第三十話 帰還
先ほどの激戦を忘れるほどの静寂が包まれている。
エイジは吐き捨てられるタバコの煙を見送り、アガマツとの戦いを思い起こす。
この世界では自分は部外者だ、最強の象徴たる牛鬼を倒した事でそれは証明された。
この力は人に見せるものじゃない、認知されたら最後、自分はこの世界の敵になる。
これを知るのは少なくとも六人、全員黙っていてくれるだろう。それはなんとなくでしかわからない。それでも信用に足る人間に見せたつもりではいる。
「それにしても本当に厄介な力だよ」
『ですが、それで人を救えるなら本望ではないでしょうか?』
胸にある宝石のカンさんが、エイジの心情を代弁してくれる。
「確かに。それにしても、本当にいい世界に来たもんだ」
こちらに走ってくる二人の少女を見る。可憐な花のような二人だ、美形の多かった異世界でもあの二人なら街を歩いただけで皆が振り返る事だろう。
その片方の真面目で凛とした花がエイジに怒り始める。
「キミ、何を吸ってるんだ?」
「ただの枯葉に火を付けてるだけですよ」
「未成年だろ……? というかなんか大きくなってないか?」
「成長期なもんで」
少年だったエイジが青年の容姿になっている事に戸惑う。
だらしなさを感じるタレ目は、何処か大人の余裕を感じるモノに変わっていた。
身長も伸びて、逞しい躰つきになっている。
「か、かっこいい……」
ユイの口から、そんな小声が漏れた。
美鈴もまた目の前の好青年に、これ以上責める事をためらってしまう。
「なんだよ、二人共黙って。はいはい、わかりましたよ」
シュッーとエイジから蒸気が溢れ、身体が縮み上がっていく。
そこには、元の少年に戻ったエイジがいた。
「キミは本当に不思議な人間だな、ほら」
美鈴が手を差し出す、それに「あら清廉な美剣士に手を取ってもらえるなんて、生き延びた甲斐があったもんだ」とそれに応えようとする。
しかし、腕を伸ばして空いた脇にユイが入り込み、エイジの身体を抱き起こす。
「浮気性な相棒は嫌われるわよ、エイジ」
「へへへ、すみませんね。だけどパラシュートなしのスカイダイバーを助けたんだ、起こしてもらうぐらいいいじゃないか」
その二人を見て、はっと息を呑み、反対の腕を掴み持ち上げる美鈴。
「私はそんなつもりじゃない、恩人であり勝利者である風間を労うのは当然の事だろ」
「へへへ、エイジでいいよ。両手に花とは正にこの事。だけどさ、あれはあのままでいいのか?」
頭上に指を差し伸ばす、空に貼られた結界が崩壊を始めていた。
「あれはまずいわね、もう魔力が残ってない」
結界がすべて崩壊すれば、この爆撃を受けたように壊された一帯が世間に露見される。
それを止める事が出来るのは、エイジの最初の相棒のカンさんだけだ。しかし、まず術式を読み取りそれを理解する必要があった、そんな時間の余裕はない。
「いや、助けが来たみたいだ」
急スピードで、一台のワンボックスカーが走ってきた。
けたたましいタイヤ音を響かせ、リアタイヤを滑らせながら停止した。
中から搭乗者が降りてくる、それは風間家の使用人達だった。
運転手だった安藤が十数枚の札を頭上高くに放り投げ、指を鳴らすと光の粒子になって壊れた建造物を包み込み、元に戻っていく。
「お迎えに上がりました、皆様」
「さぁさぁ、遠慮なく車に乗ってください。エリカ様が皆様を特にエイジ様のお帰りを待ってますよ」
「安藤、大した力量じゃないか。エリカよりももしかしたら使い方上手なんじゃないか?」
車内で嬉しそうにエイジが言うと、ほっほっと笑う安藤。
「エリカ様は隠居を勧めるので困っております、まだまだ執事長として頑張れると推薦してくれますか?」
「へへへ、もちろん。まだまだ安藤は現役だ。裏庭で畑いじりなんてもったいないさ」
「ありがたきお言葉、ありがとうございます」
屋敷へ戻る一行。
玄関には心配そうに胸の前で手を握るエリカがいた。
エイジが車から降りる姿を見た瞬間、握った手をほどいてまっすぐに駆け出した。
「兄さん!」
エリカがエイジに抱きつく。
「心配かけたな、兄さんはちゃんと約束を守ったぞ」
優しく頭を撫でるエイジ、心から嬉しそうにエイジの胸で喜ぶ。
「ええ、よくお帰りになりました」
そんな愛らしい兄妹の姿をユイは面白くなさそうに見る。
「一体、ここに来るまでに何があったのよ」
ふんっと腕を組むユイの横で、エリカを観察する美鈴。
「あれが風間家の……」
この街の真の管理者である風間家、その当主代行はあまりカラスと積極的に関わる事はしなかった。
管理を代行している佐藤探偵事務所が直接連絡を取るだけで、末端である美鈴は初見に近い。
顔と名前は知っていて何度か学校の帰り道ですれ違う事もあったが、自分と相手の立場、そして彼女が纏う剣呑な雰囲気を前に気軽に挨拶など交わす事など出来なかった。
そんな彼女が今、感情を爆発させている。不思議な光景に美鈴は黙って見ている事しかできない。
「参ったなあ」と照れくさそうに振り返るエイジ。
「心のドアを叩いたら、壊しちゃったみたい」
「何言ってるんですか、アガマツと戦いに行くなんて誰でも心配しますっ!」
エイジから離れて、エリカは再びツンツンな態度に戻る。
「まぁまぁ、ほらお土産も持ってきたんだ」
「これは?」
エイジはアガマツからもらった牛玉を渡す。
自分を見逃してくれたお礼にはこれ以上のないものはないだろうと思ったのだ。
「牛玉って言うらしい」
赤い珠の中に火が揺らめいている。
「すごい、魔力量。牛鬼の力の全てが濃縮されてるみたいですね」
エリカの手にある牛玉を覗き込むハルは、感動している様だった。
「ありがとうございます、兄さん」
大事そうに胸の前で握り締める、今回の事件で最大の褒賞を自分に譲ってくれた事が嬉しいようだ。
「皆さん、続きはラウンジへどうぞ。大変お疲れでしょう、いつまでも外にいては身体に響きます」
ナツが屋敷内へ入るように促す。
 




