第二十四話 宣戦布告
少年少女達が週末の予定を話しながら花が咲いたように明るい、いつもと変わらぬはずの下校風景が一人の男によって壊されていた。
その男は牛鬼、アガマツであった。
生徒達は異様な雰囲気を感じ、アガマツを避けるように三メートル先で二つに別れる。
話を聞きつけた教員達も駆けつけるが、アガマツには近づけないでいた。
その中の一人のエイジ達の担任、坂戸先生が携帯を手に他の先生に話しかける。
「警察呼びましょうか?」
「え、ええ。そうしましょう」
それを鼻で笑うタンクトップとジャージ姿の豪胆な男が「そんなものは必要ありませんよ」と歩みを進める。
「剛力先生?」
「ああいう輩の扱いは心得ていますから、坂戸先生は見ていてください」
生徒指導の体育教師、剛力先生が竹刀を肩に弾ませながら前に出る。
どうせ、そこいらにいる体格だけのチンピラくずれがうちの生徒に手を出そうとしているのだろう。
剣道五段、柔道五段の自分の相手ではない。見よ、坂戸先生のあの眼、頼りになる男を見ている眼だ。
あの男をかっこよく華麗に撃退したら、坂戸先生は今度こそ二人で飲みに行く約束をしてくれるに違いない。
そして、あのワイシャツの下ではちきれんばかりになっている坂戸先生のありのままの姿を見るのだ。
妄想で鼻の下を伸ばす彼はこの後すぐにその妄想が壊れるのをまだ知らない。
その様子を見ていたエイジが体育教師を引きとめようと前に出るが、後ろから肩を掴まれた。
「キミは何をするつもりだ」
鶴ヶ島美鈴がエイジを引き止める。
「いや、あの筋肉バカ教師を止めようと」
「向かう先はあの牛鬼だぞ? やめておけ」
「そんな、あのバカが筋肉ミートボール先生にジョブチェンジするのを見過ごせないっすよ」
「作戦は聞いてないのか? 今夜までの辛抱だ」
それまでの犠牲は目をつぶれと美鈴は言う。
エイジにそれは出来なかった、すでに死人が出ている。ユイも襲われた。
全部、自分が防げてたかもしれない。傲慢とも言える自負心にエイジは駆られていた。
「我慢弱さに定評のある俺にそんな事言わないでくださいよ」
「やめとけ! 君も剛力先生も死ぬぞ!」
エイジの肩に美鈴の手がめり込む、女の子とは思えないゴリラのような握力を前にしてもエイジは怯む事はない。
その手を一瞥した瞬間、美鈴は手を離す。
痛みにこらえる後輩に情けをかけたわけではない、彼の眼を見た瞬間に防衛本能が働いたのだ。
「邪魔をするなら、殺す」そう捉えるには十分な威圧的な殺気だった。
その目は爬虫類に近い、いや、竜のような瞳だった。いつものようにヘラヘラとした彼からは想像もつかない威圧的な眼だ。
エイジはその様子を見て、いつもの飄々とした雰囲気でニヤニヤしながら歩き始める。
「筋肉バカ教師は死なないわ、俺が守るもの」そう言い残した。
剛力先生が竹刀をアガマツの顔に向けて突き出す。
「おいっお前、この学校に何か様があるのか?」
「人を待っている」
「それは誰だ?」
「貴様には関係ない。失せろ」
「いいか!? 適当な事言って学校前にいるんじゃない! お前こそさっさと失せろ、この不審者めっ!」
顔は動かさずに、目だけを体育教師に向ける。その眼は虫けらを見るように不遜に見下していた。
「もしも、今すぐ失せないというのならこの剣道五段の剛力 豪志が貴様に引導を渡してやる!」
「愚か者め」そう言って竹刀を握りつぶし、竹刀がメキメキと折れ曲がり、竹片に変わる。
「へっ?」みるみる体育教師の顔が青ざめていく。この世に生を受けて三十六年、それまで竹刀を片手で握りつぶす者など見たことなかった。
ましてや、こんな鬼の眼を持つ者、いや鬼そのものに出会った事はなかっただろう。
「引導を渡すだと? 虫けらは虫けららしく地面で惨めにへばりついてろ」
足を払い、地面に尻餅のついた教師の頭上に足を上げる。
「こ、殺される」と思い両腕で顔を隠す、アガマツの見せた力の前に無意味なのは知っていたが反射的に情けない格好を取る。
腕越しに見る巨大なアガマツの足を恐怖で大きく口を開きながらスローモーションで見る。
「あれ? アガマツのおっさん、何してんの?」
その足がぴたっと止まった。
「小僧、そうか。お前もこの学び舎の者だったな」
「お前は風間?」
涙と鼻水でグチャグチャになった顔を見て、エイジはぷっと笑ってしまった。
「先生、なんて顔して座ってるんすか? 具合悪いんなら早く帰ったほうがいいっすよ」
「い、いや、これは……」
アガマツの背中を押しながら、その場を離れようとする。
「ほら、アガマツのおっさん行こうぜ」
「おい、待て。オレは……」
「俺はあんたに借りがあるんだ。この意味、わかるだろ?」
「……いいだろう、小僧。俺を失望させてくれるな」
エイジのいつもと違う雰囲気に、興味がわいたアガマツはその提案にのる。
「で、なんだここは?」
エイジ達は今、アメリカンテイストの服屋に居た。
壁にはロックバンドのポスターやカウボーイの写真、往年のバンドソングが流れる店内にはエイジ達以外はいなかった。
「いらっしゃいませっ、今日はどんな物をお探し……で?」と最初は明るく話しかけた店員もアガマツの眼光に耐え切れず奥に引っ込んでしまった。
「おっさん、最初に言っただろ? まずは服屋へ行けって、その格好じゃまんま不審者だろ」
「オレはそういうものに興味がない」
「俗世に親しむのも悪いもんじゃないと思うけどね」
何着か、アガマツのために服を選ぶエイジ。
「やっぱ、これだな。おっさん、このサングラスしてみてよ」
牛革のレザーパンツにレザージャケットのライダースファッションになるアガマツ。
「いいじゃん、まるで未来からやってきたアンドロイドみたいだ。ちょっとアイルビーバックって言ってみてよ」
「あいるびーばっく」
「いいね、似合ってるよ! これで不審者じゃなくて、イカついチンピラになった」
「それは褒めてるのか?」
店を出て、道中あったクレープ屋に立ち寄る。
「ここのチョコバナナクリームが最高でさぁ」
「こういった物は食べないのだが」
「いいっていいって、オゴるから」
公園のベンチで男二人がクレープを食べる。
端から見れば異様な光景だろう。楽しそうに話す学生とイカつい巨漢のコンビがムシャムシャとクレープを食べている。
道行く人間やさっきまで遊んでいた親子は見てはいけないモノを見たような顔をして公園を去っていく。
「どうだ? おっさん?」
「……普通」
「そっか、やっぱり人間の肉の方がいいか」
その一言で、公園内の空気が凍りついた。
「貴様……」
「おいおい、今更隠す事もないだろう。あんたは人を食う怪物だ、何も恥じる事はない」
クレープの包み紙を放り投げ、アガマツの巨大な拳がエイジの顔に向けて唸りを上げる。
「やめときなよ、まだ夕方だ。俺達の世界は夜に動くもんだろう?」
アガマツの拳をエイジがドラゴンズアーマーが装着された片手だけで掴み止める。
手加減抜きの一撃を受け止めたことよりも、まったく微動だにしない事にアガツマは驚く。恐ろしく強い、この子供はこの細身で同格以上の力を持っているのかと。
「小僧……ふははは!! やはり、俺の勘は正しかった。ようやく貴様の正体を掴めたぞ!」
「笑えないよ、おっさん……いやアガマツ。あの時助けてくれた礼はした」
「その礼がこの牛革の衣と甘い菓子か? 安い、安すぎるぞ!」
アガマツの拳がエイジの手を押し始める。
エイジの両足が地面に数センチ沈み始めるが、表情一つ崩さない。むしろその瞳の炎はより激しく燃えている。
「足りない分は後で補うさ、だがユイを襲った借りはどうやって取り立てればいい?」
「無論、あの娘を襲った事を謝る筋合いはオレにはない」
「言っただろう? 俺はお返しと仕返しは忘れない男だぞ?」
「ならば、ここでやるか?」
「いいや、あんたが寝床にしているビルにな、あんたの知っている二人が結界を張って、俺達の為にリングを作ってくれている」
「ほぉ」
「まぁ、彼女達に出番はない。二十二時に彼女らはお前の死体の元にやってくる。俺は借金返済で全部終わりだ」
「言うではないか、小僧。だが、貴様が来なかった場合は小娘共の血肉で慰めてもらう事になるぞ」
アガマツが拳を引っ込めて、エイジに背を向ける。
「そんなやわな連中じゃないさ。なにより俺はあんたの求める敵だ、俺以外の肉なんてもうゴミ同然だろ」
アガマツの飢えをエイジは知っている。異世界で何度も見てきた類の狂った天才、逸材が落ちる最後の段階。
強者は強くなればなるほど心が渇いてくるのだ、ただの戦士では満足できなくなる。最後には仲間や身内すら歯牙にかける。
それを潤してくれるのはいつだって仲間や家族だというのに。
それがアガマツにはない、ならばより強い相手を探す。
倒しても倒しても渇いていく心は次第に壊れ、戦闘狂になる。まるで辛いから誰か自分を殺してくれと言うように。
「わかった、今晩楽しみにしてるぞ」
こうして、エイジの宣戦布告をアガマツは嬉々と受け取った。




