第三十八話 小さな勇気と大きな希望
次の日の昼休み――
教室は昼食を買いに売店へ行く者、友人同士で中庭で昼食を食べに行こうとする者、それぞれ自分達のランチタイムを過ごそうとしている。
いつものように、教室内でエイジとユイも昼食を取ろうとしていた。
「ハルの弁当もいいけど、たまにはユイのサンドイッチが食べたいなぁ」
「なに、贅沢言ってるのよ……まぁ、キッチンが借りれれば作ってあげてもいいわよ?」
「本当に!? やったぁ!」
「あ、あの赤城さん」と桜華がその二人に話しかける。
その後ろで「がんばれー」と木蘭が応援し、ツツジが腕を組んで可憐で柔弱な勇気を見守っていた。
「桜華さん、なに?」とユイが訝しがる、彼女はエイジ以外のクラスメイトとは距離を置いている。刺々しい雰囲気に桜華は心臓が握られて萎縮したような気がして言葉が詰まる。
「あの申し訳ないんだけど、昼食を食べたいんだけどいい?」
「あ、いや、その……」
「なんだよ、ユイは相変わらずツンツンしてるな、ハリネズミじゃないんだから。もっとクラスメイトには優しく接するもんでしょうよ」
「優しくしてるから、話をしてるんでしょ」
ユイは基本的に、人とは関わらない事にしていた。それは彼女の過去に起因している、彼女が心を開くのは『絶対に死にそうにない人間』だけである、失うのが怖いのだ、交流のあった人間を。
それでも、最近はエイジの影響かクラスメイト達とも一言二言だが話すようにはなっていた。
「いいじゃないか、たまには。クラスメイト同士の親睦を深めてきても」
「私は、そういうのは……」
「おいおい、こんな小さな勇気にも報いてやれないほど、臆病者だったのか?」
「だ、誰がっ臆病者よ。いいわよ、そんなに言うぐらいなら一人で寂しくお昼ご飯食べてなさいよ。私はあんたが寂しくないように気を使ってたんだから」
ユイが桜華達に中庭に行こうと促す。
「ほ、本当ですか?」と花が咲いたように桜華が笑う。
暖かい日差しに爽やかな風を感じながら、中庭の生徒達は楽しそうに昼食を食べている。
その一角で、四人の少女が輪になって一人の騒がしい女子の声だけが聞こえていた。
「赤城って普段何してんだー?」
「勉強」
「休日は?」
「勉強」
先ほどから、木蘭が一方的に質問してユイが一言で返すという会話にならない会話が続いていた。
ツツジはモグモグとおにぎりを食べながら、横目でその様子を観察する。それとない会話で徐々に、エイジとの関係について聞きたいのだが彼女のガードが硬すぎてその隙を見つけられない。
桜華は会話が盛り上がらず自分が何も出来ない事に戸惑い、当初の目的を忘れている。
小さくため息を吐きながら、ツツジは桜華に耳打ちする。
「赤城に隙はない。こうなれば力技しかない。もうストレートに聞いてしまえ、桜華ならやれる」
「そ、そうだよね。木蘭ちゃんも私の為にがんばってるんだから、私もがんばらないとだよねっ」
ツツジの助言に素直に納得して、まだインタビューを続ける木蘭を遮りユイに話しかける。
「あの、赤城さん!」
「なに? 熊谷さん」
「風間君と付き合ってるんですかっ!?」
ユイの赤眼が大きく開いて固まる、この子はなぜ急にそんな事を言い出すのか、というより周囲からはそんな目で見られていたのか、思考が乱れに乱れ返す言葉が見つからない。
「おお! 桜華の破れかぶれが出たあ!」
「こういう時の彼女は強いからな。あの儚さと健気さで相手も強くでれない」
二人は隣同士に座って、桜華を見守る。自分達に出来る事はここまでだ、後は彼女に全てを委ねよう、そう思いながら桜華とユイを見る。
「な、なんでそうなるの?」
「え、だっていつも一緒に居るし放課後も一緒に仲良さそうに帰ってるし。噂じゃ帰る方向も同じとか……」
「別に私達はそういう関係じゃないわ」
「じゃぁ、なんでそんなに仲がいいの?」
「仲間なんだから、当然でしょう」
「なかま?」
「そうよ、エイジとはそういった浮ついたモノはないわ」
「そうなんだ」
こうして、三人娘の計画は見事に成功した。
その後はエイジについて、桜華の怒涛の質問ラッシュにユイは少しばかり危機感を覚えるのであった。
その日の放課後、帰宅する桜華の足取りは軽やかだった、エイジとユイは恋人同士ではない。その事実がユイの胸に刺さった棘を木っ端微塵に粉砕した。
今日はバイトもない、いつも作り置きした料理を二人の弟達は寂しく食べている。
母は病気で入院し、父はその医療費を稼ぐために出稼ぎに行っている。毎月、生活費が振込まれるがそれだけでは足りないので桜華は部活のマネージャーをしながらバイトで家庭を支えていた。
今日は弟達の大好きなオムライスにしようと材料の入った買い物袋を微笑む、もっと上手になってエイジにも食べてもらいたい。
脳内でエイジの幸せそうに食べる顔を思い浮かべて、道の角を曲がる。家はもう目の前だ、だが――
「おらぁ!いるのはわかってるんだ!出てこい」
柄の悪い男達が桜華の家の戸を叩いている。中には弟達しかいないはずだ、今頃二人は怯えながら部屋の隅で震えている事だろう。
唾を飲み込み、喉がなる。今は自分しか頼りになる人間はいない、精一杯の勇気で二人のチンピラに声をかける。
「すみません、今日も父は帰ってきません」
桜華を見て、二人の男が卑しい笑みを浮かべた。
その気配に今すぐ背を向けて走り出したいという恐れを前に踏み出す足が踏み潰した。
自分より背も体格も大きい二人と対峙して、全身の血が凍りつく。もし彼らがその気になれば力では勝てないだろう。
「嬢ちゃん、こっちはもう二年もこうして足伸ばしてるんだ。あれを見ろ」
男が指差す方向には、黒塗りの高級セダン車が停まっている。
「あれはうちらの親でな、いつまでも回収が出来ない債務者を見に来てんだ。それだけじゃねぇ、あのお方は俺達の能力まで疑いだした。そうなりゃあ、いつものように、はいわかりましたと帰るわけにはいかないんだわ」
ニヤニヤともう一人の男が桜華を下から上まで舐めまわすように見る。まるで品定めをしているようだ。
「なあ、親父が返せないってんなら嬢ちゃんが返すしかないわな」
「そんな、バイトして兄弟達を食べさせるのがやっとで。これ以上は……」
「ガハハ! なーに嬢ちゃんならもっと時給のいい仕事を紹介できるぜ」
「そうそう、今十五歳だろ? 三年はお店で働いてもらって十八歳になったら女優デビューでめでたく全額返済だ」
言っている意味はわからないが、自分の状況が最悪なのは理解した。
「さぁ、さっさと来い! まずは商品チェックしなきゃだからな!」
「おいおい、あんまり乱暴するなよ? 商品価値が下がっちまう」
「だいじょうぶですよ兄貴、アレでしょう? 血さえ流さなきゃいいんでしょう?」
「イヤ! やめて、痛い!」
掴まれて引っ張られる痛みに、腰を落として抵抗する。
「おいおい、なに。駄々こねてんだよ。さっさと来るんだよ!」
その時、玄関から少年が一人、ホウキを持って飛び出した。
「姉ちゃんをいじめるな!」
そう叫んで、ホウキで大きく振りかぶって襲いかかる。
「武蔵やめなさい!」
桜華の止める声を無視して、自分の手を掴んでいる男にホウキを振り下ろした。
「なんだ? ガキが邪魔すんじゃねぇ!」
そのホウキごと、武蔵を蹴り飛ばした。投げ捨てられた人形のように地面に転がる。
「ううっ痛い……痛い」
呻きながら立ち上がろうとするが、土を握りつぶすばかりで這いつくばる事しか出来ない。
「武蔵! 武蔵いいいい!!」
手を引っ張られながら、立ち上がれない弟の名を叫び続ける。
「ちっうるせぇ娘だな! 少し黙らせるか」
チンピラが手を大きく振りかぶり、桜華を引っぱたこうとする。
それを理解して、身体を縮こませて目を閉じる。
こんな時だというのに、なぜかエイジの姿が瞼に映る。ここに居るはずも来るはずもないのに、もう二度と会えないだろう同級生を思い返し涙を流す。
この思いもこれから来る痛みともっとひどい自分の未来で塗りつぶされるだろう。
楽しかった学校生活、自分にはもったいないほどの友人も出来た、まだこれからだというのに。
その全てに最後に「ごめんね」と誰にも聞いてもらえない謝罪を口に出す。
その時、自分の前に一陣の風が吹いた。
「なっ……?」
「え?」
チンピラのビンタが来ない事、そしてその驚きの声に反応して瞼を開く。
「もがっ! もがももがもきゅもががが!」
急な出来事に固まったチンピラが我に返り、動きを止めた人物に怒鳴りつける。
「な、何言ってるかわかんねぇよ! ちゃんと食い終わって喋れよ!」
これは失礼と片手で相手を制し、口の中のどら焼きを噛んで喉に流し込む。
その制服姿の少年の後ろ姿、何度も見てきた横顔に桜華の胸の鼓動が暴れ始める。
「俺のクラスメイトに手出すんじゃねぇ!」
その爛々とした義憤に普段の呑気さは無い。だらしないタレ目が今は強烈な覇気を帯びている。
自分に危害を加えようとした手を握り、その握力にチンピラが痛みで片目を閉じる。
「お前、誰だよ?」
もう一人のチンピラがその男子生徒に問う。
そして、意気揚々と男子生徒は応えた。
「風間エイジ、この子のクラスメイトだ!」




