第三十九話 小さな勇気と大きな希望②
「クラスメイト? ガキが正義のヒーロー気取ってんじゃねぇよ!」
エイジはチンピラの大振りの拳を避けて、隙だらけの腹に拳をめり込ませる。穿たれた肉と軋む骨の感触に、よだれを垂らしながら苦悶の表情を浮かべて膝から崩れ落ちるチンピラ。
「兄ちゃんやるじゃねぇか」
もう一人の長身の男が前へ出る。おそらくボクシング経験者だろう、両腕を折りたたんで顔を守るような構えを取った。
瞬速の拳をエイジは捌き、受け流す。チンピラの驚きは焦りに変わる、なぜこんなただの高校生が元プロボクサーの自分の拳を難なく見切っているのか。
顔面に迫ったストレートパンチを掴んで、グルッと半回転して自分の背中に相手を押し付ける。
「ボクシングにはこんな技ないだろう?」
「なっ!?」
そのまま、掴んだ腕を振り下ろしチンピラを地面に叩きつけた。痛みで動かないチンピラの顔の横にエイジの足が地面で激しい打撃音を響かせる。
「まだやるか?」その問いに二人はふるふると首を横に振り、正面に止まっているセダン車に走っていく。
車のリアガラスが少し開いて、チンピラは中にいる人間に必死に何か喋っている、だがチンピラの言葉に相手は納得してないらしく二人は必死に頭を下げて謝罪の言葉を叫び始める。
そうしているとチンピラは踵を返し、エイジに走ってきた。
「申し訳ないのですが、ボスが貴方と話したいそうです。ど、どうかお願いできないでしょうか?」弱々しい口調で使い慣れていない敬語を使いながら、エイジに懇願してきた。
「えーやだよ。怖いお兄さんの誘いにのるとロクな事にならないってママにいつも言われてるんだ」
「それをどうかっどうかお願いします」と深く頭を下げる、よほど車中にいる人物が恐ろしいらしい。
「まぁ、いいけど。そのかわり条件がある」
他のチンピラと運転手を車のフロントに立たせる、自分が車中にいる間に桜華達に危害を加えないようにするためだ。
運転手は中の人物が出て行くように指示したらしい。
後方のドアを開けて、中へ入ると顔が傷痕だらけのスーツ姿の男が座って、抜かれる前の刀のような殺気にも似たオーラがその瞳から漏れていた。
「よぉ、兄ちゃん。まぁ入れよ」
只者ではない、さすが国家を裏で支配していた暴力組織の一員だ。エイジは観察に夢中になってドアに手をかけて少しばかり固まっていたらしい、男が早く入れと促す。
男の隣に座ると、エイジに思わぬ言葉が飛び出した。
「お前があの子の借金を立て替えるんなら今回はひいてやる。返済金額は三百万」
その条件にエイジは僅かに笑う、三百万なんて大金を高校生一人に背負わせようとするのだから。いかにも悪党らしいと。
男は「いいぜ」と即答する相手に、驚きで思わず微笑する。
「思い切りがいいやつは嫌いじゃない。期限は一週間だ、一日に三割の利子がつくんだが、特別にそれは免除してやる」
「ただの高校生に随分優しいじゃないか、何が目的だ?」
「そのかわり、もし返せなかった場合はあの子は俺達の商品になる、そして――」
男が少し間を置いて、息を吸い込む。エイジはわかっていた、払えなければ桜華の安全は保証してくれないだろう、そして自分の身柄も。
「お前には、俺の舎弟として動いてもらう」
「俺が舎弟? 俺のどこにそんな価値があるんだ、腕っ節の強いヤツなら困ってないだろう」
下っ端のあのチンピラでも、相手が悪かっただけで大半の素人は打ちのめせるだろうから、この人物の直属の戦闘員は相当な腕前の持ち主に違いない。それなのに、なぜ自分を必要とするのか。このスーツ男は何を考えているのかエイジはその思惑を計れずにいた。
「その時はな、まずはお前の相棒の赤城ユイと一席設けさせろ」
ダブルのスーツの上着を開いて、銅色のカラスの形をしたバッヂを見せる。この男もカラスの一員だったのだ。カラスは社会に溶け込みながら、夜の世界で戦う者だ。それなら、会社員もいれば暴力団員も居てもおかしくはない。
なるほどとエイジは思った。それにしてもなぜユイに近づこうとするのか。
「おっさん、ロリコン?」
「ははは、小便臭い女子高生なんて俺が相手するかよ、目的はあいつのカラスでの立場だ。あいつは間違いなく将来この街を背負って立つ女だ。それならよ、先行投資であの子とお近づきになったほうが俺の今後の活動にも益になる。あの子は俺なんかの下っ端の言う事は聞かないだろう、だが相棒の助言という形ならそう無下に断らない」
「つまり、俺経由でこの街で好き勝手しようってわけだ」
「好き勝手できるとは思ってない、だがカラスの任務ってのは商売の邪魔になる事もあるんだわ。そこをお前を使って上手くしのぎたい」
用はそれだけだと、エイジに一週間後楽しみにしてると言い、帰ろうとするエイジに思い出したように名刺を渡す。
「まぁ、よろしく頼むぜ。俺は沼田っていうんだ、お前とは長い付き合いになりそうだ」と名刺を渡される。
車から降りると、沼田の子分達は急いで車の中へ戻り、道路の彼方へと消えていった。
大変な約束しちゃったなと頭を掻きながら、弟の看病をしている桜華へ向かう。
呻き続ける弟にどうする事もできなくて、名前を呼んでうろたえている。
もう一人の弟、臣善も隠れていた押入れから出てきて、姉の背中越しに兄の容態を心配する。
「桜華さん、ちょっと見せて」と武蔵の腹部に触り、全体が膨れている事を確認する。おそらく骨まで衝撃が走り、アバラが折れているか少なくともヒビが入っていると診断した。
冷やすモノ持ってきてと桜華に頼む、臣善にも姉ちゃんのお手伝いを頼むと言って、その場から二人以外の人間が居なくなるように仕向ける。その隙にドラゴンズアーマーの篭手を纏い、傷を治した。
痛みが取れて、固く閉じていた瞼を開き、こちらに走ってくる無事な姉の姿に「姉ちゃん!」と飛びついて抱きしめる。
「武蔵、もうだいじょうぶなの?」
「うん、なんか平気になった!」
「エイジ君が治してくれたの?」
「いいや、子供は治りが早いからね。こういう事もあるさ」とシラを切る。
「姉ちゃん、姉ちゃん」と何も出来なかった自分の情けなさと初めて大人の怖さを知った事に涙を浮かべる。
「うわあああん!」と姉の胸の中で泣きじゃくる。
「怖かったね、ごめんねごめんね」と何度も頭を優しく撫でてあげる桜華。
「お姉ちゃん、おなかすいたー」とまだ四歳の臣善が呑気に桜華の服の裾を引っ張る。
「あぁ、ごめんごめん。お夕飯の準備しなきゃね」
「ぼく、これ食うか? あ、桜華さんと武蔵も食うか?」と紙袋からどら焼きを差し出す。ここへ来る前にお気に入りのどら焼き屋で買ってきたのだ。
「わぁ、どら焼きだ!」と弟達はエイジを囲む、その元気な姿に「そう、慌てるなって」と楽しそうに笑う。
「あのエイジ君! その……よかったら家に上がらない? その今日のお礼の変わりと言ったら安いかもしれないけどお茶も用意するし……」
「本当に!? どら焼きにお茶なんて最高かよ、いいねお世話になりましょうっ」
茶の間で、四人が仲良くどら焼きを食べる。
桜華の家の中は、質素だが清潔に保たれていた。最低限の家具しかなくても桜華が日々、整理整頓を欠かさないからだ。
彼女らしい慎ましい茶の間でみんなで仲良くどら焼きを楽しみ、それからはエイジが弟達とヒーローごっこをして遊んでいた。
「ボハハハ! この大悪党ヌマータに勝てると思うなよ!」
「出たな、ヌマータめ! 覚悟しろ!」と武蔵と臣善が紙を丸めて作った剣でエイジをポカポカと叩く。
「ぎゃっー! やーらーれーたー」
「ざまぁみろ、大悪党!」
弟二人は年上の男性がいない熊谷家では、普段はこういったヒーローごっこが出来なかった。武蔵も臣善も父がいない事が寂しかったのだろう、か弱い姉と遊びでも戦う事が出来なかった鬱憤を晴らすかのように遊び続ける。
それに応えられなかった桜華も弟達とエイジが楽しく遊んでいるのを微笑ましく見ていた。
「あっ、もうこんな時間か」とエイジが時計を見る。時刻は六時、屋敷の夕飯は六時半。もう帰らないと屋敷の女衆に何を言われるかわからない。
「えー兄ちゃん、もう帰るのかよー」
弟二人が残念そうな顔をする。
「いいじゃん、泊まってけよ。むしろ、ずっとこの家に居てくれよ」
「武蔵、あんまわがまま言わないの」
「お兄ちゃん、帰るの?」と服の裾を引っ張り、上目遣いで不安そうな顔をする臣善の頭を撫でるエイジ。
「へへへ、また来るさ。今度はもっとたくさんお土産持って」
「本当に? 約束だよっ」と臣善が姉に似た明るい笑顔が戻る。
「インディアン嘘つかない」
「兄ちゃんはインディアンじゃないだろ!」と武蔵も喜びながら抱きつく。
二人に別れを告げて、玄関で桜華だけが見送ってくれる。
「その今日は本当にありがとうございましたっ」と桜華が改めて深々と頭を下げる。
「へへへ、そんな大げさな。クラスメイトのピンチを見て見ぬふりが出来なかっただけさ」
「エイジ君……」
「それから、あの人達は一週間は手出さないらしいからしばらくは安心していいよ。後は俺がなんとかするから」
「なんとかするって、どうする気なの?」
「それは企業秘密。だいじょうぶ、桜華さん達は俺が守るよ」
「……」
桜華の目は、靴を履こうとして背を向けるエイジの背中に釘付けだった。願うのなら今すぐ抱きついてやっぱり帰らないでと言いたい。しかし、そんな事をすれば変な子だと思われる。理性と欲が葛藤し、頭と心臓が同時に爆発しそうだった。
「そんじゃ、また明日。学校でね」と笑顔で振り返るエイジの顔を見て我に返る。
「う、うん! また明日学校で!」
戸が締まり、すりガラス越しにぼやけて見えるエイジの背中が消えるまで桜華はいつまでも顔を赤らめながら見送っていた。




