第五十四話 童子、関越市の滞在を告げる
屋敷の浴槽にエイジがゆっくりと身体を漬けていく。
「ふぅ〜」と息を吹き、全身の疲れが湯に溶けていくような錯覚を覚えた。
帰る家があるのはいい事だ。エリカも使用人達も怒りながらも優しく出迎えてくれた。
すぐに風呂と着替えの準備をしてくれて、大浴場の入口までエリカに自分が居なくなった事への不満をぶつけられる。
それはエイジにとって心地の良い時間だった。本気で心配してくれる人間を邪険に扱わず、いつもの様にふざけないで素直に説教を聞き続けた。
そんな事を思い出してると大浴場の戸が開く音が聞こえた。
「なんだ、安藤か? って竜宮童子か」
そこには一糸纏わずに、長い黒髪を暖簾のように身体に垂らした竜宮童子がいた。
「ほおー! 広い風呂だな、わしも入っていいか?」
戸の前でエイジの許可を待っている童子に、元気よく了承する。
「遠慮する事はないぜ。カモーーン!!」
「ははっさすがエイジよ」
エイジの隣に童子が座りながら湯に浸かった。
「いつも一人で寂しく入ってるから、誰かが浴場にいるのは新鮮でいいねぇ」
「わしも人と風呂に入るなど、久方ぶりじゃ」
竜宮童子の浸かった湯には精神安定、疲労回復の効果がある。
汗が湯と溶け合い、金粉を混ぜたように黄金色に輝き始めた。
「どうだエイジ? 霊草を煎じた湯と同等に変わった湯心地は?」
きっと相手は極楽湯に浸かっているように夢心地の顔にしているに違いないとドヤ顔でエイジに顔を向ける。
だか、そこにエイジの姿はない。
浴槽から飛び出したエイジは童子に向かって大声をあげる。
「浴槽で小便するとは何事だ!? 見ろ、お湯がこんな黄色くなって……どんだけ我慢してたんだ!」
「んなわけないじゃろがー!」
思いがけない誤解に童子は風呂桶を投げつける。
「え? 違うの」と勢いよく投げられた風呂桶をキャッチする。
「当たり前だ、わしを赤子か何かと勘違いしているのか。わしの汗は龍神様と同じように人間に対して薬にもなるのだ、ありがたく入るがいい」
エイジが再び浴槽に戻ると、確かに全身の疲労が抜けていき体力が戻っていく事を感じ取る。
「確かにこれはいい湯だな」
気持ちよさそうに息を吐いて目を閉じるエイジを見て満足したように微笑む。
最近は一期一会で人間と接してきた童子は混浴するまで仲良くなる人間は少なかった。この人間がいる街はさぞかし楽しそうだとこれからの生活への期待が止まらない。
「エイジは本当に不思議な魅力があるやつじゃの」
「それほどでも」と夢うつつで答えるエイジ。入浴中の睡眠は気絶と同義なので危険なのだが、もしもの時は童子かカンさんが助けてくれるだろうと目を開ける事はしなかった。
「あまり長湯してのぼせるなよ」そう言って、童子は湯から上がり身体を拭き始めた。
「なんだ、もう上がるのか?」
「少しこの街を散策してこようと思っての。滞在する街の地理には詳しくなくてはな」
「そうか、じゃぁまた会えるな」
「うむ。近代の街はどんなものか楽しみじゃ、それではな」
脱衣場へと消えていく童子を見送りながら、もう少し長湯をしようと肩まで湯に浸かるエイジは一時の安息の時間に身を任せ寛いでいた。




