たしかに先輩の巨乳に惑わされない男なんていないもんな」
先ほどの死の化身がただの少年に戻り、男の子の肩を抱く。
「しかし、何食ったらこんなになるんだろうな? やっぱり遺伝かな、先輩のお母さんもまたでかくてなおまけにグラマラス、俺はあっちの方が好みでなー」と火が付いたように自分の先輩の母親を褒めちぎる。
「そ、そうなんだ」少年達は顔をひきつらせながら、見たこともない他人の母親の魅力を聞くことしかできずに辟易する。
ここで話を止めたら彼がどんな行動を取るかわからないのだ。
そんな彼らの心中を察するように、外で低い笛の音が響く。
「ほら貝か? 中々風流じゃないか」窓越しに外を見るが人影はなく、遠くで吹いてるらしい事がわかる。
「兄ちゃんごめん。俺達もう帰らないと」
エイジと将棋を打っていた少年が椅子から立ち上がる。彼だけは将棋の方に集中してエイジと対戦していたのだ。
「えーまだ勝負はついてないぞ」
「いや兄ちゃん失格で負けだから」と呆れた顔をする。
「先生が呼んでるから帰らないと」
「先生?」
「うん、私達のお世話をしてずっと遊んでくれる先生だよ」
「そうか。場所はどこにあるんだ?」
「うーん、秘密」
「えーケチー」
「将棋に勝ったら教えてやるよ」
「いいだろう、また来いよ」
「うんっ」
「じゃぁね」と子供達が庭先で手を振り、それに手をふりながら「気をつけてな」と手を振り返す。
「先生ねぇ」と顎に手をのばし、考察しながら撫でる。
「まぁ、それが件の犯人だわな。それよりも――」
部屋の中で眠り続ける美鈴に視線を向ける。
「これどうするんだよー!? こんなのユイに見られたら絶対勘違いするヤツだろうが」
どうしようどうしようと頭を悩ませるエイジであった。




