第四十八話 童子の過去①
エイジが目を開けるとそこは岩の洞窟の中だった。
大して深くはなく、出口の先の外は真っ暗で今は夜だという事だけがわかる。
その手前で焚き火の上に吊るされた鍋の中身を鼻歌交じりでかき混ぜている童子がいた。
黒い着物は元の艶やかな着物の柄に戻っている。
火の勢いが弱くなったのか、こちらに背を向けて四つん這いになりながら焚き火に息を拭く。
着物がずり上がり、雪のように白い下半身が露わになる。
口の中に煙が入ったのか、ケホッケホッと咳き込む姿に微笑ましくなり身体を起こす。
「というか、パンツ履いてないんだな」
「おお、起きたのか。パンツ? なんだそれ? というより隙だらけの女子の生尻を隠れ見るのはあまり感心せぬな」
「裾の短い着物を着ているほうが悪い」
「それを理由に覗き見るヤツのほうが悪いわ。なにより裾は短い方が動きやすい、智者は常に利を取るものよ」
「それより、ほら食べごろじゃ」と童子が木のおわんに鍋の中のモノをよそって差し出す。
「これはお粥か? 米なんかどこにあったんだ? というより具が入ってるけど何が入ってるんだ? トリカブトか?」
「たわけ、米ぐらいわしが用意できるわ。具はあの熊がお前に感謝の印にクルミやきのこをくれたのだ。あの小僧も熊が人里まで運んでいってくれたぞ、今頃大人達に保護されてるだろう。汝を祟るのはもう終わりだ。散々こらしめてやったしあの熊と小僧の件で今回は許してやろう」
少年が無事に下山した事にほっと胸をなで下ろし、そしてエイジは確信する。
「やっぱりお前、俺を試したな」
「さて、なんの事じゃ?」とシラを切るが、少なからず童子が関与しているのは間違いなかった。
エイジの良心がどこまで本物か、森の中にいる助けを求める者へと導きそれをどうするのか見ていた。それを前にした彼の行動は文句のつけようのない完璧なものだった。
それを労って童子は久しぶりに料理を作り、それを振舞う。口に入れたエイジの顔は「うまい」と口に出さなくてもわかるように粥を胃に勢いよく流し込む。
「おかわり」
「病み上がりでよく食うのぉ」
粥を口にしながら、瀕死状態だった自分がどうやって栄養を取ったのか気になり始める、あの熊と出会ってそこで意識が途絶えたとしたら今の自分は栄養失調で死んでいただろう。
「そりゃもちろん、わしが食べさせたに決まっているだろ」
「どうやって、気を失ってる人間に飯を食わせるんだよ。あ、まさか――」
「むろん、口移しじゃな」
「害を与えた人間にそんな事するなんて、童子も中々やるな」と感心しながら食事するエイジに童子が戸惑う。
「え、ちょっと待て。今わし、口移しって言ったんだが?」
「生かす為に必要な行為だったんだろ、愛のない接吻なんて握手となんら変わらないなんし」
「可愛げのないヤツよな。もっとこう「えっー!」とか「いやっー! 唇を奪われたっー!」とか恥じらわないのか?」
間違えている廓言葉を使いながら、「御馳走様でしたなんし」と言って手を合わせる相手の反応が面白くないのか、童子は手振りを使って想像していた反応を演じてみせる。
「んな事したら、助けてくれた相手に失礼だろ。何事も冷静に感謝の心を忘れないのが出来る男ってものさ」
不遜さすら感じる悠々しく微笑むエイジ。
「エイジはおちゃらけた馬鹿に見えて、大器を持った好漢なのだな」
「へへへ、やっと俺の魅力に気づいたか?」
「うむっ。感服したぞ、エイジ」とあぐらを掻いているエイジの股にちょこんと座り、座椅子に寛ぐようにおっかかる。
「妖怪も人間みたいに温かいんだな」
「なんだ、寒いのか?」
「少しな。いや焚き火に当たってれば、そのうち身体も暖まるだろう。腹いっぱいになったら眠くなってきた」
そう言ってバタンと倒れる。
異世界でも旅の途中、野宿をする際はこうやって仲間達と火を囲んでいた遠くなった過去を思い出す。
目をつぶりながら、「それにしても、粥うまかったなぁ」とうわ言のように呟いた。
「当然だ。竜宮童子の料理など中々食えぬのだぞ? わしの料理は食ったのは汝が二人目だ」
「……」
エイジは静かに寝息を立てている、どうやらまだ完全に体力は回復してないらしい。童子は羽織を脱いでエイジの上に広げる。その瞬間、羽織は毛布サイズに大きくなりエイジの身体を包んだ。
「ふむ、わしも少し寒いな」
そう言って、エイジの腕を伸ばしてそれを枕にして横になる。互いに身体を密着させる事でより暖まる感覚に童子はほくそ笑む。
「人と寝るなど、本当に久方ぶりじゃ。うむ、やはりこれは大変心地いい」
だがしかしと自身の胸部に絡まる手を見る。
「へへへ、ユイの身体は見た目以上に貧相だな~ちゃんと飯食ってんのか?」と寝言を言って、だらしなく口を歪ませる男を睨む。
目にはクマが浮かび上がった疲労感の残る寝顔を見ると怒る気にもなれず、むしろその手を握り人肌の感触を楽しみ始めた。こと最近においてここまで馴れ馴れしい人間はいなかった。
常に大衆は自分を敬い、そして感謝の念を送る。贅沢を言っているのは理解しているが、対等に接してくれる者がいないのはそれはそれで寂しいものだった。
エイジの呼吸は安らかで膨れる身体の感触が、童子の今までの孤独感を癒す。
瞳を閉じて、うまいうまいと言って食べる頬こけたエイジの笑顔が童子の記憶を呼び覚まし、やがて夢を見せた。
――遠い昔の話だ。
竜宮童子は、とある男に引き取られる。なんでも竜宮城に毎年松の木を運んでくれたお礼に自分を譲ったらしい。
男は自分の顔を見て、眉をひそめて顔を歪ませる。
それはそうだ、自分の姿を鏡で見ればその理由に納得がいく。
イボガエルの様に腫れ上がったまぶた、潰れた鼻から鼻水が垂れてタラコのように膨れ上がった唇にかかる。
醜い、その一言で自分の紹介が終わるほどの容姿をしていた。
ベタベタに汚れた髪の下の皮膚をかいてボロボロの着物にフケを落としながら男についていく。
「この娘は竜宮童子、あなたが欲しい物を願えばこの子は叶えてくれるでしょう。どうか大事に、そして大切に傍に置いてください。この娘は寂しがり屋なのです」
乙姫にそう説明された男は童子に「金がほしいのだ」と言うと黙って庭に駆け出し石を拾ってくるとそれを金塊に変えた。それ以来、男の生活は一変した。
竜宮童子の神通力により、金がないという男の家にあった土や石を金銀財宝に変え、腹が減ったと言えば何もない手から米を湧き出させた。それにより男は莫大な資産を手にし、家が栄えた。
嫁がほしいと言えば、街一番の美人で有名な問屋の娘をただ歩いているだけで童子が偶然を装った奇跡を起こし二人の出会いを作り上げ、婚姻にまで至った。
だが、人間という者は変わるのが世情だ。
しだいに竜宮童子が邪魔になり、邪険に扱われる。用がない時は馬小屋から一歩も出るなと命令され金や食料が無くなれば呼び出され要求が叶えばすぐに立ち去れと言われる。
事情を知らない従者は醜い童子を疎み、始めは傍に置いていたこの家の主人である男も冷たく突き放した。
竜宮城では従者や姉妹達と明るく楽しく過ごしていた。決してこんな雑に扱われる事はなかったし、生まれてからこんな寂しさを味わう事はなかった。
藁に包まれて孤独に震えてる童子を竜宮城の思い出だけが優しくしてくれた。
ある日、今日も食料がもらえずに言いつけを破って台所に忍び込み、自身の力で出した米を炊いていると乱れた生活習慣でかつての美貌を脂肪で覆い尽くした男の奥方に見つかる。
「とうとう、盗んだな! この化物っ!」
そう言って、家族や屋敷の者に袋叩きにされ「お前はもういらん。竜宮城に帰れ」と家を追い出される。
「帰りたい……」そう呟いて、男の命令である竜宮城へと歩いていく。
だが、いくら歩いても竜宮城への入り口が見つからない。
所有権が男に移ったせいで、乙姫との繋ぎがなくなり戻れないのだ。
「帰りたいっ帰りたいのです……」
そうつぶやきながら、竜宮童子は歩き続ける。
あてもなくさまよい歩いていると、ボロ家が密集した村に行き着く。
廃村のように人気はなく、おそらくは田舎で蔓延している流行病で全滅した村だろう。
もう自分を罵り、傷つける人間はいないと安心してすぐに、自分はこんな所でしか生きられない事に気づいて絶望感に襲われる。
膝を地面に突き、生まれて初めて竜宮童子は泣き叫ぶ。己の過酷な運命を呪い、こんな理を作った神を罵倒する。
絶望は憎しみに変わり、それは涙となって着物にポタポタと垂れる。着物が徐々に漆黒に変色する。
「悪霊化」と呼ばれる現象が起きていた、憎しみと怒りが満たされた妖怪は人に害を与える妖魔と化す。童子は妖魔へと続く入り口の淵に進んでいた。
だが、その時――
「おめさん、何こんな所で泣き叫んでんだ?」
声がした方向を見ると、男が立っていた。
薪を背負い、呆けた顔をした男が自分の顔を目を丸くして見る。
この男もどうせ同じだ、どうせ邪険に扱うか、出会ってきた人間のように石をぶつけて罵倒するに決まっている。
近づく男を睨み、そして早く立ち上がって逃げなければと両足に力を入れる。
「え?」
「こんな鼻水垂らして、ボロボロになるまで歩いてたんだな。ご苦労さんご苦労さん。うちで風呂にでも入ってくか? 腹も減ってるだろう? 大したモンはないが腹が空いてるよりマシだ。着替えも用意してやるから」
頭を撫でて、自分を労ってくれる。頭が理解する前に心が反応した。
「ううっ……うわああああん!」
男に抱きつき、その胸で思いっきり泣いた。下界に来て、初めて人の優しさに触れた事が嬉しくて、とても嬉しくて。
男は「そっかそっか、おめさんも大変だったんだな」と頭を優しく撫でる。
誰も触れようとしなかった自分の身体をあろう事か抱きしめ、そして汚い、臭いと罵られながら冷水をかけられた事もあった髪を怯む事無く触れ、撫でられる感触により一層の歓喜の涙声を上げる。
こうして、童子にとって大切な思い出であり、短く儚い不思議な人間と妖怪の共同生活が始まった。




