第六十一話 幽霊旅館⑥
深夜1時――
時計の針がその時刻を指した瞬間、アラームが鳴ろうと電子音を響かせようとした刹那に美鈴の手がその音を遮った。
ようやく訪れた仕事を邪魔されて驚いたように時計が一瞬、『ビッ』と鳴る。
美鈴は並んだ布団の隣で静かに寝息を立てているユイと違い、意識が落ちる事はなかった。
例え、内心は幽霊に怯えていようと武人である事を忘れていないようで、ここが敵地であるという認識は変わらず意識をわずかに残した浅い睡眠で霊体が活動する時間を待っていた。
「見回りの時間か……」
気重に身体を起こしてユイの方へ顔を向けるとまだ静かに寝息を立てていた。
彼女の寝顔は普段は気高く、誰も寄せ付けないようとしない凜とした瞳が閉じているだからだろうか、その整った顔も相まって起こすのが気後れするほど美しかった。
可憐な寝顔を見ながら、大浴場でのユイの精霊術を思い出す。彼女の術は杖と土を媒質として精霊を使役する、だが彼女は杖も土も使用せず精霊を使役していた。
おそらく土の代わりに鉱石を応用しているのだろうが、それでも媒質を変えるという事は術式を一から組み替えるという事だ。
普通なら数年かかる事を彼女は一ヶ月、否、おそらく一,二週間でやってのけたのだ。彼女の才能もさることながらその集中力、そして努力は己の日々の鍛錬など幼児の遊びに等しい。
――――私は何をしているんだ……
エイジに鍛錬を頼み、そして今もまたユイの好意に甘えようとしている。
「こんなでは、私は……」と口から漏れ、歯を食いしばる。自分の情けなさと仲間達への申し訳なさを恥じて。
場所と心境が美鈴の冷静さを吸い取っていく、自分を気遣うユイの優しい言葉が自身を苛む。
深く深呼吸して美鈴はユイを起こさずに部屋から出て行く。
長い廊下は夜間用に光量が抑えられたシーリングライトのせいで安全灯の緑色の光が際立つほど薄暗かった。
その暗闇に覚悟を飲み込まれそうになりながらも彼女は一歩を踏み出した。
ただ一人、廊下を歩いて行く。
宿泊客もおらず、従業員も自宅や寮に帰っている。待機要員として残った従業員も寝静まっているので誰にも会う事はない。
何より恐れている霊が現れる様子はなく、施設内の半分を見回っていた。
宿泊客がいないので、美鈴達の部屋の前とは違い、彼女の歩く場所に灯りは点いていないので魔力を眼球に流し込み暗闇でも見えるようにしていた。
だが彼女は本来、魔力を使う術者ではないのでその効力は弱く、十メートルほど先しか視界は確保できないでいる。
ユイが昼間に張った術で霊体が現れれば、それに反応して音が鳴るようになっているので奇襲を受ける心配はない。
だが、それでも部屋へ戻るには遠く、進むにも遠く感じるほど彼女の精神は疲弊していた。
建物は大きいが、それでも彼女の脚力があれば一分とかからずに自室へ戻れるだろう。
「だいじょうぶ、まだ……だいじょうぶだ」
自分に言い聞かせるように、不安で無自覚に手にした刀の鞘をより一層強く握りしめる。
頬に流れる汗が床へと落ちた瞬間、『チリーン』と鈴が鳴る音がした。
「っ!」
身体能力と危険回避能力が合わさり、目にもとまらぬ素早さで音がした方向へと刀を鞘走らせ構えを取る。
月明かりしか照らしていない廊下は奥まで見えない、それでも遠くから霊体に反応した魔術鳴子の音がこちらに近づいてくるのはわかる。
相手は見えてこないが、美鈴はその音で相手がどのようにこちらに向かっているのは想像出来た。
「スキップを踏んでいるのか……?」
彼女の緊張感と逆にリズミカルなテンポで鈴音が鳴っている。それが逆に不気味さをにじみ出していた。
美鈴の呼吸が乱れて、無意識に後ずさり『ドスッ』と背中に壁をぶつけた。
「来るなら、来いっ。百尺落燕の錆にしてくれるっ!」
相手の姿も数もわからなくとも、自分が戦わなくてはならないとわかっている美鈴は見得を切るように上段に構えた。
美鈴にとっての大一番、その震えは恐怖か武者震いか?
それは彼女の顔を照らす月だけが知っていた。
言い訳を言う資格なく、ただただ反省と後悔だけを胸に小説を書きました。
ブクマをしていただいた方々への申し訳なさでログインもしていませんでしたが、もう一度がんばってみようと思います。
未熟な人間と文章ではありますが、引き続き呼んでいただければ幸いです。
更新が遅れてすみませんでした、そしてここまで読んでいただきありがとうございます。




